古事記序文(太安万侶)によると712年(和銅5年)正月28日に完成

第40代天淳中原真人尊(アマノヌナハラオキノマヒトノミコト、天武天皇)〜

第43代日本根子天津御代豊国成姫(ヤマトネコアマツミヨトヨクニナリヒメ、元明天皇)

にかけて作成したとある

天淳中原真人尊 日本根子天津御代豊国成姫は和名

天武天皇、元明天皇は漢風

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天地創造の大昔 高天原に五柱の天神(アマツカミ)がおられました

 

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)

 

高御産巣日神(タカミムスビノカミ)

 

神産巣日神(カミムスビノカミ)の三神と

 

宇麻志阿斯詞備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)

 

天之常立神(アメノトコタチノカミ)の二神(以上 天神五神)

 

さらにニ神加わります

 

国之常立神(クニノトコタチノカミ)と 豊雲野神(トヨクモノノカミ)です

 

以上 七代 すべて単独神です

 

その後さらに七代をヘて

 

伊邪那岐神(イザナギノカミ)と伊邪那美神(イザナミノカミ)の

 

二神がうまれ いよいよ国創りがはじまるのです

 

イザナギとイザナミは 天神より天沼矛(アメノヌボコ)を授けられ

 

天浮橋から矛を海の中へ入れかき混ぜると

淤能碁呂島(オノゴロジマ)ができました

 

イザナギとイザナミは島へおりて 大きな柱を中心に御殿を作ります

 

御殿のまわりをイザナギが右側からイザナミが左側からまわり 

 

行き逢ったところで二神は夫婦のかためをしました

 

しかし その時イザナミが先に声をかけたため 

 

生まれた水蛭子(ヒルコ)は脚が立たなかった のです

 

二人は最初のこの子を川に流してしまいます

 

(後の恵比寿様です)

 

二神はもう一度やりなおし今度はイザナギから声をかけます

 

するとつぎつぎに国がうまれてゆきました

 

淡路 四国 隠岐 九州 壱岐 対馬 佐渡島 

 

そして最後に大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま 本州)

がうまれました

 

八つの島を総称して大八島国といいます

 

イザナギとイザナミは この後いろいろな神をうみだしますが

 

イザナミは火の神をうんだ時の傷がもとで亡くなり

黄泉の国へいってしまいます

 

イザナギは イザナミを 天上界へ連れ戻そうと会いにゆきますが

 

あまりにも変わり果てたイザナミの容姿をみておどろき

一人逃げ帰ってきてしまいます

 

イザナギは禊をして清めようと考え 川で体を洗っていると

 

左目から天照大神(アマテラスオオミカミ) 

 

右目から月読神(ツクヨムノカミ)

 

鼻から須佐之男神(スサノオノカミ)がうまれました

 

天照大神は高天原を治めることになります

 

月読神は夜の世界を治めます

 

須佐之男神は海を治めますが 乱暴だったため地上へ追放されてしまいます

 

 

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高天原では天照大御神が地上界を

 

自分の子の天忍穂耳命に統治させようとかんがえていました

 

でも天忍穂耳命は その任を息子の番能邇々芸命にゆだねたのです

 

天忍穂耳命は年をとっていることもあり 自分が統治することは困難だと考えたからです

 

この頃地上では乱暴で力の強い国つ神がたくさん おり

 各地でかってなことをしてくらしていました

 

まず天照大神は 地上の国つ神たちに使者を送ることにしました 

 

国譲りを促すためです

 

最初に天菩比神(アメノホヒノカミ)が選ばれて地上へ向かいましたが

三年たっても帰ってきませんでした

 

どうも 大国主神に心酔してしまったようです

 

に天若日子(アメワカヒコ)が使者となり地上へ向かいましたが

八年たっても何の音沙汰もありません

 

天若日子は大国主神の娘 下照比売(シタテルヒメ)

と結婚してしまっていたのです

 

天照大神は困ってしまい思金神(オモイカネノカミ)に相談し

 

今度はナキメというキジ(雉名鳴女) を使いに出すことにしました

 

ナキメは天若日子に会い 天照大神の言葉を伝えましたが  

弓矢で射殺されてしまいます

 

その矢はナキメのからだを突き抜け高天原まで飛んでいったのです

 

神々はその矢を見てすべてを理解しました

 

天照大神はおおいに怒り

 

「もし天若日子によこしまな心があるのなら この矢に当たって死ね!」

 

とさけび 矢を地上に投げかえしたのです

 

矢は天若日子の胸につきささり 彼はたちどころに死んでしまいました

 

 

 

