hideの死

 1998年5月2日、hideが亡くなった。享年33歳。

 3日のスーパーニュースで安藤優子がhideの死を伝えていた様子が昨日のように思い出される。呆然とした…。 あまりにも唐突すぎて、ハァ?という感じだったのをよく覚えている。

 今では、事故死ということで蹴りがついているようだが(ギタリスト特有の肩こりを治すためのマッサージをやろうとして、 酔っていたせいもあってあやまって首を締めてしまった)、当時は事故か自殺かでかなりの議論になっていたように思う。 「ピンクスパイダーの歌詞中の『もうダメだ』や『失敗だ』といったフレーズは当時のhideの心境を表しており、遺書ともとれる」 などと大真面目に議論していたのだ。今から考えればなんかバカらしいけれど、当時はけっこうその情報に左右されたものだ。

 それにしても、5月4日のYOSHIKIの涙のメッセージは今でも鮮明に覚えている。非常に印象的だった。

「今回突然彼の死を聞いて、とてもショックです。信じられない気持ちです。今とてもきれいな顔をして眠っています。 何度も起こそうとしましたが、彼は眠ったままです。
彼はX JAPANの中でも一番冷静に物事を考える人でした。リーダーでありながら短気で 衝動的な僕に、いつも的確な助言をくれました。
  −中略−
いつも僕らを励まし、支えてくれたhideを、今は僕らやファンのみんなの力で、素敵に送ってあげましょう。彼の永遠の眠りを あたたかく見守ってあげてください。
X JAPAN リーダー
YOSHIKI 」
 「何度も起こそうとしましたが、彼は眠ったままです」…名言である…。しかし、数あるYOSHIKIの名言の中でも 最高の名言を、YOSHIKIは最後に言ってくれた。
X JAPAN リーダー YOSHIKI」
 「X JAPAN」の前に、「元」をつけなかった。私はこの言葉を聞いて本当に涙を流しそうになった。嬉しすぎた。YOSHIKIは今でもやっぱり「X JAPANのYOSHIKI」だったのだ。解散してもYOSHIKIは永遠に「X JAPANのYOSHIKI」なのだ。ファンの気持ち、hideの気持ちなどを考慮した上での「X JAPAN」発言でもあった だろうが、しかし、これはYOSHIKIの本心であったととるべきである。もしそうでなかったとしても私は断固として、「X JAPAN」発言はYOSHIKIの本心と解釈する。YOSHIKIにとってX JAPANは、他のなにものにも代えられない、何よりも大切なものなのだ(少し大袈裟か…)。

 なにはともあれ、このYOSHIKIの涙のメッセージはファンの心とhideの心をとらえて離さない、歴史上最も 偉大な発言の一つとなったわけであるが、この後の他の4人のメンバーによる記者会見で、またもや衝撃的な 発言がYOSHIKIの口から飛び出した。

「新しいボーカルを探して、2000年にXを再結成しようとhideと話していました。」

 あぁぁ…、なんということか…

 hide亡き今、Xの再結成は絶たれたわけである。絶望的な気持ちになった。PATAや heathが再結成に尽力するとは思えないし、ましてやTOSHIはそんなことあり得るはずがない。hideが亡くなったことでXの再結成は完全に絶たれたのであった。


 hideの死は社会現象になり、後追い自殺をする者も現れた。hideの故郷である神奈川県の横須賀には、2000年 7月20日にhide MUSEUMという、hideの博物館も創設された。骨髄バンクに自ら登録し、社会活動においても積極的な 行動が目立ったhide。hideの生き様から学ぶことも多い。

 今は、安らかに眠ってくださいというほかない。

 葬儀の様子
 葬儀の様子

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