Title9-3.GIF (2758 バイト) 『神の代理人』             

[ 参考書籍 ]

〜 読書記録 〜

『神の代理人』

塩野七生著

新潮社 2001年9月25日発刊

目 次

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最後の十字軍

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アレッサンドロ6世とサヴォナローラ

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と十字架

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ローマ・十六世紀初頭

 

概 略

塩野七生ルネッサンス著作集

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最後の十字軍

年々勢力を拡大し、ヨーロッパ、つまりキリスト教世界を侵食しつつあった、オスマン・トルコ帝国のマホメッド二世に対して、1464年に十字軍遠征を提唱した法王ピオ二世について。清貧な法王であったが、キリスト教世界を守り、そして十字軍遠征によって各国君主たちに対して、キリスト教会の威信をとりもどし、さらにには教会改革論者の非難にも答えようとした。しかし、第一回十字軍から350年、最後の第八回十字軍からでも200年が経過していた。すでに各国はそれぞれの政治情勢と自らの思惑で、行動を決めようとしており、純粋にキリスト教会、あるいはキリスト教世界のために働く君主はいなかった。病苦を押して遠征軍召集のために出発地へ向かい、思いどおりに動かない君主、一度は遠征に参加すると言っておきながら翻意する君主にいらだちをつのらせるピオ二世はついに出発の地で、出発予定の日に没することとなる。

このことを考えると、約30年後にフランスのシャルル八世が、十字軍遠征のためにナポリ王国の領有を主張してイタリアに進軍してくるのは、いかにも白々しいことと思える。

 

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アレッサンドロ6世とサヴォナローラ

塩野七生著『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』にも詳述されているチェーザレ・ボルジアの父である法王アレッサンドロ六世と、同じく『わが友マキャベッリ』で触れられているサヴォナローラの宗教的かつ政治的な対立を、双方の書簡と市民の書いた年代記を時間順にならべていくことで、みごとに描いている。

フィレンツェでキリスト教が支配する社会を実現しようとした修道士サヴォナローラは法王と対立しつづけ、法王の堕落を指摘さえした。だが、その市民から慕われたサヴォナローラも、その一派の修道士が、他の修道士会から挑戦を受けた火渡りの儀式を渋ったために、あっという間に市民から怒声を浴びせられ、挙句の果てに 捕らえられ、絞首刑となる。

アレッサンドロ六世は法王でありながら、むしろ政教分離的な見地から、世俗権力によりイタリアを諸外国の勢力から守り、異教徒とも平和的な関係を樹立し、その上で、宗教的な地位、権威を高めるというサヴォナローラ 、中世的キリスト教の考え方とは反対の発想であった。

 

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と十字架

『チェーザレ・ボルジア』で、ボルジア家の宿敵として登場するローヴェレ枢機卿、のちの法王ジュリオ二世について。

ローマ教皇領内で法王に反抗する勢力に対して自ら兵を率いて前線近くに立った。外国であるフランスなどの諸勢力を結集して、ヴェネツィアの勢力を削いだ。そして、こんどはフランスを駆逐するためにスペインと組んだ。剣を持って、戦う法王であった。

しかし、戦うごとにどこかの国を、それも外国までをも引き込んでしまった。チェーザレ・ボルジアが、父アレッサンドロ6世と組んで、傭兵ではない自らの軍を、自らの力を持とうとしたが、ジュリオ二世はこれとは違う方法をとった。しかし、結果は外国をも引き込んでしまい、強力な盾となっていたヴェネツィア共和国の力まで削いでしまうこととなる。

最後は、スペインに対抗するためにドイツ勢力に依存しようとすることとなる。これが後の『ローマ掠奪』につながる。ルネッサンスの終焉を引き込んだことになる。

 

 

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ローマ・十六世紀初頭

ジュリオ二世の後を継いだレオーネ十世はフィレンツェのメディチ家出身。戦争が続いたジュリオ二世に対して民衆の意を受けて、平和を旨とした。法王毒殺陰謀事件に端を発するスペイン派の枢機卿の追い落としなどもあったが、行列などのイベントを愛したという。

異なる方法でイタリアを、教会を守ってきたアレッサンドロ六世、ジュリオ二世で、守ることに疲れてしまい、頽廃した象徴のようでもある。

 

感 想

十五世紀から十六世紀にかけてルネッサンス最盛期、そしてその終焉を迎える。そして激動のとき。多くの国家がひしめくイタリアで、周辺国の思惑が渦巻く中、法王が何を考え、どう動いたのかがよくわかる。

その中で、チェーザレ・ボルジア、その父アレッサンドロ六世とジュリオ二世を対照的に描いている。前者はイタリアや教会を、外国から守るために世俗的な力を強くしようとした。つまり諸侯が独自の軍隊を持ってイタリアをまとめていくこと。そして後者は、諸外国の勢力をイタリアに引き入れてしまい、ローマ掠奪、つまルネッサンス終焉の遠因を作ることになる。マキャベッリの『君主論』や『政略論』を引用しながらのこの 対照は、塩野七生の真骨頂といえるのではないか。

 

2003.10 読了

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