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今度の使者は剣神 建御雷之神(タケミカズチノカミ)です

 

お供には船の神 天鳥船神(アメノトリフネノカミ)がついています

 

二人の神は大国主命に会い 天照大神の言葉を伝えます

 

話し合いのすえ 大国主命は承諾し国譲りを約束します

 

息子の八重言代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)も承諾しました

 

もう一人の息子建御名方神(タケミナカタノカミ)は反抗し

 

建御雷之神と戦いましたが敗れて信濃の国の諏訪湖まで逃げてゆきました

 

大国主命は国を譲るかわりに 自分の為に神殿を建ててくれることをたのみました

 

建御雷之神はその願いをかなえ出雲の国の多芸志の浜辺に

 

大きな神殿を建て大国主神を祭りました

 

今の出雲大社です

 

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天照大神の孫 番能邇々芸命が大倭豊秋津島を治めるため 天上より地上へ下ります

-案内人-

 

猿田毘古神(サルタビコノミコト)  

 

-護   衛-  

 

天忍日命(アメノオシヒノミコト)

 

天津久米命(アマツクメノミコト)

 

-お   供-

 

天児屋命(アメノコヤネノミコト)

 

布刀玉命(フトタマノミコト)

 

天宇受売命(アメノウズメノミコト)

 

伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)

 

玉祖命(タマノヤノミコト)等を引き連れ

 

三種の神器といわれる

 

八尺の曲玉(ヤサカノマガタマ)

八咫の鏡(ヤタノカガミ)

天叢雲の剣(アマノムラクモのツルギ)

を持ち 地上界へと出発します

 

三種の神器は源平合戦の時 壇ノ浦で安徳天皇と共に海中に沈みました

 

その後 海底をさがしまわり 曲玉と鏡は見つかりましたが

 

宝剣はみつからず 行方不明のままとなっているのです

 

現在は 伊勢神宮の宝剣 (草薙の剣)を加へ三種の神器としています

 

 

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筑紫の国 日向の高千穂の峰久志布流多気に天下る(古事記 上巻)

番能邇芸神(ホノニニギノミコト)は 

木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)と結婚

 

火照命(ホデリノミコト)  

火須勢理命(ホスセリノミコト) 

火遠理命(ホオリノミコト)

がうまれます

 

火照命は海幸彦(のちに朝廷を警護する隼人となる)

 

火須勢理命 早世してしまう

 

火遠理命は山幸彦 綿津見の神の娘 豊玉毘売(トヨタマヒメ)と結婚し

 

天津日高日子波限建鵜葦草葺不合命
(アマツヒダカヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)
が生まれます

鵜葦草不合命は 豊玉毘売の妹玉依毘売(タマヨリヒメ)と結婚

 

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)をうむことになるのです

後の 神武天皇です

 

 

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五瀬命(イツセノミコ)と弟の若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)は考えました 
日向の国よりももっと東の国のほうがこの国を治めやすいのではなかろうかと
二人はすぐに実行にうつすことにしました
大軍をひきいて日向の国を出発し筑紫の国へとむかい岡田の宮殿で一年
そのあと安芸の国へ移り多祁理(タケリ)の宮殿に七年間いました
さらに 吉備の国の高嶋の宮殿で八年間過ごし 準備を整えたのです
いよいよ東に向かう時がきました 
兄の五瀬命は陸を進みます 弟の若御毛沼命は船で海を進みます
途中宇豆比古(ウズヒコ)が道案内として加わりました 
波速の海をすぎ白肩の港についた時 戦いを挑んできた者があります 
那賀須泥毘古(ナガスネビコ)が兵を集めて待ち構えていたのです 
激しい戦いになりました 両軍に多くの死者負傷者がでました
戦いがたけなわの頃一本の矢が五瀬命の腕に当たりました
那賀須泥毘古の放った矢が当たったのです
傷は重く 東征軍は一旦兵を引きます
五瀬命と若御毛沼命は相談し 太陽に向かって戦うことはよくないということで
責める方向を変え 今度は南から攻めることにしました
ところが紀伊の国の男之水門まできたとき 瀬命は矢の傷がもとで死んでしまいす
若御毛沼命は悲しむ間もなく さらに南へと向かい熊野につきました
そこで八咫烏(ヤタガラス)を道案内に加え北上を開始します
宇陀 忍坂と進み激戦のすえ みごと兄五瀬命のかたき那賀須泥毘古を打ち破りました
さらに邇芸速日命(ニギハヤビノミコト)も応援に駆けつけ他の抵抗勢力をも破り
やっと激しい戦いは終わりをつげました
日向をでてから約二十年 が過ぎていました
若御毛沼命は 大和の国の橿原に宮殿をつくり
辛酉年春正月朔 即位して
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)と名のりました
神武天皇の誕生です
この年を日本歴史の紀元とし皇紀元年とした(古事記 上巻)

