メモを見ながら記憶を手繰り寄せる。


「対世の鏡器」そのものにはソルエメラルドとの関わりはあまりない。この鏡は不思議な力で現世とは違う異世界の様子を映し出す力があった。
それを巫女の役 割を担う者が占いの手掛かりとしていた。占う内容は大方近未来の事、とはいえもっぱら天気だった。
説話の残る土地には農耕民族が暮らしていた。標高が高く 乾燥した土地にも関わらず、赤道に近い温暖な地域なので作物は育つ。
そして雨季の間僅かに降る雨を彼らは上手に貯水できたから山腹の土地でも農業が成り 立った。
農耕において天気は作物の出来を左右し、生活へ直接響くから一大関心事だったのだ。
異世界を当時の人々がどのように捉えていたか正確な判断は下せない。
もしかすると未来の様子そのものだと考えて占っていたのかもしれない。このことに関し て資料にも推論の域を出ないとあった。
そもそも文面でしか手がかりがなく、事実かは疑わしいものだ。
ましてや人の心は形で残りにくい。


学んだことを忘れまいと頭の中で何度も内容を繰り返した。険しい山道を登りながらも意識は海馬をほじくり返すことに終始していた。

それに集中している間はあまり疲れを感じずにいられた。上っても登っても果てのない山をひたすらに進む。
だが草木が淋しい高原に近づくにつれ強い日差しが 一層彼女の体力を奪い、いつしか思考は鈍りだし、停止した。

無意識に足を出す。
疲労困憊で顔も上げられずほとんどゾンビみたいなのだが、それ故に超自然的な力で操られているかのような歩みだった。
彼女は歩を止めな い。今の彼女はいわば糸がはるか天につながっている操り人形である。

山を超えようやく目的地の湖が眼下に見えた。かなりの標高、空気が薄くすぐに息が切れる。
呼吸を整えようと深く吸い込んだとき、海のような潮の香りが鼻腔 をかすかに刺激した。

さんざん上り詰めて見える景色は意外にも平坦だった。
登山後の大パノラマはここまでの苦労の報酬にぜひとも頂きたかったものだが、なにせここは高原。
単に 標高が高いだけの台地の上に立っているのだから、頂上というのに辺りより若干高いだけ。
寂しい景観の平地が広がり、果てには別の頂が並んでいる。

目的地までもう少し、あともう一息。小さく映る山を見据えつつ道は下りに入る。

一歩進む毎に潮の匂いが強くなるのがわかる。立ち止まり、肺にある空気を可能な限り追い出したのち今度は限界まで膨らませる。
胸の中は潮風に満ち、同時に 彼と共に冒険したあの南の島々と海を思い出していた。
当然あの快活すぎるくらい元気な少女のことも、驚くほど鮮明に思い出していた。

彼女は冒険に強い憧れを持っていたな。

これも冒険なのか。自ら積極的に行う、自分だけの冒険。そう認識して、バカバカしいと思う反面喜んでいる自分を発見した。
そしてそれを快く思っている自分 も。
守護者や皇女としての責務で動いていた頃には 決して理解できない感覚が心の中で疼いている。

一陣の風が吹いた。頬を優しく撫で、湖へと抜けていくそれは未知の世界を先導してくれる。風と共に、彼女はまた一歩踏み出す。


白く砕かれた砂粒に波が押し寄せる様はまさしく海だろう。しかし沖に目をやれば山々が連なりその海を囲う。
山越えの吹き下ろす風は湖を超えると潮風に変化する。海と山を同時に感じる場所など稀有なことだろう。

ここ、ククルー湖は世界でも五本の指に入る大きさを誇る巨大な塩湖だ。
ようやく、辿り着いた。だがここが出発点なのだ。

山と海を同時に楽しめるのなら夏の余暇を過ごすには贅沢な場所なのかもしれない。標高の高さを除けば。
森深いわけではないし、また海も雄大さを知るにはいささか規模が足りないのが正直な感想。
つまらない批判を一人思い浮かべながら今一度湖に視線を戻す。


この湖底には遺跡が沈んでいる。目的の遺跡は、湖のはるか深くに閉ざされているのだ。
湖面を見つめているとその姿が見えそうな気がした。じっと見詰める、次第に波打ち揺れ動く暗がりの世界に、惑わされるのみ。
現在の彼女に遺跡に触れる手立てはない。今のところは。
ブレイズは踵を返し、近くにある村へと向かった。


ほどなくして到着する。湖の東部の平地に集落がある。
この村はあの湖底を発掘する団体が住み着いて出来あがったと資料にあった。だから限りなく湖に近い。発掘の都合に良いように。
疲労で鈍くなりつつある足に一層力を込め、中へと歩を進める。


