Title9-3.GIF (2758 バイト) 『菜の花の沖』   

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〜 読書記録(目次、概略、感想、関連年表) 〜

『菜の花の沖』

司馬遼太郎著

文芸春秋社 1982年6月25日発刊

目 次

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第一巻 都志の浦/潮騒/瓦船/網屋のおふさ/妻問い/村抜け/兵庫/海へ/樽廻船/春の海/出船/潮路

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第二巻 北風の湯/松右衛門/オランダ船/熊野鰹/北風荘右衛門/大難/薬師丸/松前の夢/北前/和田岬

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第三巻 嘉兵衛の海/春疾風/辰悦丸/松前/箱館/野菊の浜/寛政十年/蝦夷地の月/春信

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四巻 波濤/重蔵/三筋の島/択捉島雑記/帰帆/東の大難/転変/択捉十五万石

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第五巻 林蔵/高田屋雑記/ロシア事情/続・ロシア事情/レザノフ記/カラフト記/暴走記/ゴローニン/嘉兵衛船

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第六巻 遭遇/北へ/カムチャッカ/冬営/無明/流氷の海へ/泊村の海/日本陣屋/展開/箱館好日/晩霞

 

概 略

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第一巻 都志の浦/潮騒/瓦船/網屋のおふさ/妻問い/村抜け/兵庫/海へ/樽廻船/春の海/出船/潮路

淡路島の嘉兵衛は、貧しく少年のときから漁師となる。その性格が海に合っていた。新在家の村にいながら、当時の習慣である若衆宿は実家のある本村に属した。このことが新在家の中で彼を孤立させ、いじめられることとなる。そんな中新在家の網元の娘おふさとの仲を疑われいっそう迫害がひどくなる。嘉兵衛はおふさに気持ちを打ち明け、一夜の夫婦となり、村を抜ける。その後、兵庫の港へ行き、知り合いの堺屋の水主(かこ)となるが、海や操船技術に対する強い探究心から、またたく間に信頼を得て、船頭となる。

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第二巻 北風の湯/松右衛門/オランダ船/熊野鰹/北風荘右衛門/大難/薬師丸/松前の夢/北前/和田岬

江戸中期、「北前船」といわれる千石船が海運の花形であった。嘉兵衛は、兵庫の北風家や多くの成功者などとの邂逅を通して、持ち船船頭になる大志をいだく。そんな中、松右衛門からの紹介で、筏(いかだ)に帆をかけ、江戸を運搬するという冒険航海にいどむ。これを成功させて名声を得た嘉兵衛は、難破した薬師丸を修理して使えることとなり、その夢の実現へ第一歩を踏み出す。

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第三巻 嘉兵衛の海/春疾風/辰悦丸/松前/箱館/野菊の浜/寛政十年/蝦夷地の月/春信  

嘉兵衛は辰悦丸という日本で当時最大級かつ堅牢な千石船を作る。これを松前、箱館との北前交易に投じる。当時、松前藩は蝦夷人であるアイヌに対して圧制を敷き、幕府内からも批判がでていた。また、ロシアの南下に対してなすすべのない松前藩に代わって、幕府は蝦夷地経営に自ら乗り出そうとしていた。

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四 巻 波濤/重蔵/三筋の島/択捉島雑記/帰帆/東の大難/転変/択捉十五万石

幕府は自ら漁場経営に乗り出したが、航路開拓、漁場経営に関して経験がなく、そもそも幕府の侍役人が自らそのような事業にかかわることはかつてなかった。そこで幕府は箱館に進出していた嘉兵衛に目をつける。嘉兵衛は商売を犠牲しながらも、クナシリ島からエトロフ島への早い潮流の中での航路開拓など新しい夢に向かって突き進む。

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第五 巻 林蔵/高田屋雑記/ロシア事情/続・ロシア事情/レザノフ記/カラフト記/暴走記/ゴローニン/嘉兵衛船

嘉兵衛より18歳年長の大黒屋光太夫は、ロシアのラスクマンに伴われて帰国を果たした(1792年)が、これらの機会を利用し、ロシアは日本との交易開始を望んでいた。時たま漂着する日本人を日本語学校の教師にするなど、ロシアでは対日本との国交のための準備が進められていた。ロシアの極東での南下は、黒てん、ラッコなどの毛皮を求めての結果であった。レザノフは露米会社という会社の経営者でありながら、皇帝の侍従となり、遣日使節となって長崎にきたが、門前払いされる。レザノフはその腹いせに蝦夷の港を攻撃するよう部下に命じた。攻撃を受けた日本はロシアに対して厳戒態勢をとったが、その後、クナシリ島で物資補給の要請をしたゴローニンをだまして拘束してしまう。

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第六 巻 遭遇/北へ/カムチャッカ/冬営/無明/流氷の海へ/泊村の海/日本陣屋/展開/箱館好日/晩霞