 


本年(西暦2023年) 皇紀二千六百八十三年


 

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- 歴代天皇一覧 -

◆ 和 名 ◆ 読 み ◆ 漢風
 1代 神日本磐余彦尊 カムヤマオイワレヒコノミコト 神武天皇
2代 神淳名川耳尊 カンヌナカワミミノミコト 綏靖天皇
3代 礎城津彦玉手看尊 シキツヒコタマデミノミコト 安寧天皇
4代 大日本彦耜友尊 オオヤマトヒコシキノミコト 徳天皇
5代 観松彦香殖稲尊 ミマツヒコカエシネノミコト 考昭天皇
6代 日本足彦国押入尊 ヤマトアシヒコクニオスノミコト 考安天皇
7代 大日本根子彦太瓊尊 オオヤマトネコヒコフトニノミコト 考霊天皇
8代 大日本根子彦国牽尊 オオヤマトネコヒコクニクルノミコト 孝元天皇
9代 稚日本根子彦大日日尊 ワカヤマトネコヒコオオヒビノミコト 開化天皇
10代 御間城入彦五十瓊殖尊 ミマキイリヒコイソニエノミコト 崇人天皇
11代 活目入五十狭家茅尊 イクメイリヒコイソサチノミコト 垂仁天皇
12代 大足彦忍代別尊 オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇
13代 稚足彦尊 ワカタラシヒコノミコト 成務天皇
14代 足仲彦尊 アラシナカツヒコノミコト 仲哀天皇
15代 誉田別尊 ホンダワケノミコト 応神天皇
16代 鷦鷯尊 オオサザキノミコト 仁徳天皇
17代 大兄去来穂別尊 オオエノイザホワケノミコト 履中天皇
18代 多遅比歯夕瑞歯別尊 タジヒノミズハワケノミコト 反正天皇
19代 雄朝津間稚子宿禰尊 オアサズマワクゴノスクネノミコト 允恭天皇
20代 穴穂尊 アナホノミコト 安康天皇
21代 大泊瀬幼武尊 オオハツセワカタケノミコト 雄略天皇
22代 白髪武広国推稚日本根子尊 シラガタケヒコクニオシワカヤマトネコノミコト 清寧天皇
23代 弘計尊 オケノミコト 顕宗天皇
24代 億計尊 オケノミコト 仁賢天皇
25代 小泊瀬稚鷦鷯尊 オハツセノワカサザキノミコト 武烈天皇
26代 男大迹王 オオオドノオオキミ 継体天皇
27代 匂大兄広国押武金日尊 マガリノオオエヒロクニオシタケカナヒノミコト 安閑天皇
28代 武小広国押看尊 タケオヒロクニオシタテノミコト 宣化天皇
29代 天国排開広庭尊 アメクニオシヒラキヒロニワノミコト 欽明天皇
30代 訳語田淳中倉太珠敷尊 オサダノタナクラフトタマシキノミコト 敏達天皇
31代 橘豊日尊 タチバナノトヨヒノミコト 用明天皇
32代 長谷部若雀命 ハツセベノワカサザキノミコト 崇峻天皇
33代 豊御食炊屋姫命 トヨミケカシキヤヒメノミコト 推古天皇
34代 息長足日広額尊 オキナガタラシヒヒロヌカノミコト 舒明天皇
35代 天豊財重日足姫尊 アメトヨタカライカシヒタラシノミコト 皇極天皇
36代 天万豊日尊 アメヨロズトヨロヒノミコト 孝徳天皇
37代 (皇極重祚) アメトヨタカライカシヒタラシノミコト 斉明天皇
38代 天命開別尊 アメンコトヒラカスワケノミコト 天智天皇
39代 大友皇子 オオトモノミコト 弘文天皇
40代 天淳中原真人尊 アマノヌナハラオキノマヒノミコト 天武天皇
41代 大倭根子天之広野日女尊 オオヤマトネコアメノヒロノヒメノミコト 持統天皇
42代 倭根子豊祖父 ヤマトネコトヨオオジ 文武天皇
43代 日本根子天津御代豊国成姫 ヤマトネコアマツミヨトヨクニナリヒメ 元明天皇
44代 日本根子高端浄足姫 アマトネコタカミズキヨタラシヒメ 元正天皇
45代 璽国押開豊桜彦尊 アメシルシクニオシヒラカストヨサクラヒコ 聖武天皇
46代 高野姫 孝謙天皇