村の入口付近に誰かいる。きっと村の者だ。声を掛けた。

「すまない、ここはククルー村でいいのか。」

村の名前もまた湖と同じだった。がっしりした体格の男は答えた。

「あぁ。」
「この村の住民なのか。」
「そうだ。」
「あなたも湖に沈んだ遺跡を発掘しているのか。」
「この村は全員そうだ。とはいえ湖に潜るだけが発掘じゃねぇ、湖に行かない連中も色々な面で関わっている。」

言い方はぶっきら棒で面倒くさそうだったが、しっかり答えてくれた。
返答に謝辞を述べ、それに対し男は気に留める素振りも見せない。

ここでもう一つ質問を投げかけた。この地へはるばるやってきた大きな目的だ。


「私を発掘調査に参加させてくれないだろうか。」


さすがにこの申し出に男は当惑したようだ。目を白黒させてこちらを何度も見る。
対してブレイズはじっと目を見据えていた。意志は既に固く決しているのだから、譲る気など皆無だ。

「・・・リーダーに聞いてみる。」

男は眉根にシワを寄せ怪訝そうだったが、彼女の真摯な姿勢に気圧される形ではあるが、責任者と取り合ってくれるみたいだ。
察するにそれは迎え入れるためではなく、きっとこの場で追い払うより上の者が断ってくれた方が説得力があるとでも考えたのだろう。
顔や態度からは渋々とい うニュアンスがにじみ出ている。のっそり、歩み一つ一つが遅い。
責任者頼みならそれは甘い。逆に主要人物を踏破してしまえばこちらのもの、何としても無理やり食い下がるつもりだから。

リーダーは今日の発掘調査の準備でチームと共に湖へ向かったとのこと。この男もチームの一員で今まさにそこへ向かうところだった。
男に続いて今一度湖へ戻る。



「いいんじゃないか。ちょうどミグリオが怪我して動けないんだから、手伝ってもらおう。」

湖畔に明朗な声が響き渡る。少し離れ聞いていたブレイズの耳にも一言ひとことはっきり聞き取れた。
さっきの男が湖の傍に集まっていた作業員の集団の中へ入って行き、リーダーと思しき人物と話して、すぐだった。

「いいのかよ、使えんのかね?」モトリッツィ
「もともとミグリオだって体力ないんだし、彼女ぐらいでもきっと役に立つよ。」
「全くだ、あの野郎は貧弱ついでにトロいときた。」フォルツァ
「足滑らせて骨折だもんな、ケッサクだった!」リサタ

ミグリオという人物をネタに高らかな笑い声が響く。他のメンバーも同様、声の大きさに遠慮がない。
男が顎で合図する。こっちへ来い。

「は、初めまして、私の名前はっブレイズという。」

集まりの中に身を置く。メンバーの顔をよく見た。全員肌は荒れていて無骨、いわゆる働く男の顔という印象だ。
体格のいい連中が自分の周りを取り囲む。そして頭の上から全員好き放題に声を浴びせて来た。

「頑張んなよ、嬢ちゃん。」モトリッツィ
「足引っ張んなよ。」フォルツァ
「本当にできんのか、この細腕でぇ。」ミュースコーロ
「倒れたりすんのは勘弁なぁ。」オットゥシータ
「そん時ゃ自己責任だ。」プロフォンドー
「ミグリオみたいにな!」リサタ

そうして一斉に笑い出す。雰囲気に押され圧倒されるばかり、ろくに返事できない。
でも割と好意的に受け入れてもらえた。こじれずにすんなり事が運んでよかったと胸を撫で下ろした。
ようやく目的の第一歩踏み出せた。

この発掘チームのリーダーはソット。常に笑顔で、職人気質の粗野なメンバーと違い穏やかな話し方をする、好青年といった印象だ。

「じゃあさっそく仕事に取り掛かろう。」

リーダーの一声でメンバーは湖岸に停泊していた船に次々と乗り込んでいく。
誰一人新入に気を遣う事もなく淡々とした様子。関心がないのだろうか。

まずはメンバーに認められる存在にならなくては、と彼女は感じた。無理を言って入ったのだから相応の働きが求められることだろう。
これも遺跡に近づくまでの、ソルエメラルドの秘密を知る為の試練だ。そう心で唱え気を引き締めた。

遅れを取るまいとあとに続く。
順調すぎる位あっという間の、現地に辿り着いて早々の作業。遺跡との対面を期待し、殿(しんがり)に船へ乗り込んだ。









































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舞台と役者は揃った。さぁ彼女の冒険が始まる。