高校U    高校Tの続きです。

 今となってはどうしてなのか分からないが、私は声も低いしギターも弾けないしドラムも叩けない (ドラムに至っては譜面の読み方すら分からない)というのに、無意味にもバンドスコアを買ったりしていた。 それでもなんとなくうれしかったことは覚えている。

 さらには、Crucify My Loveのピアノ伴奏をまたもや無意味にも練習していた。伴奏だけでは やはりつまらなかったので、友人にヴォーカルをなんとなく歌ってもらったこともあったし、以前コーラスをやっていたという高校の 先生にボーカルを歌ってもらって、音楽室でピアノとボーカルのみのCrucify My Loveを録音したこともあった。 今から考えてみればいったい何をやってんだ、という感じだが…。

 ところで、アルバム『DAHLIA』が発売された時のことは忘れられない。というのも、 『DAHLIA』は私が本格的にXのファンになってから初めてのアルバムで、発売日を 待ちこがれてやっと手に入れた初のアルバムだったからである。あのときの飛び跳ねるように嬉しかった気持ちは今でも 鮮明に覚えている。しかもあの時は、公式の発売予定日が96年11月4日だったにもかかわらず、CD屋では3日も前の 11月1日に発売されたため、思いがけず早く手に入って喜びが倍だったことも忘れられない。

 そんなこんなで高校3年間はXのことばかり考えてたような気もする。といっても、その3年間の 後半は楽しいことばかりではなかったのだが…。


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どうでもいい話
 タレントの中山秀征について。中山秀征はテレビ欄では「ヒデ」と表記されることがある。X のメンバーはテレビ欄ではなぜか「ヨシキ」「トシ」「ヒデ」と、カタカナで表記される。… 「ヒデ」がかぶるじゃないか!
 Xバカだった私は当然、中山の「ヒデ」をXの hideと勘違いするわけで、「お笑い番組になぜhideが?」とマヌケな疑問を抱きつつ、いつもビデオをセットしていた…。 そしてその番組を見て初めて、「ヒデ」とはhideではなく、タレントの中山「ヒデ」征だったことに気がつくのであった。
 どう考えても勝手に勘違いしていた私が悪いわけだが、無性に中山秀征に対して腹が立って「軽々しくヒデなどと 名乗るな、このヴォケが!!」と、心の中で文句を言うのであった…。

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