+鎖+
【後 編】
飛影と奇淋が戦っている。
異例な出世を遂げてきた、その実力はかなり買ってやってるつもりだが
それにしてもこの戦いは無謀すぎる。
飛影がナンバー3を破り、今の地位に座ったのはほんの数日前だ。
その傷もまだ癒えたばかりなのだ。
国王たる躯が圧倒的に強くなければいけないのはもちろんそうだが、
他の部下達を十分牽制でき、尚且つ「使える」者達を代々ナンバー2に
仕立て上げていた。
当然ナンバー3とナンバー2の実力には天と地ほどの差がある。
何百年とその座を保持してきた奇淋、そうそうたやすく倒せる相手ではない。
「バカが・・・。」
少々アイツは天狗になりすぎだ。
少し頭を冷やしてやればいい。
もちろん、躯は戦いが奇淋から持ちかけられたことなど知る筈もない。
直属戦士同士の対戦は、極力自分がこの目で見て見届けるように
していたが、今回の場合はその気すら起きない。
理由は、結果が明らかに目に見えているから?
いや、違う。オレは飛影に会いたくないだけだ。
少なくても自分の気持ちが正視できない今は・・・。
奇淋は、飛影を容赦しないかもしれない。
先程の会議で不穏な空気が流れていたからな。
ただ、この時期に大事な戦力を欠くわけにはいかない。
癌陀羅を牽制するだけの力がなくなってしまう。
そのくらい、アイツも承知してるはずだ。
そう思いつつも、どこか不安な気持ちはぬぐえなかった。
そんなに不安ならば、オレが傍にいて、二人が妙なことをしないように
監視してやらなきゃいけないんじゃないか?
だが、躯の重い腰は、結局上がらないままだった。
ズルズル・・・ズルズル・・・
肩口から、血があふれ出してくる。
おなざりな止血も、まったく意味を成していなかった。
足取りもかなり重い。
躯は、俺と奇淋との戦いの場に、とうとう姿を現さなかった。
別にそんなことは大したことじゃない。
そうは思いつつも、頭の片隅にどこか期待していた自分がいたような気がする。
躯の自室へと向かう途中、ともすると朦朧としてくる意識の中で
考えていたのは彼女のことばかりだった。
ここに来てもう半年近くが経過したが、
躯を私室を訪ねるのは初めてのことだった。
普段ならば彼流のやり方で強引に押し入ったのだろうが、
残念ながら今はそんな余力すらなかった。
ドアを叩くので精一杯だった。
「飛影・・・!!」
扉を開けたら、満身創痍の飛影の姿。
そして、そのまま後出にドアを閉め、つかつかと部屋に上がりこんだ。
まるであたかも慣れ親しんだ場所のように。
「おい、お前そんな姿で!?
さっさと治療用ポッドに行けよ!!
それとも、オレの部屋を血で汚すつもりか?」
まったく訳が分からない。
あんなに無視されていたのに、今度は勝手に部屋に押し入ってくる。
この傍若無人さはなんだ?
いつしか飛影に抱いていた、わだかまりのようなものが吹き飛んでしまった。
新しい怒りが湧き上がってくる。ここぞとばかり、一気にまくしたてた。
「お前、またオレの質問に答えないんだな。
その口は飾り物なのか?
はっ、随分派手にやられたもんだ。思い上がりもいいところだぜ。そもそも・・・」
と、飛影は突然振り返り躯の方に向き直った。
そして、ぬっ、と腕を無造作に突き出した。
その手に握られていたのは、数枚のレポートのような紙??
「貴様が欲しがっていたものだ。癌陀羅の状況報告書だ。」
「報告書・・・?って、これは奇淋の筆跡じゃ・・・?」
そもそも、飛影にこんなものが作れるとは、お世辞にも思えない。
「これをどうやって?まさかお前、奇淋を敗ったとでもいうのか?」
「だったらどうだというんだ。
ヤツから横取りしたものでも、情報は情報だろうが。」
まるで吐き捨てるような言葉が、躯を打ちのめした。
「・・・ふ・・・やはりそうなんだな。良くわかったよ。
もう行け。そしてオレの前からとっとと消えろ。」
そう言うと、躯は飛影からつと背を向けた。
もうこれ以上は耐えられないというように。
「な・・・?!」
飛影の手から、バラバラと書類が落ちた。
その音は、沈黙の中にやけに大きく響いた。
「聞こえなかったのかよ。飛影、お前はオレのナンバー2は失格だと言ったんだ。」
背を向けこぶしを握り締めた手は、怒りのせいでかすかに震えていた。
「それが貴様の望みなら・・・」
「望み?そう・・・思えば、そもそも望みなんて持つべきじゃなかった。」
そう言うと、けだるそうに寝台へ腰を下ろした。
躯の表情は、どんどん苦悩の色を濃くしていく。
目の前で、くるくるとその様を変えていく。
心配顔から、怒りの表情、そして思いつめた空気。
会議の時の威厳に満ちた雰囲気とは全く別人のようだ。
こんな状況の時でさえ、思わず引き込まれてしまいそうになる。
「分かってるさ、飛影、お前怒ってるんだろ?
探していた氷泪石を隠し、お前の意識を勝手に覗き見した。
その上、三竦みの躯がはこんな半身が爛れたオンナだったと知ったらなおさらだ。
互いの過去を共有し、分かり合えたような錯覚を覚えてしまったんだ。
でもそれは間違っていたんだって、ようやく分かったよ。」
枯葉が一枚舞い落ちるように、ゆっくりとそして・・・悲しげな微笑が広がった。
なんだって?
俺が怒ってる?
