西暦 |
首相 |
主なできごと |
その他のできごと |
1885年
(明治18年) |
伊藤 博文 |
(初代;明治18年12月22日~明治21年4月30日;861日);内閣制度創設;ドイツの内閣を模範とする。伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任。 |
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1888年
(明治21年) |
黒田 清隆 |
(第2代;明治21年4月30日~明治22年10月25日;544日); |
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1889年
(明治22年) |
山縣 有朋 |
(第3代;明治22年12月24日~明治24年5月6日;499日) |
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2月5日 枢密院本会議にて、大日本帝国憲法を含む基本法典が決定。 |
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2月11日 大日本憲法発布。 |
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1890年
(明治23年) |
帝国議会開設。 |
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衆議院議員選挙実施;国税を15円以上納入し、かつ満25歳以上の男子のみに選挙権が限定された。 |
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第一回帝国議会が召集。衆議院と貴族院の二院制の議会制度。(アジアで初) |
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9月16日;エルトゥールル号遭難事件;和歌山県沖でオスマントルコ軍艦エルトゥールル号が遭難、沈没。約500名死亡。現地の日本人が69名を救助し、生存者を海軍軍艦比叡と金剛でトルコに送り返し、感謝される。後の1985年(昭和60年)イラン・イラク戦争で自衛隊を派遣できない日本に代わって、トルコが日本人救出に援助。 |
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10月30日;教育勅語が発布される。 |
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1891年
(明治24年) |
松方 正義 |
(第4代;明治24年5月6日~明治25年8月8日;461日) |
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1892年
(明治25年) |
伊藤 博文 |
第二次(第5代;明治25年8月8日~明治29年8月31日;1485日) |
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1893年
(明治26年) |
清の北洋艦隊6隻が横浜に来航;日本に圧力をかける。 |
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日清戦争が近いと考える伊藤内閣は、第二次海軍拡張計画を立て、海軍予算増額を議会に求めるが否決。 |
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1月12日;衆議院本会議は、政府に製艦費削減を求めるが、政府は拒否。政府と衆議院の衝突。 |
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2月10日;和衷協同の詔勅;国防の備えが遅れることを憂慮した天皇の仲介。文武官僚の俸給の十分の一を献納させる。 |
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1894年
(明治27年) |
日英通商航海条約締結;英国の治外法権を撤廃。他の欧米諸国も治外法権撤廃に応じる(関税自主権が認められるのは、日露戦争後)。ロシアの極東進出に警戒を強めていた英国が条約交渉を受け入れたことによる。 |
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朝鮮半島で東学党の乱(甲午農民戦争);民間宗教を中心とした農民らによる暴動。朝鮮政府が清に援軍を要請し、危機感を抱いた日本軍は朝鮮に派遣。日清両国関係は緊張へ。 |
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大本営が広島に遷されると、明治天皇は7が月半現地に滞在、戦争を指導。天皇が戦う将兵を外地で指揮するのは、飛鳥時代に斉明天皇が百済救済のために筑紫に行幸して以来、1233年ぶり。 |
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7月23日;ソウルに入った日本軍は、王宮付近で朝鮮兵から発砲されて応戦し、王宮内の朝鮮兵を駆逐して王宮を守護した。 |
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8月1日日清両国が宣戦布告。日本の近代式軍隊が勝利。 |
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1895年
(明治28年) |
下関講和条約;朝鮮は清から独立。遼東半島、台湾、澎湖諸島の領有が認められる。 |
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1896年
(明治29年) |
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松方 正義 |
(第6代;明治29年9月18日~明治31年1月12日;482日) |
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1897年
(明治30年) |
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1898年
(明治31年) |
伊藤 博文 |
第三次(第7代;明治31年1月12日~明治31年6月30日;170日) |
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大隈 重信 |
(第8代;明治31年6月30日~明治31年11月8日;132日) |
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1899年
(明治32年) |
山縣 有朋 |
第二次(第9代;明治31年11月8日~明治33年10月19日;711日;通算1,210日) |
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1900年
(明治33年) |
伊藤 博文 |
第四次(第10代;明治33年10月19日~明治34年5月10日;204日;通算2,720日) |
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1901年
(明治34年) |
桂 太郎 |
(第11代;明治34年6月2日~明治39年1月7日;1,681日) |
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1904年
(明治37年) |
2月5日対露開戦の詔勅 |
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12月5日ニ〇三高地占領。旅順艦隊撃沈。 |
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1905年
