J. S. Bach Pilgrimage, Eisenach, part 1 [April, 2016]

 J. S. Bach巡礼の前半です。Eisenachは写真が多いので二分割して、
Part 1: Bach Haus
Part 2: Georgenkirche他
としました。以降、Bachとだけ書いてあるのは、Johann Sebastian Bachのことです。 この街で生まれ、10歳まで住んでいました。
1. Bachの像
泊まったB&S Hotel Am Bachhausというhotel。部屋の窓からBachの像のある広場が見下ろせました。  Check-in後の散歩で、まずは像にご挨拶。今回の旅で見た中で一番くつろいだ顔をしています。

奥の建物がBach hausの新館。像の後ろにレリーフがあります。  レリーフの拡大。
像の斜め後ろから。右にある建物がBach Hausの旧館。
三角形のFlauenplan広場の向こうにhotelが見
えます。
2. Bach Haus 生家ではありませんが、10歳まで住んでいた家が博物館になっています。
旧館の壁にあるプレート。 新館の前の看板。

一日券を見せて入場券をもらいます。一時間おきに音楽室で演奏があり、私の枠は11時からです。滞在時間を最低でも一時間確保せよという事前情報は、これに関連しています。

 新館から入り、中庭を経由して旧館の展示を見る順路になっています。
写真撮影ができるのは嬉しかったです。
 中庭の井戸。
中庭にあった石像ですが、詳細は不明です。  中庭から旧館に通じるドア。
中庭から振り返った旧館。  当時のEisenachとゆかりの品々
赤い文字をつなげるとricercareになることまではわかりましたが、文章として英訳すると"the theme given by the King's command, with additions, resolved according to the canonic style".だそうです。 
ここにあるカノンを聴く設備で
HD202を発見。
父親、Johann Ambrosius Bachの肖像。
彼の家はPart 2で紹介します。"街のラッパ吹き"と言われていました。
 寝室。
ラテン語学校で成績優秀だった7歳のBach(47番)は6級を飛びこして5級になったと書いてあります。3歳上の兄を抜いてしまったのですね。  平均律の説明では、iPodが活躍していました。
一人目の妻、Maria Barbara Bach。 7人の子供のうち、4人は早世。  二人目、宮廷歌手だったAnna Magdalena Bach。13人の子供のうち、7人は早世。
その後もあちこちで見たBachの木(家系図)。  Bachチェンバロ作品の復活に貢献したWanda Landowska
頭蓋骨から復顔して作った胸像。
上は、戦災で崩れた旧館。像は無事だったようです。

左は、BWV directory。
時間になったので、音楽室へ。当時の楽器の音色とBachの音楽で二重の楽しみ。
売店の一角に博物館推薦盤が並んでいます。Julia Fischerを発見! さすがにお目が高い。  SNSでも情報が得られます。
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