怒ってなどいない。
俺は、俺はただ、自分の気持ちを持て余していただけだ。
もしかして・・・躯も?
「躯・・・俺はそんなくだらないことに腹を立ててなどいない。
氷泪石を奪われたのも、意識を覗き見されたのも
全て俺が貴様より弱かったかったせいだ。
それに貴様の身体をどうこう思ったこともない。思い違いもいいところだ。」
「じゃあ、どうしてなんだ?どうして俺のことを見ようとしなかった?!!何故!」
とうとう噴出してしまった、今までの思いの奔流。
躯は思わず、飛影の肩をつかみ思い切り揺さぶった。
途端、飛影の顔が苦痛に大きく歪む。
「す、すまん。つい・・・」
この上なく端正な顔が目の前に近づき、自分を気遣っている。
直前まであんなに怒りをぶつけていたというのに。
飛影の中で、思いが弾けた。
「躯・・・。」
思うより、先に身体が動いていた。
飛影は躯を突如抱きすくめた。
同時に胸の辺りに熱い塊のようなものが湧き上がってきて
彼を支配しようとしている。
そしてゆっくり身体を引き離すと、驚きに見開かれた眼があった。
綺麗だ。どこまでもどこまでも深い蒼・・・。
柔らかそうな白い肌に、珊瑚色の唇が薄く開かれている。
吸い込まれるように、唇を重ねた。
溶けそうなくらい、甘美な味。
角度を変え、何度も口付ける。
いきなりな展開に強張っていた躯も、徐々に身体を預け始める。
意外だった。もっと抵抗されるかと思っていたが・・・。
微かに伏せられた瞼が、少しだが震えている。
躯のその反応に、何故だか分からないが胸が締め付けられる思いがする。
飛影の中で、理解不能な感情が渦巻き、だんだんひとつの映像が
頭の中を占領していった。
---モットミタイ モットフレタイ ソノカミノケ ソノクチビル---
---アノコエヲキキタイ ヨゴトユメニミタ アノコエヲ---
---スベテウバイツクシタイ アタマノサキカラ ツマサキマデ---
体中の血が、全て頭に昇ってしまったようで、うまくモノが考えられない。
飛影に口付けられるたび、いいようのない快感が駆け巡る。
アイツの中には、オレの居場所はないんだ、そう思っていた。
それなのに。それなのに。
これはどういうことなんだ?
身体は確かに快感を告げているのに、どこかで恐怖を感じてる自分がいる。
このままどうなるんだ?どうなっていくんだ?どうすれば・・・??
だが、だんだん意識が遠のいていく・・・
いつの間にか、飛影の手が下へと下がり、胸を軽くまさぐられた。
「あっ・・・あぁ・・・。」
その時、飛影の紅い瞳が鈍い光を投げかけたような気がした。
寝台へとそのまま倒され、覆いかぶさってきた。
---モットミタイ モットフレタイ ソノカミノケ ソノクチビル---
---アノコエヲキキタイ ヨゴトユメニミタ アノコエヲ---
---スベテウバイツクシタイ アタマノサキカラ ツマサキマデ---
途端、恐怖が喉元までせりあがってきた。
「飛影・・・やめろ・・・」
なおも執拗に唇は追いかけ続けてくる。
飛影の感情に、まるで焼き尽くされてしまいそうだ。
怖い怖い怖い!!!!
「やめろーーーーーー!!!」
ありったけの力を込めて、飛影を一気に押しのけた。
飛影はそのまま扉近くまで跳ね飛ばされ、壁にしたたかに肩口を打ち付け、
そのまま床に崩れ落ちた。
「ぐ、ぐぅっ・・・」
「飛影。お前の処遇は追って伝える。オレは奇淋の様子を見に行ってくる。」
躯は乱れた呼吸を必死に抑えつつ、扉へと向かってそう言い残し、
そのまま部屋を後にした。
主の抜け去った部屋は、しんと静まり返っている。
乱れた寝台が、先程の出来事をいやでも思い出させてしまう。
奇淋を倒し、ナンバー2の座をようやく奪い取り
やっと堂々と彼女の傍に立てる。そう思っていたのに。
じんじんと傷口が傷む。
身体の傷ならば、ポッドが癒してくれるが、心の傷は・・・。
躯を抱きしめた瞬間、夢の中の世界に心を支配された。
分かっている。夢の虚像を作り上げたのも、俺自身の心が生み出したもの。
そして理性のたがが外れ、欲望のままに躯を・・・。
あの髪に触れて、唇に触れて、全てを自分のものにしたかった。
あまりにも性急な欲望。自分の心をまざまざと見せ付けられた。
「俺もヤツらとなんら変わらん、そういうことか。」
震えていた。アイツは。この両手で感じたアイツの動揺。
飛影はやりきれない気持ちを抱え、天井を仰いだ。
一方、躯は誰も居ない廊下で身体を抱え、うずくまっていた。
もう小一時間ほどそうしていただろうか。
身体はまだ、冷めない熱に翻弄されている。
落ち着け。きっといきなりのことで動揺しているだけだ。
だが、あんなに激しく飛影を拒否する必要があったのか?
思い出すとまた身体に震えが走る。
まさか、まさか・・・
過去がオレを縛り付けているから。
オレがいつまでも逃げ続けているから。
未だあんな夢に取り付かれているのがいい証拠じゃないか。
躯は自分の両手首をみつめた。
「枷が外れない限り、オレ達は前には進めない。そうだろう?
飛影。オレにはお前が必要なんだ・・・どうしても。」
それから程なくだった。
魔界全土に躯軍筆頭戦士交代のニュースが知れ渡ったのは。
-END-