(明治38年) |
5月27日 日本海海戦。翌28日までに敵バルチック艦隊全滅させる。 |
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9月5日 日露講和条約締結。日比谷焼き打ち事件。 |
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1906年
(明治39年) |
西園寺 公望 |
(第12代;明治39年1月7日~明治41年7月14日;920日) |
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1907年
(明治40年) |
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1908年
(明治41年) |
桂 太郎 |
第二次(第13代;明治41年7月14日~明治44年8月30日;1,143日) |
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1909年
(明治42年) |
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1910年
(明治43年) |
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1911年
(明治44年) |
西園寺 公望 |
第二次(第14代;明治44年8月30日~大正元年12月21日;480日;通算1,400日) |
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1912年
(明治45年
/大正元年) |
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7月30日 大正天皇即位 |
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桂 太郎 |
第三次(第15代;大正元年12月21日~大正2年2月20日;62日;通算2,886日) |
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1913年
(大正2年) |
山本 権兵衛 |
(第16代;大正2年2月20日~大正3年4月16日;421日) |
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1914年
(大正3年) |
大隈 重信 |
第二次(第17代;大正3年4月16日~大正5年10月9日;908日;通算1,040日) |
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1915年
(大正4年) |
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1916年
(大正5年) |
寺内 正毅 |
(第18代;大正5年10月9日~大正7年9月29日;721日) |
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1917年
(大正6年) |
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1918年
(大正7年) |
原 敬 |
(第19代;大正7年9月29日~大正10年11月4日;1133日) |
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1919年
(大正8年) |
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1920年
(大正9年) |
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1921年
(大正10年) |
高橋 是清 |
(第20代;大正10年11月13日~大正11年6月2日;212日) |
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1922年
(大正11年) |
加藤 友三郎 |
(第21代;大正11年6月12日~大正12年8月24日;440日) |
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1923年
(大正12年) |
山本 権兵衛 |
(第22代;大正12年9月2日~大正13年1月7日;128日) |
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1924年
(大正13年) |
清浦 奎吾 |
(第23代;大正13年1月7日~大正13年6月11日;157日) |
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1925年
(大正14年) |
加藤 高明 |
(第24代;大正13年6月11日~大正15年1月28日;597日) |
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1926年
(大正15年/昭和元年)) |
若槻 禮次郎 |
(第25代;大正15年1月30日~昭和2年4月20日;446日) |
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1927年
(昭和2年) |
田中 義一 |
(第26代;昭和2年4月20日~昭和4年7月2日;805日) |
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1928年
(昭和3年) |
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1929年
(昭和4年) |
濱口 雄幸 |
(第27代;昭和4年7月2日~昭和6年4月14日;652日) |
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1930年
(昭和5年) |
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1931年
(昭和6年) |
若槻禮次郎 |
第二次(第28代;昭和6年4月14日~昭和6年12月13日;244日;通算690日) |
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犬養 毅 |
(第29代;昭和6年12月13日~昭和7年5月16日;156日) |
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1932年
(昭和7年) |
斎藤 実 |
(第30代;昭和7年5月26日~昭和9年7月8日;774日) |
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1933年
(昭和8年) |
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1/31 ヒトラー、首相に就任。 |
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3/4 米ルーズベルト大統領就任。 |
1934年
(昭和9年) |
岡田 啓介 |
(第31代;昭和9年7月8日~昭和11年3月9日;611日) |
8/19 ヒトラー、ナチス=ドイツの首相兼総統の地位を国民投票で承認。 |
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9/18 ソ連、国際連盟に加入。 |
1935年
(昭和10年) |
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1936年
(昭和11年) |
