+あまい誘惑〜えくすとら〜+



【後 編】




躯の横顔にすっと差した一筋の影。
彼女は時々こんな表情をみせる。過去を顧みるような。

「いや、大丈夫だ。」

躯はちょっと微笑みながらそう答えた。
男ならば一瞬でいちころになりそうなその微笑み。

いつかその心のうちを明かしてくれる時が来るのだろうか。


魔界三大勢力の一人だった躯。
その時代には既に煙鬼と結婚し、つつましくも平和な生活を送っていた孤光には、魔界の情勢などほとんど興味もなかったが、かつての友人雷禅と対立する二人となれば、もちろん印象が良い筈もなかった。

ましてや策略家の黄泉とは違い、躯に関しては背筋が凍るほどの残忍な性格以外、まるでどんな人物であるか計り知れなかった。だから「いけ好かない奴」だとずっと思っていたのだ。もちろん孤光に限らず、魔界の住人の大半が同じような思いを躯に対して抱いていただろう。

だがここまで嫌い抜くと、なにかのきっかけでがらっと印象が変わってしまうこともあるものだ。



雷禅が亡くなった。
大きな衝撃だった。
あいつ、殺しても死ぬ奴じゃないと思ってたのに!!
自分の意思で逝ってしまったなんて・・・。

焼けるほど酒をあおっても、全く酔えない自分。
煙鬼にかかえられるようにして、雷禅の国へ向かった。
きっと他の仲間達も今頃向かっている筈だ。
そこへ行けば何かが見出せる気がした。
彼が遺していった何かを・・・。


実際、墓前の前に立ってみて現実を突きつけられた。
涙で曇る目に映ったもの。それは。

一輪の小さな花だった。

見つけられてしまったのを恥らうかのように、それはつつましく飾られていた。

雷禅の国の無骨な男達がわざわざ飾るとも思えない。

孤光の視線に気づいた幽助が教えてくれた。

ああ、その花は躯が活けてくれって渡してくれたんだ、と。


驚きだった。あの躯が?!ナゼ?
皮肉のつもりだろうか。それか何かのメッセージ?
だがその花を見つけた途端、哀しみが和らいでいく気がした。
薄い桃色をした、可憐な一輪の花。

自分は確実にあの瞬間、あの花によって癒されたんだと。


今ならば、素直に言うことが出来る。



それから、彼女にとって「躯」は得体の知れないイケ好かない奴、から得体の知れない気になる奴、へと変わっていったのである。


無論躯にこの事を話してはいない。
こういうお茶会で少しづつお互い打ち解けていって、そのうちいろいろ語り合えるような仲間になっていけたら。そう思う。



「何だ、棗も孤光もミルフィーユは食わないのか?」

既に13個目(一体いくつ買ってきたんだか?)のケーキに手を伸ばし始めていた躯は、自分しかケーキを食べていないことにやっと気づいた。

その言葉で我に返った孤光。

「あたし、実は今ダイエット中なんだわ。」

「何回目かしら〜。その言葉聞いたの。」

すかさず棗は孤光を茶化しに入る。

「ダイエット?食事制限か?」

躯はまたもや目をぱちくりとさせている。

「そう、細い体型を維持するために、なるべく甘いものを控えて太らないようにするのよ。」

棗がご丁寧にも躯に説明して聞かせる。

「太る・・・ってどこも太っちゃいないじゃないか?」

「な、なんか躯に言われるとショックだわ〜。あんなにケーキばくばく食べてても太らないんだもんねぇ。」

躯は全く訳が分からない、という表情で呆然としている。
甘いものを食うと太る。ということはあまり食べないほうが良いということか。

「棗もダイエット中だから食わないのか?」

「私はミルフィーユはちょっと苦手だから、こっちのシュークリームを食べてたのよ。それは躯の為に買ってきたんだから、全部食べてくれていいのよ。」

なんだそうだったのか。
これで心置きなく食べられるとばかり、ケーキの箱を自分の面前に置いた躯。
やはり食欲には勝てないらしい。

「・・・。」
「・・・。」

しばし沈黙する二人。

「さあ、食うぞーーー!」

喜び勇んでフォークを持ち直したその瞬間!


