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[ 参考書籍 ]

〜 読書記録 〜

『モンゴルvs.西欧vs.イスラム 13世紀の世界大戦』

伊藤 敏樹 著

講談社選書 2004年5月10日発刊

目 次

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第一章 モンゴル軍の西進

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第二章 第七次十字軍の迷走

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第三章 モンゴルのイスラム進攻作戦

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第四章 西欧対モンゴル・モンゴル対イスラム・西欧対イスラム

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第五章 西欧大反攻

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第六章 三つ巴の行方

 

概 略

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第一章 モンゴル軍の西進

1.蹂躙される中央、西アジア

2.ロシア・東欧侵攻

3.モンゴル覇権の余波

4.教皇のイニシアティブ

 

 

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第二章 第七次十字軍の迷走

1.西欧軍を率いる人

2.深まる接触、広がる知識

3.マンスーラの大合戦

4.キリストに倣いて

 

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第三章 モンゴルのイスラム進攻作戦

1.新大汗マングの指令

2.「山の長老」殲滅

3.バグダッドの落日

4.フラグ、シリアへ進撃

 

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第四章 西欧対モンゴル・モンゴル対イスラム・西欧対イスラム

1.タタール怖し

2.イル汗退潮・マムルーク興隆

3.西欧が受けた二つの衝撃

4.妥協なきバイバルス

5.イスラムを背負う者

 

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第五章 西欧大反攻

1.反撃ののろし

2.教皇の戦士シャルル

3.第八次十字軍−東欧へ聖地へビザンツへ

4.十字軍艦隊チュニスへ

 

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第六章 三つ巴の行方

1.ルイ王亡き後

2.聖地争奪戦の結末

3.各勢力の思惑

4.旭日

 

感 想

13世紀東アジアを征服したモンゴルは西征を開始した。 ホラズム帝国を倒し、南はインド、北はロシアなどに侵入しながら、西アジアを征し、ヨーロッパに迫ってきた。イスラム世界では当時エジプトに中心をおくアイユーブ朝があったが、バグダッドにいるカリフの力も低下し、求心力もおちていた。次々とモンゴルに征服されていく事態にイスラム世界は対抗できなかった。ヨーロッパでは当初モンゴル軍はイスラム世界をたたいてくれる同士としての期待をも持ったが、それはヨーロッパをも支配下に置こうとする意思を知り、パニック状態となった。

西欧でも教皇やフランス国王が外交などによりけん制したが、ロシア、東欧などが徐々にモンゴルの支配下におかれていった。

しかし、急速に拡大したモンゴルも一枚岩ではなく、ロシア方面のキプチャク=ハン国とペルシア方面のイル=ハン国で内紛があり、西進の勢いはようやく衰えを見せた。

イスラム世界では、アイユーブ朝を倒したマムルーク朝が隆盛となり、モンゴルを防ぐと同時に、ヨーロッパ、特に十字軍以来、聖地パレスチナに居座っている勢力に対して攻勢を強めた。

このような状況の中、宮廷にキリスト教徒が多いイル=ハン国は西欧へ近づき、キプチャク=ハン国はマムルークに接近した。つまり、たすきがけの状態となり、それが交わるコンスタンティノープルは政治、軍事的に争奪の地となる。十字軍によりラテン帝国が置かれ、キリスト教世界のイスラムに対する障壁となっていたが、ビザンツ帝国がこれを奪い、イスラムとキリストのバランスの上に均衡を図っていた。

キリスト教対イスラム教という単純な対立軸だけではない。例えば、キリスト教世界の中心的な存在であったフランス国王シャルルは、シチリア王を兼ねていたが、シチリア王としてはマムルークと不可侵の条約を結んでいた。結局、聖地パレスティナが争いの地となり、第一次十字軍以来、聖地にいたキリスト教勢力はマムルーク朝のバイバルスによって、一掃されることになる。

(*年を入れる)

2006.03 読了

参考資料