標高が上がればそれだけ温度も下がり、辺りはいつの間にか一面銀世界である。
密林を抜け山をひたすらに上ってきた。この先に薬草がある。
普通このような場所で緑が見られることはない。しかし生命力の強いそれは雪を掘り起こせば青々とした姿を見せるのだ。
わずかな期間だけ雪解けする、その間に摘み採るのが常だった。予測できる病気だし、雪に閉ざされた間は危険だから近寄らない。
ましてや急を要する状況は考えたこともなかった。幸いなのは場所を覚えていることと薬草が極寒の中でも生きていることだ。
早くテイルスに届けたい。焦れる思いを抱きつつ、氷の壁を上っている今は絶対に行動を急くことはできない。
あともう少しだ。この上の台地に薬草が生えている。今は雪を被っているが掘り起こせばすぐ出てくる。雪を掻くのは簡単だ。
今でこそ岸壁は氷付いているが、普段来る時はこんなに険しくなかった。足を乗せる位置を間違えば一瞬で、下まで真っ逆さまだろう。
雪山、単独、怪我、これらの言葉が結び付いた時が死だ。ミスは許されない。強い緊張を抱えながらの登頂はなかなかペースが上がらない。
一方でタイムリミットが迫っていた。身軽さを優先した格好では極寒の中に長く居られない。
もとより時間に余裕がない状況だったので、そのあたりに気を払わずに来たのだ。
さっさと登り切るつもりだった、今それに手こずっている。体温がどんどん奪われ次第に体の自由が利かなくなる。
辺りが暗くなってきた。山の天気は変わりやすい、このあと吹雪くのだろう。
現状に加え風が吹いてきたら本当に危険だ。体力はかなり消耗してしまっている。
せめて風をしのげる場所を見つけ出し備えなくてはならないと思った。そこでナックルズにある考えが閃いた。
もう力尽きそうな今となっては、その考えには体力が持つか不安だった。
しかし氷の壁を上り続けるよりずっとリスクが少ないと思い、拳を崖に強く突き立てた。
崖の中を掘り進むのだ。これなら氷付いた壁からの滑落の危険も、吹雪の風もしのげる。
ただ疲れがたまった状態では土を穿つのは相当な重労働だ。上まで自分の力がもつのか。
しかしここまでくれば精神力の問題だ。そう決めつけて根性で上へ上へ拳を右左、トンネルを確実に掘り進める。
最後の一突きを放つと真っ白い土が出た。冷たいそれは雪だった。上まであがれたのだ。
柔らかく積もったそれを払い上へ出る。やはり外は吹雪いていた。自分の判断を正しさを確認するも喜ぶのはまだ早い。
薬草を掘り出し持ち帰るのだ。目印にしていた大岩は幸運にも雪をかぶりつつ存在を示してくれていた。一か所だけ大きく盛り上がっている。
この下。残る力を振り絞り雪を掻く。白の中に薄い緑色を認めた時点で、今度は指で丁寧に雪を避ける。
薬草が手に入った。
あとは戻るだけ。勢いを付けて崖を飛び降りた。高さを生かし得意の滑空で一気に下界へ降りるのだ。
雪が舞い風が吹き荒れる中でも、彼は上手く重心をコントロールし姿勢を保った。可能な限り遠くまで距離を稼ぐのだ。
少しでも遠く、少しでも早く、帰れるように、テイルスの為に。
テイルスの容体は安定した。薬草を煎じた湯を飲み、これでもう心配ない。
あとは本人の体力が回復するのを待つだけだ。エミーは大仰に喜びナックルズを労った。
手を取られて無抵抗なのは彼も体力がなくなっていたからだ。疲労困憊なままエミーの小躍りに腕を振られその度全身が波打つ。
そこで、そうだ、とつぶやき唐突に手を放された。
「アンタ、行く前に何か笑ってたでしょ?」
