Vysehrad, Prague [September, 2014]

 Smetanaの"Ma Vlast (わが祖国)"の第一楽章は"Vysehrad(高い城)"です。Pragueはここで始まったと言われる土地で、見ておきたいと考えました。同名の地下鉄の駅があり、ここから歩くのが便利だそうです。Tramで行くと、急な坂道を登らないといけないからとLPに書いてありました。城そのものは焼失して石垣しかありませんが、教会と礼拝堂は再建されています。
 写真は、Church of St. Peter and St. Paul(あとMaryがいればPPM)で、建物に阻まれてここまでしか下がれず、足許が切れています。


 
 地下鉄を降りたら駅前に大きなビルがある以外、普通の住宅街の風景が広がります。道標を信じて歩いて行くと、立派な石垣が見えてきて、どうやら正しい方角に歩いていたらしいと知りました。Hotelを出たときから雨で、だんだん雨脚が強まっています。
第二楽章の川が見えるかと、少し高いところに上がってみました。雨のおかげで光がしっとりと回り、いい雰囲気です。  石垣の高さがわかります。川を見下ろしていますが、さすがにもやっていて絵にはなりません。
木々の間から教会の塔が見えました。目指す方角が確定。  庭に入る手前の道路から。
 レオポルド門、17世紀の要塞の痕跡だそうです。  想像していたより大きな建造物です。
 石畳ばかり見てきたので、緑が新鮮です。教会の前で結婚式の記念撮影をしていました。
植え込みの一角で発見。あやかりたい人もいるようです。  教会の正面から。扉の模様が独特です。
 この紋章が何だかわからなくて、とりあえず撮影してきたのですが、帰国後の調査で然るべき風格を持った教会だけがBasilicaを名乗れると知りました。
この教会は11世紀に建てられ、13世紀に焼失。今の建物は19世紀末に再建されたようです。上に書いたPragueはここから始まったというのは俗説で、プラハ城の方が先に建造されたのがわかっているようです。


 下の二枚は堂内の様子。アールヌヴォー調のフレスコ画は他では見られないと思います。
 教会の隣には墓地があり、著名人が眠っています。雨がどんどん激しくなってきたので、十分に探索できませんでした。番号と実際の配列の関係も十分把握できず、さまよってしまったのです。特に16番が残念!
 Smetanaは比較的簡単に見つかりました。後ろに見える教会の鐘も"Vltava(モルダウ)"でした。  もう一人、重要な人物はKarel Capek。"山椒魚戦争"は高校時代に読みました。
  寒くなってきたので早々に帰路につきます。Cameraを濡らさないように注意していましたが、この雨の中でlensの鏡胴に水滴がついただけですんだのは僥倖でした。
 一度hotelに戻り、天候の回復を待って散歩を再開しました。そちらは別章にて。
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