2月26日ニ・ニ六事件;陸軍青年将校の叛乱。内大臣斎藤実、大蔵大臣高橋是清らを殺害。岡田内閣総辞職。 |
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廣田 弘毅 |
(第32代;昭和11年3月9日~昭和12年2月2日;331日) |
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1937年
(昭和12年) |
林 銑十郎 |
(第33代;昭和12年2月2日~昭和12年6月4日;123日) |
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7月7日 盧溝橋事件;日中戦争始まる。 |
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近衛 文麿 |
(第34代;昭和12年6月4日~昭和14年1月5日;581日) |
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1938年
(昭和13年) |
4月1日 日本で国家総動員法公布。 |
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11月5日 近衛首相、東亜新秩序建設を声明。 |
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1939年
(昭和14年) |
平沼 騏一郎 |
(第35代;昭和14年1月5日~昭和14年8月30日;238日) |
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5月11日 ノモンハン事件(~8/11);ソ連軍とモンゴル人民共和国軍、ハルハ川で日本軍を撃破。 |
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8月23日 日本、独ソ不可侵条約は防共協定違反と独に抗議。「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」の言葉を残し、平沼内閣総辞職。 |
8/23 独ソ不可侵条約締結;秘密議定書で東欧の勢力範囲を決定。 |
阿部 信行 |
(第36代;昭和14年8月30日~昭和15年1月16日;140日) |
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9/1独、ポーランド侵攻。第二次世界大戦始まる。 |
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9/17 ソ連軍、ポーランド東部へ侵入。独ソ分割協定 |
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10/5 ソ連、ラトヴィア、リトアニアと相互援助条約締結;ソ連軍の駐留権を得る。 |
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11/1ソ連、西ウクライナと西ベロロシアをソ連に編入。 |
1940年
(昭和15年) |
米内 光正 |
(第37代;昭和15年1月16日~昭和15年7月22日;189日) |
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近衛 文麿 |
第二次(第38代;昭和15年7月22日~昭和16年7月18日;362日) |
8/13独空軍、英本土へ大空襲開始(バトル・オブ・ブリテン)。 |
近衛 文麿 |
第三次(第39代;昭和16年7月18日~昭和16年10月18日;93日;通算1,039日) |
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1941年
(昭和16年) |
東条 英機 |
(第40代;昭和16年10月18日~昭和19年7月22日;1,099日) |
7/21独、初のモスクワ空襲。 |
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9/8 独軍レニングラード包囲。キエフを占領。 |
12月8日 米ハワイ真珠湾を奇襲攻撃;太平洋戦争始まる。 |
12/6ソ連軍反攻開始。12/8ヒトラー、モスクワを放棄。 |
1942年
(昭和17年) |
1~3月 日本軍、マニラ、ビルマ、シンガポール、ティモール島、ジャワ島を占領。 |
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6月5日ミッドウェー海戦(~6/7);米軍、日本軍に大勝。戦局の転機となる。 |
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1943年
(昭和18年) |
4月18日 連合艦隊司令長官山本五十六、ソロモン上空で撃墜される。 |
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5月29日 米軍、アッツ島に上陸、日本軍全滅。 |
7/10 連合軍、シチリア島に上陸。シラクサを占領。 |
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7/17 ソ連軍、ロシア南部で総反撃開始。 |
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9/8伊、連合軍に降伏。 |
1944年
(昭和19年) |
小磯 國昭 |
(第41代;昭和19年7月22日~昭和20年4月7日;260日 |
1月独軍、ウクライナ、レニングラードから撤収。 |
3月8日 日本軍、インパール作戦開始。 |
6/6 連合軍、ノルマンディーに上陸。 |
6月19日マリアナ沖海戦;日本、空母の大半を失う。 |
8/25 連合軍、パリ解放。 |
7月7日 サイパン島の日本軍全滅。 |
9/2 独V2号(ロケット)によるロンドン攻撃。 |
9月29日 グアム・テニアンの日本軍全滅。 |
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10月24日 レイテ沖海戦;日本連合艦隊主力壊滅。神風特攻隊初出撃。 |
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11月24日 サイパン島基地からB29 70機、東京初空襲。 |
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1945年
(昭和20年) |
2月19日 米軍、硫黄島に上陸。3/17日本守備隊全滅。 |
1月ソ連軍、東プロイセンを占領。ワルシャワを解放。 |
3月3日 米軍、マニラを占領。 |
2/13ソ連軍、ブタペストを解放。 |
3月10日 米軍のB29、東京夜間大空襲。 |
3/4連合軍、ライン川に到達、渡河。 |
4月1日 米軍、沖縄本土に上陸開始。 |
4/12 米ルーズベルト大統領死去。副大統領トルーマン大統領就任。 |
4月5日 ソ連外相、日ソ中立条約不延長を通告。小磯内閣総辞職。 |
4/13ソ連軍、ウィーンを占拠。4/16プラハを解放。 |
鈴木 貫太郎 |
(第42代;昭和20年4月7日~昭和20年8月17日;133日) |
4/25米ソ両軍エルベ河畔で出会う。 |
6月7日 戦艦大和などの沖縄支援の海軍部隊、壊滅。 |
4/28ムッソリーニ、パルチザンに銃殺される。4/29在伊独軍降伏。 |
6月23日 日本の沖縄守備隊全滅。 |
4/30ヒトラー、ベルリンの総統官邸で愛人と自殺。後継総統にデーニッツ海軍最高司令官。 |
7月26日 英米ソ、ポツダム宣言発表。 |
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8月6日 米軍、広島に原爆投下。9日長崎に原爆投下。 |
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8月9日 ソ連軍、対日宣戦。 |