エミーは出発前の彼の様子を思い出して問い質した。出発時に笑っていたか、しかし認識の無い彼は質問の意図すら汲めず間の抜けた声を返す。
やはり無意識だった。それを確かめられたところで、答えが見つからないことには変わらない。
彼はもう眠りたいという。仲間の為に険しい道のりを超えてきたのだから止める由もない。
自分の床に入り眠りに就こうかというときに、ナックルズはふと漏らした。
「まぁ、少しは浮かれてたかもな。なんせあれは・・・」
「どう?気分は良くなった?」
虚ろに目を開けたテイルスにエミーは呼びかけた。熱は既に引いてさっきまで穏やかな寝息を立てていたのだ、相当良くなっている。
目の力は弱くてもとても穏やか。緩やかに彼の唇が動き出す。
「うん。もうだいぶ楽だよ。」
「ナックルズに感謝しなくちゃね。テイルスの為にがんばって薬草採ってきたんだから。」
状態を上げエミーの視線を追うと、ナックルズが豪快にいびきをたてて寝ていた。
姿勢も両手を広げ片膝を立てたまま仰向け、泥のように眠っていた。すごく彼らしいなんて思った。
よく見ていくうちに、疲れ果てた姿のまま寝入ったのがわかった。顔に土が付いたまま。
拳も土を掘り返した時の汚れが付いていて、一方でタオルケットはきれいなまま。きっとエミーがあとで掛けてあげたのだ。
「こんなに苦労してまで、僕、迷惑かけちゃったかな。」
テイルスは頭だけでなく耳までうなだれて落ち込んだ様子を見せる。悪い方に考えてしまうのは病人の性だなぁとエミーは思った。
頑張った理由は自分にあるのに、無理を強いたと考えてしまう。それは単なる捉え方の違いだ。
そして尽くしてくれた人に対しては謝るより、ありがたく思ってくれるのが一番のねぎらいなのだ。
「テイルスの病気ってね、普通この島に生まれ育ったヒトが罹るものなんだって。」
だから彼が眠っているうちに事情を説明してあげよう。元々口が下手だし面と向かって言うのは恥ずかしいと、彼は感じるだろうから。
エミーは病気について話を始めた。
「それでいつもナックルズが薬草を採りに行ってた。一緒の島に住むみんなの為にね。」
病気にまつわること全てだ。そして病気がもつ本当の意味を聞かせてあげたいのだ。
テイルスの耳が立った。話を聞こうとして知らず元気を取り戻してくれたようだった。
「島の頼れるガーディアン、そのもうひとつの大事な役目がこれ。」
本人が誇らしげに話してくれたのだ。力自慢なだけで頭に馬鹿が付くぐらい真っ直ぐで融通が利かない。
でもすごく優しい。彼が力を振るう理由はいつも他人にある。絶対に利己的な使い方はしない。
「だからまるでテイルスが島の住民になったみたいで、嬉しかったみたい。」
ヒトが病気で苦しんでいるのにね。言いながらもエミーの顔は決して批判しているものではなかった。
聞き終えてから二呼吸ほど間をおいて、そうだね、とだけ呟いた。彼の同意も言葉の上だけだ。
なぜならテイルスはとても心地よさそうな笑みを浮かべていたのだ。
今までもずっと仲間。でもこれからはもっともっと近しい仲間。
互いの為なら本気を出せる。その理由がほんの少し変わっただけ。
「ありがとう。」
どんな時よりも親しみを込めて、眠り続ける彼に呟く。
この言葉を受け取る一瞬だけ、いびきが止まりすぐ鳴り響いた。
これからも彼の下を訪ねよう。ヒトを連れて、連れなくても。
テイルスはこの島へ来るも帰るも、自分の一存であることを人知れず喜んだのであった。
某さんから頂いたネタを温め温め作りました。
またこれの制作途中で自分も病気になったと、別の意味でも思い出深い作品になりました。