+あまい誘惑〜えくすとら〜+



【前 編】




「さて、いつから身体の変調に気づいてたんですか?」

そう質問してきたのは、赤毛で女顔の妖怪、蔵馬。
コイツを見る度、つくづく男にしておくのはもったいないなーと思う。
だが幽助曰く、その言葉は彼にとって禁句らしい。


「躯?」

そんな場違いな考えを知ってか知らずか、何も答えないオレに蔵馬は怪訝そうな
表情をよこしてきた。

そして、ちょっと後ろのほうには飛影が所在なげに控えている。
彼もかなりバツが悪いのだろう。
彼の為にも、ここは正直に説明する以外ない。

「わかった。順を追って説明するとだな・・・」
オレは意・・・もとい胃を決して話し始めた。






なんか体が重いな。
最初はそう思ったんだっけな。


毎日の日課となっている、飛影との手合わせ。

今日ぐらいは勘弁してもらえないだろうか?


「なぁ飛影〜。今日の手合わせは闘技場でやろうぜ。」

ここのところ雨続きだった魔界。
久しぶりの晴れ間だが、オレの気分はなんだか落ち着かなかった。

いつも厚い雲が覆われている魔界に「晴れ」と表現するのもおかしいが
オレ達だって、好き好んで雨に打たれながら修行する気にはなれない。
おっと、飛影に直接聞いたわけではないから、「オレ達」という表現は
いささか不適切だったかもしれない。

まぁ一言で言ったら「うざったい」とでも言うのか。

百足から一歩外に出て来たはいいものの、数十メートル先の飛影を
わざわざ追っていく気にもなれないでいた。

「ひーえーいーーー!」

「なんだ、大声で呼びつけるな。」

いかにも迷惑そうに後ろを振り返る。
こうやって遠くからみても、飛影の身体はとてもしなやかで、無駄な所がどこにもない。

きりっとつりあがった目、ひきしまった口元。それから・・・。

「躯?」

「あ、ああ?!」

「なにを考えてる?」

「なんかかったるいんだよなー。昨日も朝まで離してくれなかったし、ブツブツ・・・。」

と、いきなり飛影はオレの頬をつねってきた。

「いてーー!!なにすんだよっ!」

「離さなかったのは貴様の方だろうが!
俺は、手合わせできなくてうずうずしてるんだ。雨だからって部屋の中でごろごろ。あげくのはてにこっちまで巻き込みやがって。5日間連続だぞ?!」

どうやら、飛影の格闘バカ精神は、雨ぐらいでは萎えないらしい。
だがそんなのにいちいち付き合ってやれるほど、オレも子供ではないのだ。


「連続?連続って何のことだ?」

「!!」

案の定、真っ赤に頬を染めてしまった。
こういう反応はまだ子供のくせに、やることといったらもう一人前なのだから困ってしまう。

「とにかく雨がやんだら、外で手合わせする約束だったんだ。行くぞ。」


そう言い捨てると、ずんずんと森の奥へ進んで行ってしまう。
雨上がりの森は、湿気を含んだ空気にベールのように包まれて過ごしやすかった。
少しぬかるみに足を取られつつも、オレは飛影の後に続き森の中へ入っていった。



二匹の美しい獣が、互いに火花を散らしあっている。

周りがうっそうと木々に覆われているため、戦闘にむいている場所とはとても言い難いが、
わざわざ遠方まで出向くのも面倒だ、と言わんばかりに、飛影からいきなり仕掛け始めた。


最初は乗り気でなかった躯も、一旦戦いの場に身を投じるとそれまでとは打って変わり、
目の色が変わった。やはり長年死と隣り合わせに生きてきたのだ。
一度戦闘態勢に入ると、頭の中は戦い一色になってしまう。


そして飛影はそういう躯の姿を好いてもいた。
もちろん手合わせする理由には、自分が強くなりたいという気持ちが大半を占めるが、
戦う躯の姿を見るのが好きなのだ。
幽助や飛影のように、戦うこと自体を心底楽しむ
タイプではないのだろうが、その身のこなしや戦略の立て方等は目を見張るものがあり
機敏な動きに反応して金糸の髪が舞い、蒼色の瞳が底光りする様子は・・・。
とても美しかった。