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8月14日 御前会議、ポツダム宣言受諾を決定。太平洋戦争・第二次世界大戦終結。 |
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8月15日 昭和天皇、「終戦」の詔勅放送。鈴木貫太郎内閣総辞職。 |
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東久邇宮 稔彦王 |
(第43代;昭和20年8月17日~昭和20年10月9日;54日) |
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幣原 喜重郎 |
(第44代;昭和20年10月9日~昭和21年5月22日;226日) |
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1946年
(昭和21年) |
吉田 茂 |
(第45代;昭和21年5月22日~昭和22年5月24日;368日) |
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11月3日 日本国憲法公布。 |
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1947年
(昭和22年) |
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2月1日 二・一ゼネスト中止声明。左翼における共産党の求心力低下。 |
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片山 哲 |
(第46代;昭和22年5月24日~昭和23年3月10日;292日) |
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5月3日 日本国憲法施行。 |
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1948年
(昭和23年) |
芦田 均 |
(第47代;昭和23年3月10日~昭和23年10月15日;220日) |
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6月 GHQの主導権が民政局(GS)から参謀第2部(G2)へ。日本を反共防波堤とする占領政策へ転換。反共主義の吉田茂を支援。 |
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吉田 茂 |
第二次(第48代;昭和23年10月15日~昭和24年2月16日;125日) |
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1949年
(昭和24年) |
吉田 茂 |
第三次(第49代;昭和24年2月16日~昭和27年10月30日;1,353日) |
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7月5日下山事件;下山定則国鉄総裁、轢死体で発見。 |
10/1 中華人民共和国成立 |
1950年
(昭和25年) |
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1月 コミンフォルム、共産党の平和革命論を批判、内部対立激化。中国共産党からも批判され、「所感派」が平和革命路線放棄を宣言。 |
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1月 社会党大会で「平和四原則」発表、平和路線を確立。 |
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6月朝鮮戦争勃発。 |
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6月26日 マッカーサー元帥、「アカハタ」1か月停刊を指令。徳田、野坂は中国へ亡命、国内の「山村工作隊」「中核自衛隊」などの軍事組織を指示。 |
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1951年
(昭和26年) |
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4月11日 マッカーサー元帥解任(朝鮮戦争での暴走による)。 |
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1952年
(昭和27年) |
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4月サンフランシスコ講和条約締結。米と単独講和。 |
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吉田 茂 |
第四次(第50代;昭和27年10月30日~昭和28年5月21日;204日) |
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1953年
(昭和28年) |
吉田 茂 |
第五次(第51代;昭和28年5月21日~昭和29年12月10日;569日;通算2,616日) |
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1954年
(昭和29年) |
鳩山 一郎 |
(第52代;昭和29年12月10日~昭和30年3月19日;100日) |
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1955年
(昭和30年) |
鳩山 一郎 |
第二次(第53代;昭和30年3月19日~昭和30年11月22日;249日) |
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鳩山 一郎 |
第三次(第54代;昭和30年11月22日~昭和31年12月23日;398日;通算745日) |
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1956年
(昭和31年) |
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2月9日 ソ連共産党第20回大会でフルシチョフによるスターリン批判。中ソ関係悪化。 |
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10月23日 ハンガリー動乱;ソ連軍侵攻による鎮圧。 |
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石橋 湛山 |
(第55代;昭和31年12月23日~昭和32年2月25日;65日) |
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1957年
(昭和32年) |
岸 信介 |
(第56代;昭和32年2月25日~昭和33年6月12日;473日) |
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1958年
(昭和33年) |
岸 信介 |
第二次(第57代;昭和33年6月12日~昭和35年7月19日;769日;通算1,241日) |
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1960年
(昭和35年) |
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1月19日 日米新安保条約・地位協定調印。 |
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6月15日 安保改定阻止第二次スト、全学連主流派国会に突入(樺美智子死亡)。 |
