日本の北方関連 |
ロシア(青字は周辺情勢) |
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1762年 |
エカチェリーナ2世即位(〜1796)。 |
1769年 |
田沼意次老中格となる。 |
1768年 |
露土戦争はじまる(〜1774) |
1772年 |
樽廻船、菱垣廻船問屋株を公認。 |
1771年 |
ロシア、クリミア半島を攻略。 |
1774年 |
飛騨屋久兵衛、松前藩から請け負ったクナシリ島など四場所の交易を開始(⇒1789.5) |
1774年 |
クチュク=カイナルジ条約;ロシアはトルコ軍に大勝し、ドニエプル等を得て、黒海へ進出。クリム=ハン国をトルコの宗主権から独立させる。 |
1778年 |
6‐ロシア船2隻、蝦夷地厚岸に来て松前藩に通商を要求。 |
1777年 |
アメリカ合衆国建国 |
1779年 |
5‐松前藩領漁民、俵物など一手買占めに反対して強訴。 |
1778年 |
イギリス、フランスに宣戦。フランス、アメリカ独立を承認。 |
8‐松前藩、ロシア船の通商要求を拒否。 |
1783年 |
1‐工藤平助『赤蝦夷風説考』 |
1783年 |
伊勢の船頭大黒屋光太夫ら、アリューシャンに漂流。 |
1784年 |
ロシア、トルコにクリム=ハン国の併合を認めさせる。 |
1786年 |
最上徳内、千島探検でウルップ島に至る。 |
8‐田沼意次解任 |
1787年 |
4‐将軍家斉就任。 6‐松平定信、老中筆頭となる |
1787年 |
8‐トルコ、ロシアに宣戦 |
1789年 |
5‐クナシリ島のアイヌ蜂起。 |
1789年 |
フランス革命 |
1790年 |
9‐オランダ貿易、船1隻、銅60万斤に制限。 |
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11‐関八州の綿実売買の問屋・仲買停止。 |
1791年 |
9‐異国船渡来の際の処置、指示される。 |
1792年 |
9‐ロシア使節ラクスマン、漂流民大黒屋光太夫を連れて根室に来航、通商を要求。 |
1792年 |
ロシア軍、ポーランドに進駐。 |
12‐幕府、外国船取り扱いについて再令 |
トルコ、南ブグ、ドニエストル両河をロシアに割譲。 |
5‐林子平『海国兵談』みだりに外交戦略を論じたとして、絶版となり、処罰される。 |
1793年 |
6‐ラクスマン、幕府役人と松前で会談、長崎入港の信牌を与えられる。 |
1793年 |
プロシアとロシアで第二次ポーランド分割合意。 |
7‐松平定信解任。将軍家斉、親政。 |
9‐将軍家斉、江戸城にて大黒屋光太夫を引見。 |
英国よりオーストラリアへはじめて自由民が移住する |
1794年 |
8‐桂川甫周、大黒屋光太夫から聴取し、『北槎聞略』成る。 |
1794年 |
ロシア、ポーランドの愛国者の武装蜂起を武力鎮圧 |
1795年 |
イギリス東インド会社マラッカ占領。イギリス、2‐セイロン島を占領。 |
1796年 |
8‐イギリス、室蘭に来航、日本沿海を測量。 |
1796年 |
エカチェリーナ2世没(1762〜)。パーヴェル1世即位(〜1801) |
1797年 |
11‐ロシア人、エトロフ島に上陸。 |
ナポレオン、イタリア遠征開始。 |
1798年 |
3-幕府、蝦夷地へ調査団を派遣(近藤重蔵、最上徳内ら)。近藤重蔵、エトロフ島に「大日本恵登呂府」の標柱を立てる。 |
1798年 |
12-ロシア、イギリスと対仏同盟を結ぶ。 |
1799年 |
1‐幕府、松前藩の東蝦夷地支配権を取り上げ直轄化。 |