「うっ・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!」


「躯っ!!!」

「どっ、どうしたのっ?!」

突然くの字になって苦しみだした躯。
先程の腹痛が、また大きな波となって押し寄せてきた。
しかもさっきよりも更に苦しい。途端に汗が玉となって噴出してきた。

「は、腹が痛むんだ・・・すごく・・・ううっ。」

「孤光!とにかくあそこにあるソファーに横たえましょう!あそこまで歩ける?」

「あ、ああ・・・。」
既に息も絶え絶えになってしまっている。
孤光は辺りをぐるりと見渡すと、部屋の隅に立っている兵士に声をかけた。

「ちょっとあんた!なにぼさっと突っ立ってるのよ!早く飛影を呼んで来て!」

「は、はっ!」

飛影の妖気の感じからして、そう遠くには行っていないのだろう。
ほどなくこちらに来てくれる筈だ。

「百足内に医術の心得のあるものは居ないのかしら?」

「確か居たはず。ええっと名前が思い出せないんだけど、挑発でなんか落ち武者みたいな出で立ちの怪しい感じで・・・うーん、顔はわかるんだけどなぁ!」

どたどたどたっ。
主の不調を先ほどの部下から聞きつけたのか、噂の落ち武者・・・もとい時雨が息せきって部屋に駆け込んできた。

「あーーーーーーそうそう!こいつこいつ!」

場違いに喜びの声を上げる孤光。

「躯サマっ!!一体どうなされたのだ?」

「三人でお茶をしてたんだけど、急にお腹が痛いって倒れちゃったのよ。あんた、確か魔界整体師の時雨ですっけ?」

「棗ーー。知ってたら教えてくれても良かったのに!」

「そんな事はどうでもいいの。早く躯を診て頂戴。」

そんな事、で片付けられてしまった時雨は一瞬不快な表情をしたが、女性二人が相手とあってはさすがに分が悪いと感じ、とりあえず黙っておいた。


「うっう・・・。」

再び痛みの波が襲ってきた躯は、体を大きく揺らしながらうめいた。

嫌だ。腹の痛みは・・・。嫌なことを思い出させる・・・。
何かがオレの腹の中でぐるぐると蠢いている気がする。
ほら!また!確かに動いている

嫌だ嫌だ嫌だ。
腹をかき回される。これはあのときの痛みに似ている。
もう終わったはずなのに。なぜっ!!

もしかして・・・!!?

オレはとっさにパニックに襲われた


「いやぁぁぁーーーーーーー!!!」

「躯!しっかりっ!」

「一体何が嫌なのっ??」

「はぁはぁはぁ!!!」

躯の身体は、大きく痙攣し始めてきた。
どうやら意識も朦朧としているようだ。
孤光と棗の呼びかけにも反応しない。

「はっ!!!」

どこっ!!!

「御主!いきなり躯サマに何をするっ!!」

「衝撃波で軽くショックを与えただけよ。意識が錯乱しているし、このままでは危険だわ。はやく処置室に運びましょう。」

それに・・・。
躯は他人が自分の身体に触れるのを極度に嫌がる。
何度かそういう場面を目にしていた棗は、躯の意識がはっきりしているとかえって治療がやりにくいのではないかと思ったのだ。

この美女達、なかなか顔に似合わず手荒な真似をするようだ。
結局、棗の衝撃波によって一時的に気を失った躯は、時雨の手によって処置室に運ばれた。
百足に来てからもう何年か年数が経つが、このように躯の身体に触れたのは時雨は初めてだった。
抱き上げてみると、当たり前だがとても軽い手ごたえだった。
どんなに強くあってもやはり女性は女性だ。