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6月19日 新安保条約自然承認 |
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6月23日 新安保条約批准書交換、発効。岸首相、退陣表明。 |
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池田 勇人 |
(第58代;昭和35年7月19日~昭和35年12月8日;143日) |
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10月12日 浅沼社会党委員長、右翼青年に刺殺される。 |
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池田 勇人 |
第二次(第59代;昭和35年12月8日~昭和38年12月9日;1,097日) |
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1961年
(昭和36年) |
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4月 ソ連ガガーリン有人宇宙飛行に成功。 |
1963年
(昭和38年) |
池田 勇人 |
第三次(第60代;昭和38年12月9日~昭和39年11月9日;337日;通算1,575日) |
米英ソ部分的核実験禁止条約締結。 |
1964年
(昭和39年) |
佐藤 榮作 |
(第61代;昭和39年11月9日~昭和42年2月17日;831日) |
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10月10日 東京オリンピック開幕。 |
10/17に中国が核実験に成功 |
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政府、中国の核実験に抗議。及び社会・民社・公明・総評も反対を表明。宮本顕治共産党書記長、中国の核実験は自衛手段とする見解を表明。 |
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1965年
(昭和40年) |
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日韓基本条約・関係四協定調印。社会党・総評・全学連など抗議集会。韓国との条約締結は、朝鮮の南北統一を妨害する、との主張。 |
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1967年
(昭和42年) |
佐藤 榮作 |
第二次(第62代;昭和42年2月17日~昭和45年1月14日;1,063日) |
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1969年
(昭和44年) |
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1月18日 東大安田講堂事件;機動隊500人出動、占拠学生を実力排除、631人逮捕。 |
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1970年
(昭和45年) |
佐藤 榮作 |
第三次(第63代;昭和45年1月14日~昭和47年7月7日;906日;通算2,798日) |
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3月31日 よど号ハイジャック事件 |
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6月22日日米安保条約自動延長 |
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11月25日三島由紀夫自決事件 |
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1971年
(昭和46年) |
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9月16日 成田空港第二次強制代執行で学生と機動隊衝突、隊員3人死亡。 |
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11月14日渋谷事件;沖縄返還協定批准反対で学生と警官隊衝突、警官と学生各1人死亡。 |
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1972年
(昭和47年) |
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2月28日 あさま山荘事件で警官隊強行突入 |
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5月30日 日本赤軍3人がテルアビブ空港で乱射事件 |
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田中 角榮 |
(第64代;昭和47年7月7日~昭和47年12月22日;169日) |
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田中 角榮 |
第二次(第65代;昭和47年12月22日~昭和49年12月9日;718日;通算886日) |
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1974年
(昭和49年) |
三木 武夫 |
(第66代;昭和49年12月9日~昭和51年12月24日;747日) |
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1976年
(昭和51年) |
福田 赳夫 |
(第67代;昭和51年12月24日~昭和53年12月7日;714日) |
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1978年
(昭和53年) |
大平 正芳 |
(第68代;昭和53年12月7日~昭和54年11月9日;338日) |
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1979年
(昭和54年) |
大平 正芳 |
第二次(第69代:昭和54年11月9日~昭和55年6月12日;217日;通算554日) |
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1980年
(昭和55年) |
鈴木 善幸 |
(第70代;昭和55年7月17日~昭和57年11月27日;864日) |
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1982年
(昭和57年) |
中曽根 康弘 |
(第71代;昭和57年11月27日~昭和58年12月27日;396日) |
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1983年
(昭和58年) |
中曽根 康弘 |
第二次(第72代;昭和58年12月27日~昭和61年7月22日;939日) |
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1986年
(昭和61年) |
中曽根 康弘 |
第三次(第73代;昭和61年7月22日~昭和62年11月6日;473日;通算1,806日) |
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1987年
(昭和62年) |
竹下 登 |
(第74代;昭和62年11月6日~平成元年6月3日;576日) |