ゴローニンの部下であるリコルド少佐は、再びクナシリ島へ来て、ゴローニンの釈放を要求するが、日本は応じようとしない。そこへ嘉兵衛が乗った船がその港に入って来た。リコルドはその船を拿捕し、嘉兵衛を人質として連行することにした。5人が嘉兵衛についていく事となった。ロシア側は嘉兵衛を捉えたが、その態度などからただ者でないことを知る。リコルドは嘉兵衛を艦長室に泊まらせ、寝起きをともにする。ここから嘉兵衛はロシア側と北の海の平和のために、対露交渉を自分が行おうと決心する。彼の一冬のオホーツク抑留を通しての悲壮な戦いがはじまる。ゴローニン救出のために艦隊を派遣し圧力をかけようとするロシアに対し、レザノフの攻撃に対して謝罪をすること、そして平和裡に解決するためにそのような圧力をかけるようなことはしないことをロシア側に対して強行に主張し、そのように事が運ばれる。

当時鎖国中の日本では、例えそれが漂流であっても外国へ行ったり、交渉したりすることは厳禁されていたが、強制連行された嘉兵衛については、お咎めはなく、褒賞金さえ下賜された。しかし、嘉兵衛はこの事件を契機に事業を弟に譲り、淡路に隠居をしたそうである。

感 想

嘉兵衛のことを知ってファンになり日本に来たロシア人がいた。神田の教会にその名を残すニコライである。ほとんどはじめての日露外交交渉を行ったのが、幕府御雇い船頭とはいうもののほとんど武士とは言えない高田屋嘉兵衛であったというのはまさに驚きである。鎖国中の日本にあって、嘉兵衛のような広い視野と、冷静さをもって対処できる日本人がいたということも、また驚きである。

司馬遼太郎は現在もロシアと協議の対象となっている北方領土問題の歴史的な背景にも触れようとしていると思われる。そこにはもちろん感情的な主張があるわけではなく、淡々と歴史的な事実を積み重ねていく。それに日本や中国の「版図」という考え方とヨーロッパ的な「領土」の考え方の違いもあり、管理されていない土地や島を見つけると、それを「領土」と主張していくヨーロッパのやり方が、19世紀に極東でも侵食を許すことになったということかもしれない。

 