今も木々を持ち前のジャンプ力で次々と飛び渡り、飛影の攻撃を軽々とよけ続けていた。

その躯を必死に飛影は追う。
こうやってアイツと走っているのも悪くない。
魔界の風を真っ向から受けつつ、そう思った。


と、前方からいきなり躯の姿が消えた。
妖気も完全に断っている。
もちろん周りの視界はほとんど開けない場所だ。
どうやら格好の場所に誘い込まれたらしい。
どこかに身を潜めて、攻撃のチャンスをうかがっているんだろう。



飛影は、感覚を研ぎ澄ます。

聴こえてくるのは、葉摺れの音とどこか遠くに流れているであろう水の音のみ。


時間が過ぎていく。1秒、2秒・・・・・・。



「そこかっ!!!!」


鋭く息を吐くと、背後に立つ木に向かって剣を一閃させた!


躯はすばやく、飛影の背後にまで近づいていたのだ。
その切っ先を避けようと、大きくジャンプをし木に飛び乗ろうとした瞬間・・・。



「あっ、ぐうっ・・・!」


目的地に到着する前に、躯の身体が大きくかしいだ。
そのまま倒れこみ、地面に大きく叩きつけられてしまった。


「躯!!!」

すかさず飛影が抱き起こしにかかる。
躯は腹部に手をやり、大きく顔をしかめている。


「飛ぼうとしたら・・・急に腹が苦しくなって・・・
さっきから身体が思うように動かないとは思ってたんだが・・・」


「それで俺の攻撃を避け続けていたのか。」

「ああ。しばらくしたら、身体の状態も落ち着くと思ってたんだ。
だが急に苦しくなって・・・でも大丈夫だ。大分治まってきたから。」


飛影が急に「はっ!」とした表情になる。


「飛影?」

「あ、いや、なんでもない。」

そんな空気を打ち破るかのように、いきなり躯の腕時計から音楽が鳴り始めた。
時計の仕様も、金の鎖のついた可憐なデザインで、あまり装飾品で身を飾りたがらない
と思っていただけに意外だ。
時計から鳴り出した音楽も、なぜか癒し系のクラシックだ。


「なんだ、その時計は?」

「これ、貰い物なんだ。孤光からのな。
ちょうど3時のお茶会の時間に鳴るようになってるんだ。」


そう言うと、躯はいたずらっぽく微笑した。

その笑みに陶然と見入っているうちに、躯は踵を返し始めた。


「おい!まだ手合わせの途中だぞ!!それに身体は・・・。」


「すまんな!時間に遅れるとあいつらうるさいんだ。またな!」



全く、厳禁なヤツである。
何が「お茶会」だっ。そんな下らん事に足を突っ込みやがって。

戦いを途中で中断されて、ちょっとご機嫌斜めの飛影は、
仕方がないから日がかげるまで午睡を楽しむことにし、手近な木に横になった。








「もーーー躯!遅い遅い!勝手に始めちゃってるからねー。」


オーバーアクションでぶんぶんこちらに手を振っている女性。
豊満な緑の髪をゆったりと束ねている。孤光である。

「待ってようって私は言ってたんだけどね。
彼氏クンとよろしくやってるようだから、あと一時間は来ないよって
孤光が言うから、それも一理あるかな、と思ったわ。」

お下げ髪と理知的な瞳が印象的な、棗である。

お茶会のメンバーは、躯・孤光・棗の女三人組で構成されていた。
会の発起人は、元来皆でわいわい騒ぐことが大好きな孤光だった。
行われる場所は、だいたい百足の応接室ということになっていた。
とはいっても、躯のところに二人が押しかけてやってきている、と言った方が
話が早いのかもしれないが。