思わぬところで主に触れる機会を得た時雨は、壊れ物を運ぶように慎重に 躯を処置室の寝台へと横たえた。

ここは時雨の職場だ。
魔界整体師というだけあって、怪しげな機械がここかしこに置かれている。
外科手術を行うのが中心だが、通常の医術も多少は身に着けていた。

診察・・・診察となれば当然・・・。


恐る恐る躯の服に手をかけた。が。

「それはあたしたちでやるから!」

さすがにそこまではだめだったらしい。

棗が上着を引き上げ、時雨が触診と聴診器での検査を行った。

「なんかあれね・・・見た目にはお腹がちょっと出て張ってるような感じね。」

「ってゆーと、アレ・・・かな?」

「そうかもしれないわね・・・」

「だとするとあまり心配は要らないのかも」

二人は何かを確信したかのように、互いにうなずきあった。

「一通り診察は終わったぞ。」

「で、どうだったの??」


「その前に御主等に尋ねたいことがあるのだが。」

時雨は後ろにあった殺風景な椅子に腰をかけた。

棗、孤光の二人もそれにつられて、手近な椅子に腰をかける。

「なに?」
「なによ?」

「先程、御主等は応接室で会合をしていた。そこで紅茶やらケーキやらを食していたわけだが。
何故御主等二人はは飲み物のみしか口にせず、躯様が食べていたケーキは一口も口にしなかったのだ。あんなに量を買い込んだにもかかわらず。」

棗はすかさず説明をしようとした。

「それは、孤光はダイエット中だったし私は・・・。」

「ちょっと黙ってて。棗。」

孤光は片手で棗をびしっと制した。

「孤光?!」

「あんた・・・一体あたし等に何が言いたいの?はっきり言いなさいよ。」

かなり凄みを利かせたセリフに加え、目がギラギラと輝いている。
時雨はそれに臆することなく、先を続けた。

「毒を盛った。そうではないか?」

『なんですってっ!!?』

このセリフにはさすがの二人も目を剥いた。

「お茶会と称し、しばし会合を持ち下らないゴシップに花を咲かせながら、躯様の警戒をだんだんと解き、躯様の体調を損なわせようという魂胆だったのだろう。」

「よくもそんな言いがかりをっ!!大体そんなことしてこっちに何のメリットがあるって言うのよ!」

完全にキレた孤光は、時雨の襟首を掴み締め上げた。
その掴みを瞬間的に手首を返し、さっと外すとさらに時雨は続けた。

「いくらでもあるではないか。躯様の強さは未だ魔界においても脅威。ファーストレディー気分を少しでも長く味わいたかったら、どう考えても邪魔な相手だ。」

「いっいい加減に・・・。」

「そして躯様の気を失わせ、ここに運ばせた。
躯様の口から反抗がばれることを恐れて、口封じのためにショックを与えたのでは?」

「私はそんなことを企んでやったわけじゃないわ!第一・・・。」

「ちょっとそこの髭面!!
あんた何にも分かっちゃいないよね。あんたみたいな奴に女同士の絆が分かってたまるもんですか!
ここでお茶会を開いたのも彼女と仲良くしたかったからよ。もっと知りたかったのよ。彼女の事が。なのにあんな寂しそうな顔をされるといたたまれなくなっちゃうのよ。
時々女であることを恥じてるようにも見えたわ。そんな必要ないんだって教えてあげたかったの。もっと誇りをもっていいんだって・・・。」