2003.12 読了

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「菜の花の沖」関連年表

日本の北方関連 ロシア(青字は周辺情勢)
  1762年 エカチェリーナ2世即位(〜1796)。
1769年 田沼意次老中格となる。 1768年 露土戦争はじまる(〜1774)
1772年 樽廻船、菱垣廻船問屋株を公認。 1771年 ロシア、クリミア半島を攻略。
1774年 飛騨屋久兵衛、松前藩から請け負ったクナシリ島など四場所の交易を開始(⇒1789.5) 1774年 クチュク=カイナルジ条約;ロシアはトルコ軍に大勝し、ドニエプル等を得て、黒海へ進出。クリム=ハン国をトルコの宗主権から独立させる。
1778年 6‐ロシア船2隻、蝦夷地厚岸に来て松前藩に通商を要求。 1777年 アメリカ合衆国建国
1779年 5‐松前藩領漁民、俵物など一手買占めに反対して強訴。 1778年 イギリス、フランスに宣戦。フランス、アメリカ独立を承認。
8‐松前藩、ロシア船の通商要求を拒否。
1783年 1‐工藤平助『赤蝦夷風説考』
1783年 伊勢の船頭大黒屋光太夫ら、アリューシャンに漂流。 1784年 ロシア、トルコにクリム=ハン国の併合を認めさせる。
1786年 最上徳内、千島探検でウルップ島に至る。
8‐田沼意次解任
1787年 4‐将軍家斉就任。 6‐松平定信、老中筆頭となる 1787年 8‐トルコ、ロシアに宣戦
1789年 5‐クナシリ島のアイヌ蜂起。 1789年 フランス革命
1790年 9‐オランダ貿易、船1隻、銅60万斤に制限。
  11‐関八州の綿実売買の問屋・仲買停止。
1791年 9‐異国船渡来の際の処置、指示される。
1792年 9‐ロシア使節ラクスマン、漂流民大黒屋光太夫を連れて根室に来航、通商を要求。 1792年 ロシア軍、ポーランドに進駐。
12‐幕府、外国船取り扱いについて再令 トルコ、南ブグ、ドニエストル両河をロシアに割譲。
5‐林子平『海国兵談』みだりに外交戦略を論じたとして、絶版となり、処罰される。
1793年 6‐ラクスマン、幕府役人と松前で会談、長崎入港の信牌を与えられる。 1793年 プロシアとロシアで第二次ポーランド分割合意。
7‐松平定信解任。将軍家斉、親政。
9‐将軍家斉、江戸城にて大黒屋光太夫を引見。 英国よりオーストラリアへはじめて自由民が移住する
1794年 8‐桂川甫周、大黒屋光太夫から聴取し、『北槎聞略』成る。 1794年 ロシア、ポーランドの愛国者の武装蜂起を武力鎮圧
1795年 イギリス東インド会社マラッカ占領。イギリス、2‐セイロン島を占領。
1796年 8‐イギリス、室蘭に来航、日本沿海を測量。 1796年 エカチェリーナ2世没(1762〜)。パーヴェル1世即位(〜1801)
1797年 11‐ロシア人、エトロフ島に上陸。 ナポレオン、イタリア遠征開始。
1798年 3-幕府、蝦夷地へ調査団を派遣(近藤重蔵、最上徳内ら)。近藤重蔵、エトロフ島に「大日本恵登呂府」の標柱を立てる。 1798年 12-ロシア、イギリスと対仏同盟を結ぶ。
1799年 1‐幕府、松前藩の東蝦夷地支配権を取り上げ直轄化。 1799年 ロシア軍、ナポレオンに対抗し、イタリア進駐。トリノ、ミラノを占領。
高田屋嘉兵衛、エトロフ航路を開く。 10-パーヴェル1世、対仏大同盟を離脱し、イタリアから撤退。
1800年 4‐伊能忠敬、蝦夷地の測量開始。 1800年 パーヴェル1世、イギリスのマルタ島占領に抗議して、ロシアの港に停泊中のイギリス船を押収。親英反仏から反英親仏政策へ。
1801年 6‐富山元十郎ら、ウルップ島に「天地長久大日本属島」の標柱を立てる。 1801年 3-パーヴェル1世暗殺(1796〜)。アレクサンドル1世即位(〜1825)
1802年 2‐幕府、蝦夷奉行(のち箱館奉行と改称)を設置。
1803年 7‐アメリカ、長崎に来航し通商を要求するが幕府拒絶。 1803年 2‐地主に農奴解放権を与える。
9‐イギリス、長崎に入港。
1804年 9‐ロシア使節レザノフ、長崎に漂流民を護送、ロシア皇帝の国書を持参し、通商を要求。 1804年 グルジア、アゼルバイジャン領有をめぐり、第一次ペルシア=ロシア戦争(〜1813)
1805年 3‐幕府、レザノフを上陸させず、通商を拒絶。 5‐アレクサンドル1世、プロシアと防衛協定を結ぶ。 9‐フランス、ロシアと国交断絶。 11-ロシア、オーストリアと同盟。
1806年 9‐レザノフのロシア船、樺太、蝦夷地を荒らす。 1806年 トルコと戦争(〜1812)
1807年 2‐幕府、西蝦夷を直轄化。松前氏を陸奥国へ移封。 1807年 11‐ナポレオンの大陸封鎖に協力し、イギリスとの外交を断絶。
4‐ロシア船、エトロフ島に侵入。
5‐幕府、秋田、庄内藩に蝦夷地出兵を、津軽、南部藩に増兵を命じ、箱館奉行への助成を行う。
5‐ロシア船、礼文島、利尻島に侵入。
8‐神谷勘右衛門にクナシリ島、近藤重蔵に利尻島を巡視させる。
1808年 4-間宮林蔵、松田伝十郎ら、樺太を探検。 1808年 フィンランドをめぐり、スウェーデンと戦争(〜1809)
1809年 6‐樺太を北蝦夷と改称。 1809年 5‐ナポレオン、教皇領をフランス帝国に併合。 6-教皇ピウス7世、ナポレオンを破門。 7-ナポレオン教皇を幽閉。
7‐間宮林蔵、黒竜江地方を探検し、間宮海峡を発見。 ロシア、スウェーデンと和議し、フィンランドを獲得。
1810年 ナポレオンがオランダを併合したことにより、オランダの長崎来航中断。    
1811年 6‐ロシア艦ゴローニンをクナシリ島で捕縛。    
8‐ゴローニンを松前に移送。 1811年 ロシア、トルコ領のベオグラードを占領。
1812年 8‐高田屋嘉兵衛、クナシリ島沖でロシア艦に捕らえられ、カムチャッカに連行される。 1812年 4-アレクサンドル1世、ナポレオンに最後通牒。5-ナポレオン、ロシア遠征へ出発。 9-ナポレオン、モスクワ入城。10-ナポレオン軍モスクワ撤退。11-ナポレオン軍、ベルジナ川強行渡河で壊滅状態に。
1813年 5‐ロシア艦クナシリ島で高田屋嘉兵衛を介して、ゴローニン釈放を要求。
9‐高田屋嘉兵衛とゴローニンを交換釈放。 1814年 4-ナポレオン退位。 5-エルバ島へ流刑。

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