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1989年
(平成元年) |
宇野 宗佑 |
(第75代;平成元年6月3日~平成元年8月10日;69日) |
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海部 俊樹 |
(第76代;平成元年8月10日~平成2年2月28日;203日) |
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1990年
(平成2年) |
海部 俊樹 |
第二次(第77代;平成2年2月28日~平成3年11月5日;616日;通算818日) |
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1991年
(平成3年) |
宮澤 喜一 |
(第78代;平成3年11月5日~平成5年8月9日;644日) |
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1993年
(平成5年) |
細川 護煕 |
(第79代;平成5年8月9日~平成6年4月28日;263日) |
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1994年
(平成6年) |
羽田 孜 |
(第80代;平成6年4月28日~平成6年6月30日;64日) |
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村山 富市 |
(第81代;平成6年6月30日~平成8年1月11日;561日) |
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1996年
(平成8年) |
橋本 龍太郎 |
(第82代;平成8年1月11日~平成8年11月7日;302日) |
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橋本 龍太郎 |
第二次(第83代;平成8年11月7日~平成10年7月30日;631日;通算932日) |
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1998年
(平成10年) |
小渕 恵三 |
(第84代;平成10年7月30日~平成12年4月5日;616日) |
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2000年
(平成12年) |
森 喜朗 |
(第85代;平成12年4月5日~平成12年7月4日;91日) |
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森 喜朗 |
(第86代;平成12年7月4日~平成13年4月26日;297日;通算387日) |
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2001年
(平成13年) |
小泉 純一郎 |
(第87代;平成13年4月26日~平成15年11月19日;938日) |
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9月11日 9・11同時テロ事件;米NY貿易センタービルにイスラム過激派組織アルカイダが乗っ取った航空機が衝突。死者2,977人、負傷者25,000人以上。 |
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10月アルカイダのリーダー、ビン・ラディン引き渡しを拒否したアフガニスタンに米軍および有志連合国が進攻。タリバン政権を退陣させる。 |
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2003年
(平成15年) |
小泉 純一郎 |
第二次(第88代;平成15年11月19日~平成17年9月21日;673日) |
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2005年
(平成17年) |
小泉 純一郎 |
第三次(第89代;平成17年9月21日~平成18年9月26日;371日;通算1,980日) |
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2006年
(平成18年) |
安倍 晋三 |
(第90代;平成18年9月26日~平成19年9月26日;366日) |
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2007年
(平成19年) |
福田 康夫 |
(第91代;平成19年9月26日~平成20年9月24日;365日) |
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2008年
(平成20年) |
麻生 太郎 |
(第92代;平成20年9月24日~平成21年9月16日;358日) |
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2009年
(平成21年) |
鳩山 由紀夫 |
(第93代;平成21年9月16日~平成22年6月8日;266日) |
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2010年
(平成22年) |
菅 直人 |
(第94代;平成22年6月8日~平成23年9月2日;452日) |
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3月11日 東日本大震災; |
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2011年
(平成23年) |
野田 佳彦 |
(第95代;平成23年9月2日~平成24年12月26日;482日) |
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2012年
(平成24年) |
安倍 晋三 |
第二次(第96代;平成24年12月26日~平成26年12月24日;729日) |
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2014年
(平成26年) |
安倍 晋三 |
第三次(第97代;平成26年12月24日~平成29年11月1日;1,044日) |
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2017年
(平成29年) |
安倍 晋三 |
第四次(第98代;平成29年11月1日~令和2年9月16日;1,051日;通算3,188日) |
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2020年
(令和2年) |
菅 義偉 |
(第99代;令和2年9月16日~令和3年10月4日;384日) |
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1月コロナウイルスの流行拡大 |
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2021年
(令和3年) |
岸田 文雄 |
(第100代;令和3年10月4日~令和3年11月10日;-) |
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2022年
(令和4年) |
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2月24日 ロシア(プーチン政権)がウクライナ侵攻;NATOの東方拡大を阻止するため。 |
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