そこに、無愛想な低音の声が流れ込んで来た。

「そいつらのせいじゃない。」

「飛影!!」

飛影が戻ってきた。
そして寝台にぐったりと横たえられている躯に目をやった途端、さすがに顔色が変わった。
気を失っていたからだ。

「どうしてそう断言できる?」

腕組みをしつつ、見据える時雨に飛影は答えた。

「俺と手合わせをしていた時も急に腹が痛いと言い出した。食う前から調子が悪かったんだ。」

では一体原因は何だろう?
棗と孤光の二人は、既に何かに気づいているようだが・・・。

「躯!躯!」

飛影は横たわっている躯の頬をペチペチと軽く叩いた。
ほどなく意識を取り戻した視界に映ったのは、心配そうに覗き込む飛影の顔。

「だから『大丈夫か』と聞いただろうがっ。」

「済まん・・・。横になっていたらちょっと痛みの波がひいたようだな。
だが腹の中でずっと何かが蠢くような感じがするんだ。なんだか身体もだるくて重いし・・・。」

二人はじっと目を見合わせた。


そして・・・。同時に。


『妊娠か?』



「飛影ーーーーーーーーーーー!!!!なんて事だ!!!今度という今度は許さんぞーーーーーーーーーーーーーー!!!」

怒り狂った時雨は、燐火円礫刀をあたりに投げ飛ばし始めた。
周りには強力な薬品等を並べてあるので、危険なことこの上ない。

「ちょっとーーーーー!!!やめてよ!ほんとにそうかどうかわからないでしょうが!」

叫ぶ孤光。棗はつきあってられんという顔で、こめかみに指を当てている。

「あの、そろそろ俺の出番なんじゃないですかね。」

蔵馬がやれやれといった顔で部屋に入ってきた。
飛影が蔵馬を呼び寄せたのだが、すっかり自分の存在が忘れられていることにちょっと腹を立てていた。

「ほっ。やっとマトモな人があらわれてくれたって感じね。」

「棗殿。それはどういう・・・。」


長髪をなびかせ、蔵馬は躯の元に近づく。
そして先ほどの時雨と同じように、手のひらを当てお腹を触診していく。

「この辺、押すと痛くないですか?」

「い、痛い・・・。」

「さっき応接の方にも寄ってみたんですが、ケーキの銀紙の残骸が沢山あったんですけど、躯の妖気が少し残ってたんでちょっと気になったんですが、もしかしてあの量を一人で食べたんですか?」

「ああ。そうだが。」

「食べ過ぎですよ。単なる。」

「は・・・?」

躯は呆気にとられた顔で蔵馬を見返す。
食い過ぎ?このオレが?

「こんなちっこいのを沢山食ったからって、いきなり腹が痛くなるって事はないだろ?」

「飛影。躯がケーキを食べてたのは今日だけじゃないですよね?」

いきなり話をふられた飛影は、うーんと一瞬考え、

「毎日3時には『休憩の時間だ』と言って、かなりの量を食っていたぞ。」

うっ。そういえば。
今まで人間を食べたいだけ食べてきた躯は、食事節制の考えなど初めから頭にない。食べたいものを好きなときに頂く。それが普通だった。

「ここにきて急に人間界の食べ物を口にするようになったでしょう?だから胃や腸がパニックを起こしてしまってるんですよ。やっぱり何事も程ほどにしないとね。」

「何事も程ほど」を何故か強調して話した蔵馬は、ちらと飛影の方を伺った。

案の定バツの悪い顔をしている。

妊娠だなんて、随分と大人になったんですね。
口にはしないものの、蔵馬のにこやかな顔にははっきりとそう表れていた。


「あーあ。心配した分、なんかがっくりきちゃったわねぇ。 そんなことじゃないかと思ってたけどね。」

疲れきった顔でそう言う棗。果たして孤光はというと・・・。
また怒っていた。

「躯殿は部下の教育が全然なってないっ!!あたし、毒を盛ったってこいつに犯人扱いされたのよっ!!ホント頭にきちゃうーーーー!」

「時雨は最初からあなた達二人を疑ってなんかいませんよ。躯が心配だったのと、二人の真意を聞きだしたかったからわざと逆上させるようなことを言った。そうでしょう?」

「蔵馬、御主いつから立ち聞きしていたのかは分からんが・・・。余計な事を。」

「良かったですね。躯。皆にこんなに愛されてるって事ですよ。」

躯は何のことやらさっぱりである。
それは飛影も同様らしい。
まぁ、原因も解けたし一件落着ということか。
この後二人の妊娠未遂騒ぎはひとしきり魔界のワイドショーネタとしてもちきりとなるのだが・・・。
誰が広めたのかはあえて言わないでおこう。