1799年 |
ロシア軍、ナポレオンに対抗し、イタリア進駐。トリノ、ミラノを占領。 |
高田屋嘉兵衛、エトロフ航路を開く。 |
10-パーヴェル1世、対仏大同盟を離脱し、イタリアから撤退。 |
1800年 |
4‐伊能忠敬、蝦夷地の測量開始。 |
1800年 |
パーヴェル1世、イギリスのマルタ島占領に抗議して、ロシアの港に停泊中のイギリス船を押収。親英反仏から反英親仏政策へ。 |
1801年 |
6‐富山元十郎ら、ウルップ島に「天地長久大日本属島」の標柱を立てる。 |
1801年 |
3-パーヴェル1世暗殺(1796〜)。アレクサンドル1世即位(〜1825) |
1802年 |
2‐幕府、蝦夷奉行(のち箱館奉行と改称)を設置。 |
1803年 |
7‐アメリカ、長崎に来航し通商を要求するが幕府拒絶。 |
1803年 |
2‐地主に農奴解放権を与える。 |
9‐イギリス、長崎に入港。 |
1804年 |
9‐ロシア使節レザノフ、長崎に漂流民を護送、ロシア皇帝の国書を持参し、通商を要求。 |
1804年 |
グルジア、アゼルバイジャン領有をめぐり、第一次ペルシア=ロシア戦争(〜1813) |
1805年 |
3‐幕府、レザノフを上陸させず、通商を拒絶。 |
5‐アレクサンドル1世、プロシアと防衛協定を結ぶ。 9‐フランス、ロシアと国交断絶。 11-ロシア、オーストリアと同盟。 |
1806年 |
9‐レザノフのロシア船、樺太、蝦夷地を荒らす。 |
1806年 |
トルコと戦争(〜1812) |
1807年 |
2‐幕府、西蝦夷を直轄化。松前氏を陸奥国へ移封。 |
1807年 |
11‐ナポレオンの大陸封鎖に協力し、イギリスとの外交を断絶。 |
4‐ロシア船、エトロフ島に侵入。 |
5‐幕府、秋田、庄内藩に蝦夷地出兵を、津軽、南部藩に増兵を命じ、箱館奉行への助成を行う。 |
5‐ロシア船、礼文島、利尻島に侵入。 |
8‐神谷勘右衛門にクナシリ島、近藤重蔵に利尻島を巡視させる。 |
1808年 |
4-間宮林蔵、松田伝十郎ら、樺太を探検。 |
1808年 |
フィンランドをめぐり、スウェーデンと戦争(〜1809) |
1809年 |
6‐樺太を北蝦夷と改称。 |
1809年 |
5‐ナポレオン、教皇領をフランス帝国に併合。 6-教皇ピウス7世、ナポレオンを破門。 7-ナポレオン教皇を幽閉。 |
7‐間宮林蔵、黒竜江地方を探検し、間宮海峡を発見。 |
ロシア、スウェーデンと和議し、フィンランドを獲得。 |
1810年 |
ナポレオンがオランダを併合したことにより、オランダの長崎来航中断。 |
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1811年 |
6‐ロシア艦ゴローニンをクナシリ島で捕縛。 |
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8‐ゴローニンを松前に移送。 |
1811年 |
ロシア、トルコ領のベオグラードを占領。 |
1812年 |
8‐高田屋嘉兵衛、クナシリ島沖でロシア艦に捕らえられ、カムチャッカに連行される。 |
1812年 |
4-アレクサンドル1世、ナポレオンに最後通牒。5-ナポレオン、ロシア遠征へ出発。 9-ナポレオン、モスクワ入城。10-ナポレオン軍モスクワ撤退。11-ナポレオン軍、ベルジナ川強行渡河で壊滅状態に。 |
1813年 |
5‐ロシア艦クナシリ島で高田屋嘉兵衛を介して、ゴローニン釈放を要求。 |
9‐高田屋嘉兵衛とゴローニンを交換釈放。 |
1814年 |
4-ナポレオン退位。 5-エルバ島へ流刑。 |