47代 淡路排帝 淳仁天皇
48代 (孝謙重祚) 称徳天皇
49代 天宗高紹 アメムネタカツギノミコト 光仁天皇
50代 日本根子皇統弥照尊 アマツヒツギイヤテラスノミコト 桓武天皇
51代 日本根子天推国高彦尊 アメオシクニタカヒコノミコト 平城天皇
52代 神野親王 嵯峨天皇
53代 日本根子天高譲弥遠尊 アメタカユズルイヤトウノミコト 淳和天皇
54代 日本根子天璽豊聡慧尊 アメシルシトヨサオノミコト 仁明天皇
55代 邑帝 文徳天皇
56代 水尾帝 清和天皇
57代 貞明帝 陽成天皇
58代 小松帝 光孝天皇
59代 定省帝 サダミノミコト 宇多天皇
60代 敦仁帝 アツギミノミコト 醍醐天皇
61代 寛明帝 朱雀天皇
62代 成明帝 村上天皇
63代 憲平帝 冷泉天皇
64代 守平帝 円融天皇
65代 師貞帝 花山天皇
66代 懐仁帝 カネヒトノミコト 一条天皇
67代 居貞帝 オキサダノミコト 三条天皇
68代 郭平帝 アツヒラノミコト 後一条天皇
69代 郭良帝 アツナガノミコト 後朱雀天皇
70代 親仁帝 後冷泉天皇
71代 尊仁 後三条天皇
72代 貞仁帝 白河天皇
73代 善仁帝 タルヒトノミコト 堀河天皇
74代 宗仁帝 鳥羽天皇
75代 顕仁帝 崇徳天皇
76代 体仁帝 ナリヒトノミコト 近衛天皇
77代 雅仁帝 後白河天皇
78代 守仁帝 二条天皇
79代 順仁帝 ノブヒトのミコト 六条天皇
80代 憲仁帝 高倉天皇
81代 言仁帝 トキヒトノミコト 安徳天皇
82代 尊成帝 タカヒロノミコト 後鳥羽天皇
83代 為仁帝 土御門天皇
84代 守成帝 順徳天皇
85代 懐成帝 カネナリノミコト 仲恭天皇
86代 茂仁帝 ウタイトノミコト 後白河天皇
87代 秀仁帝 ミツヒトノミコト 四条天皇
88代 邦仁帝 クニヒトノミコト 後嵯峨天皇
89代 久仁帝   後深草天皇
90代 桓仁帝 亀山天皇
91代 世仁帝 ヨヒトノミコト 後宇多天皇
92代 熙仁帝 ヒロヒトノミコト 伏見天皇
93代 胤仁帝 後伏見天皇
94代 邦治帝 後二条天皇
95代 富仁帝 花園天皇
96代 尊治帝 タカハルノミコト 後醍醐天皇
97代 義良帝 ノリナガノミコト 後村上天皇
98代 寛成帝 長慶天皇
99代 熙成帝 ヒロナリノミコト 後亀山天皇
100代 幹仁帝 モリヒトノミコト 後小松天皇
101代 実仁帝 称光天皇
102代 彦仁帝 後花園天皇
103代 成仁帝 フサヒトノミコト 後土御門天皇
104代 勝仁帝 後柏原天皇
105代 知仁帝 後奈良天皇
106代 方仁帝 ミチヒトノミコト 正親町天皇
107代 和仁帝 カズヒトノミコト 後陽成天皇
108代 政仁帝 コトヒトノミコト 後水尾天皇
109代 興子帝 オキコノミコト 明正天皇
110代 紹仁帝 ツグヒトノミコト 後光明天皇
111代 良仁帝 ナガヒトノミコト 後西天皇
112代 職仁帝 サトヒトノミコト 霊元天皇
113代 朝仁帝 東山天皇
114代 慶仁帝 ヤスヒトノミコト 中御門天皇
115代 昭仁帝 桜町天皇
116代 遐仁帝 トウヒトノミコト 桃園天皇
117代 智子帝 後桜町天皇
118代 英仁帝 後桃園天皇
119代 兼仁帝 トモヒトノミコト 光格天皇
120代 恵仁帝 アヤヒトノミコト 仁孝天皇
121代 統仁帝 オサヒトノミコト 孝明天皇
122代 睦仁帝 サチノミヤ 明治天皇
123代 嘉仁帝 ハルノミヤ 大正天皇
124代 裕仁帝 ミチノミヤ 昭和天皇
125代 明仁帝 ツグノミヤ 平成天皇
126代 今上帝 ヒロノミヤ

 

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只浦吉博