1997年9月22日。 Xが解散した日。忘れたくても忘れられない日である。 Xが解散することを知ったのは、当日のめざましテレビの軽部のコーナーだった。いつも通り 学校へ行く準備をしながら何気なくテレビを見ていると、突然Crucify My Loveが流れ出し、「おっ!Xのニュースか」と思ってわくわくしながら見ていたら何と『X解散』 のニュースだった。もう、驚いたとしか言いようがなかった。何の前ぶれもない突然の解散発表だったのだから…。 しかも、この解散発表の数日前に西城秀樹と一緒にYOSHIKIがミュージックステーションに出演した(西城秀樹に『moment』という曲を提供し、自らもキーボードで参加していた)とき、「年内にXの新曲が出ます。」 と公言していたから、尚のことXの解散なんて思いもよらなかった。このMステのときの 「新曲」とは『The Last Song』のことだったのだ…。YOSHIKIは別にウソをついたわけではなかったが、少し罪深い発言であった…。 というわけであの日のめざましテレビは忘れられない。BGMのCrucify My Loveがとても悲しく、気分を落ち込ませた。 軽部の顔は、私を鬱にさせた。「これから何を楽しみにして生きていくんだ?」などと、くだらないことを本気で考えたりもした。 また、当時私の家は読売新聞を購読していたのだが、なんと一面広告でXの解散を知らせる記事が載っており、完全にノックアウトさせられたような気持ちになったのをよく覚えている。 そして、9月22日の解散記者会見はさらに悲しいものだった。TOSHIがいない。 「もう既に(97年4月に)脱退しているので彼はX JAPANのメンバーではありません。」だから、記者会見にも来ていない、と YOSHIKIは説明した。いくらなんでも寂しすぎる説明だった。のちの雑誌のインタビュー等でファンにも明らかになったのだが、 実はTOSHIが会見に同席していなかったことについて、TOSHIとYOSHIKIの主張が食い違っている(TOSHIは 「記者会見のことについて全く聞かされていない」と言い、YOSHIKIは「日程についてきっちりとTOSHIの事務所に連絡した」 と言っている)。そのため、はっきりとした理由はよく分からないが、Xの人気を支えてきた中心人物 であり、Xの魂の代弁者とでも言うべきTOSHIが記者会見の場にいなかったという 事実は、理由はどうあれ悲しいことだった。
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解散の直接の原因となったTOSHIの脱退の理由は、「音楽性の違い」だったが、これは十分にうなづける理由であった。
解散発表のちょうど8ヶ月前にTOSHIのニューアルバム『碧い宇宙の旅人』が発売されたが、アコースティックなサウンドへの傾倒は顕著だったし、何よりも歌詞の内容がYOSHIKIの詞とは180°違った、
優しさに満ち溢れたものだったからだ。『碧い宇宙の旅人』を聴けば、TOSHIが脱退するのも無理はなかったことが
少しは理解できると思う。
記者会見において、ひっきりなしにコップの水を飲んで、涙をこらえるようにしていたYOSHIKIの辛そうな表情が 今でも忘れられない。
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