しかし、お茶会用に洗練された応接室をわざわざ作ってしまう辺り、 躯としてもこの会を存分に楽しんでいるんだろう、と二人は思っていた。


「わざわざこっちを優先してきてくれなくてもよかったのにぃ。
それとも何かあったとかっ?」

そう問いかける孤光の目は、好奇心でキラキラ輝いている。


「い、いやそういうわけじゃないんだが・・・。」

「きゃー!躯ってば赤くなってるよっ!」

「ちょっと、あんまりからかうのやめなさいよ。
いくら旦那が忙しくて構ってくれないからって、こんなお茶会まで始めちゃって・・・。」

「いいじゃん!たまにはこうやって女同士話し合いの場を持つのも大事だって。」

「『話し合い』ねぇ。モノは言い様よねー。」

「そんなことよりさ、棗、今日はいいケーキ仕入れてきたんでしょ?早く食べようよ!」

「そうそう。そうだったわ。
躯、この間持ってきたケーキ、絶賛してくれたから今度は同じお店のイチオシのものを
持ってこさせたのよ。」


ケーキと聞いて、今までほとんど聞き役に徹していた躯の目が輝く。


「二人は、今までこんなうまいモンを食ってたのか?」

「そうよ。魔界の食べ物より全然いけちゃうのよ。
とはいっても、体力つけるためにはやっぱり魔界の食べ物が一番なんだけど
やっぱり少しは食の楽しみもないとねー。」

「『棗さんの為なら、デパ地下で一時間でも二時間でも並びます!!』って
言ったんだってよ。なかなかいいところあるよね〜。」

各人の紅茶を継ぎ足しながら、孤光は笑い混じりにそう言った。
反対に、棗の方は顔が真っ赤である。


「ちょ、余計なこと言わないでよ!」

「あんな野卑でムサい奴のどこがいいんだか、未だにさっぱりわかんないんだけどさ。
こうやってケーキ差し入れてもらえるんだったら、断然応援するよ。」

野卑でムサい奴、とはおそらく酎の事だろう。
あの姿でデパ地下のケーキ売り場に並ばれては、周りの客はどいてしまうのでは
ないのか?ただでさえ酒臭いのだし・・・。


「ねー、躯聞いてんの?」

その言葉で、ミルフィーユと格闘していた躯は、ハタと顔を上げた。
すっかり甘いものに夢中になっていて、てんで話を聞いてなかったらしい。
ケーキの残骸と思われる銀紙が、すでに周りに散乱している。


「・・・。これは、食べ放題にでも連れてった方がいいかもしれないわね。」

「食べ放題?!そんなところがあるのか?」

「今度彼氏クンに連れてってもらったら?」

孤光はどうしても話題をそっちに持っていきたいらしい。
それにしても、この二人といったらマシンガンのようにしゃべりだすので
正直言って躯としては話についていけないのだ。

でも最近、女の会話というのはこういうものなのか、ということが分かり始めてきた。
確かに、互いに恋バナに華を咲かすのは楽しい。
ちょっとたまに居心地の悪さを感じてしまうのは、多分まだこの独特の雰囲気に
慣れていないからなのだろう。


「しかし、躯。貴方ってホント美人よね。女の私でもうっとりするわ。」


棗は頬杖をつきながら、ほうとため息をつく。
頬杖をついているそのテーブルも、一枚板で丹念に磨き上げられた、立派な
ダイニングテーブルだ。


「そうだよね。お化粧も全然必要なさそうだしさ。」


孤光もすかさず同意する。

化粧か・・・。したいと思ったことすらないな。
躯は一人考えをめぐらせる。
化粧をしたり、身を飾ったり。ぺちゃくちゃおしゃべりしたり。
そういう「女の特権」と思われるものは、すべて排除して生きてきたのだ。
女であることを認めたくなんてなかったのだ。
忌まわしい過去が背景にあるから、という理由ももちろんあるが、
そうやって肩肘張って生きていかないと、何かが崩れてしまう気がして・・・。


しかし、棗・孤光の二人はどうか。
二人とも「女性」であることを充分に謳歌しているように見える。
しかも互いに芯が強く、肉体的・精神的にもその強さは男をも簡単に凌ぐ。

知らなかった。強くあることと、女であることは同居できるのだ。
二人をこうしてみてると、その事が良く分かる。



「躯、どうかした?」


棗が心配そうに躯の傍に立ち、その肩に手を置き躯の顔を覗き込む。
その表情は、女性特有の慈愛にあふれていた。


躯は、そんな棗に向かって、複雑な微笑を返した。