Title9-3.GIF (2758 バイト) 『わが友マキャベッリ』             

[ 参考書籍 ]

〜 読書記録 〜

『わが友マキャベッリ』

塩野七生著

新潮社

目 次

序章 サンタンドレアの山荘、五百年後

 

第一部 マキャベッリは、なにを見たか

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第一章       眼をあけて生まれてきた男

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第二章       メディチ家のロレンツォ

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第三章       パッツィ家の陰謀

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第四章       花の都フィレンツェ

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第五章       修道士サヴォナローラ

 

第二部 マキャベッリはなにをしたか

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第六章       ノンキャリア官僚初登庁の日(1498

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第七章       「イタリアの女傑」(14981499

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第八章       西暦1500年の働きバチ(14991502

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第九章       チェーザレ・ボルジア(15021503

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第十章       マキャベッリの妻(15021503

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第十一章 “わが生涯の最良の日”(15031506

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第十二章 “補佐官”マキャベッリ

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第十三章 一五一二年・夏

 

第三部 マキャベッリは、なにを考えたか

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第十四章 『君主論』誕生(15131515

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第十五章 若き弟子たち(15161522

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第十六章 「歴史家、喜劇作家、悲劇作家」(15181525

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第十七章 「わが友」グイッチャルディーニ(15211525

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第十八章 「わが魂よりも、わが祖国を愛す」(15251526

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第十九章 ルネサンスの終焉(1527

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メイキング『わが友マキャベッリ フィレンツェ存亡』

 

概 略

フィレンツェはルネサンス期、メディチ家の時代であったが、全盛期のロレンツォ・ディ・メディチが亡くなると、進軍してきたフランス軍を前に動揺し、修道士サヴォナローラの煽動によってメディチ家が追放される。サヴォナローラの支配も数年で終わり、終身大統領制の共和政都市国家となる。そこで書記官となったマキャベッリは 、高貴な生まれではなく、学識も豊かではなかったが、フランス国王、ローマ教皇、チェーザレ・ボルジアなどとの多くの外事交渉の経験を通して、フィレンツェにはなくてはならない官僚となった。

しかし、役人として思うように動かない傭兵を目の当たりにし、そして当時外部の力を利用して、逆にイタリアを外圧から守り、かつ大きな勢力となったチェーザレ・ボルジアの農民軍創設などの経験から、自国民による国軍創設を主唱し、それを実現した。

しかしながら、スペイン王を兼ねる神聖ローマ皇帝カルロスのイタリア進攻にあたり、それを見方にしたメディチ家により、大統領は追放され、その右腕として活躍したマキャベッリも同様に追放される。

以降、官僚としての活躍の場への復帰を願ったマキャベッリだったが、ついに公式にはそれは実現しなかった。その間、『君主論』『政略論』『戦略論』を著し、政治思想家、歴史家、そして喜劇作家、悲劇作家として名声を得るに至った。しかし、フィレンツェの危機、そしてイタリアの危機にあたり、正式な身分でもないままマキャベッリは奔走する。だが、このドイツ軍の南下、世に言う「ローマの略奪」を防ぐことはできず、ルネサンスは終焉を迎えることとなる。マキャベッリはそのさなか死を迎える。

イタリアの当時の主要都市と勢力であるフィレンツェ、ヴェネツィア、教皇、そしてフランスの連携が機能しないうちに、スペイン、ドイツ連合軍に撃破され、ローマが蹂躙されることとなる。

ダンテがフィレンツェを「痛みに耐えかねて始終身体の向きを変える病人のようだ」と言ったように、ルネサンスの花の都と言われながら、政治的には確固とした体制がとれなかった都市国家、 ルネッサンス終焉の中に生まれた偉大な政治思想家を描いている。

 

感 想

マキャベッリはまさにルネッサンスの終焉に立ち会っていた。

それはスペイン王を兼ねる神聖ローマ皇帝カルロスが、カトリックに敵意を持つドイツ傭兵を率いてイタリアに侵入してくる。イタリア側の総司令官グイッチャルディーニに、確たる地位もないマキャベッリが、イタリアをあるいはフィレンツェを守ろう と従った。結果としてイタリア側の連携がとれず、イタリアが破れ、ローマが掠奪されたことにより、ルネッサンスの終焉とな った。マキャベッリはそれを目撃したのである。これよりも前に「君主論」は書かれているが、マキャベッリが歴史上、これほど劇的なタイミングに生きていたということを 改めて知った。

「君主論」はこのような時代の洞察であったということであろう。ときはまさに自由な雰囲気のルネッサンス時代から、絶対君主が政治に、経済繁栄のために、そして領土拡大、自国の強大化に、自分の考えを思う存分ふるえるような時代の到来を告げていた。

「君主論」はその絶対君主制に正当性を与えたがごとく言われることがあるが、実は歴史家、そして政治思想家としての時代に対する深い洞察であった 、あるいはそれにすぎなかった、と思われる。

塩野七生のルネッサンス著作集は 、その時代を立体的に理解させてくれる。ともするとその芸術面にばかり注目されるルネッサンスであるが、複雑なイタリア情勢について政治面での面白さもクローズアップしてくれている。「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」では、稀代の風雲児であるチェーザレ・ボルジアをローマ教皇領を預かるロマーニャ大公という立場から、そして、「わが友マキャベッリ」では、同時代からその後のフィレンツェ共和国の立場から、「海の都の物語」では、ヴェネツィア共和国の 合理性の強さを、それぞれ描いている。さらには、「神の代理人」ではローマ教皇たちを、「ルネッサンスの女たち」ではやはりこの時代の女性たちを、という具合である。

「君主論」のモデルとなっているチェーザレとの出会い、関係はマキャベッリに大きな影響を与えているはずだが、むしろ『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』に詳述されており、ゆえにこの『わが友 マキャベッリ』では省略されているところが、この本単体としては残念ではある。

2003.08 読了

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