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『平和新聞ながさき版』
欄外100字×4のミニコーナー

2017年12月25日 ソビエト連邦の誕生(1992年12月30日)

12月30日はソビエト連邦が誕生した日。1922年のこの日、ロシア、ウクライナ、白ロシア、ザカフカスの各共和国により結成された。ソビエトとはロシア語で労働者・農民・兵士の協議会のこと。十月革命後は国家機関となった。

1917年の十月革命後、旧ロシア帝国の地にロシア連邦を始め、6つのソビエト共和国が形成され、ロシアを中心に同盟関係が築かれた。統合問題担当のスターリンはロシア以外を自治共和国としてロシアに加盟させる計画をつくる。

病床にあったレーニンは民族自決権に基づく連邦制を主張し、「ソ連結成宣言」では、ソ連は「平等な権利を持つ諸民族の自由意思による総合体」と明記された。しかしレーニン死後、スターリンはこの民主的諸原則を踏みにじる。

85年のゴルバチョフの登場以降、各民族地域の独立・主権確立の動きが高揚する。91年8月の軍事クーデターとその失敗、バルト3国の独立につづき、12月21日の11共和国による独立国家共同体の創設でソ連は解体・消滅した。

2017年12月15日 世界人権の日(12月10日)

12月10日は世界人権の日。1948年のこの日、国連総会で世界人権宣言が採択されたことを記念し、50年の国連総会で、「人権デー」と定めた。すべての加盟国と関係機関が、人権活動を推進する諸行事を行うことが求められている。

この日に向け、国連事務総長が毎年メッセージを出すが今年は「私たちには、教育や医療を受け、経済的機会や人間らしい生活水準を得る権利がある。プライバシーと正義を求める権利もある。それは平和な社会・・の基盤でもある」

同じ12月10日、ICANのベアトリス・フィン事務局長のノーベル平和賞受賞講演。「差し迫る絶滅の人質にとらえられたまま生きることをやめる。その自由を、私たちは取り戻さなければならない」「核兵器の終わりを見届ける」

世界人権宣言は、最も多くの言語に翻訳された文書としてギネス世界記録にも認定されているという。しかし多くの人が、人間としての基本的権利に気づいていない。条文はわずかに30条。70周年目の節目にじっくり読んでみよう。

2017年11月25日 ノーベル賞制定記念日(1901年11月27日)

11月27日は「ノーベル賞制定記念日」。1901年のこの日、第1回ノーベル賞授賞式が行われた(現在の授賞式はノーベルの命日にあたる12月10日)。今年までの受賞者は延べ923の個人・団体(「経済学」賞を含む)にのぼる。

平和賞の選考と受賞式だけはノーベルの母国スウェーデンではなく、ノルウェーで行われる。スウェーデンは1814年にノルウェーを併合し1905年まで連合王国だった。両国の和解を望んだノーベルの遺志ともいわれる。

第1回受賞者は国際赤十字の創設とジュネーヴ条約制定に貢献したスイスのデュナンと国際仲裁委員会の提唱者のフランスのパシー。これまでの平和賞受賞者は104人の個人と27団体。政治情勢の影響から授与者がないことも。

今年のノーベル平和賞は「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に。授賞理由は核兵器を条約で禁止しようとする「画期的な努力」。ノルウェー・ノーベル委員会は核保有国に対して段階的な廃絶に向けた交渉開始を呼びかけた。

2017年10月25日 原子力の日(10月26日)

10月26日は「原子力の日」。54年前のこの日、日本が初めて試験用原子炉で発電に成功した。日本はこの試験炉の実績を元に英国製の商業用原子炉を導入した。しかしその後はすべて、方式の異なる米国製の導入となった。

この間、日本の原子力メーカーは原発の国産化を強め、ついには海外に輸出するまでに成長。東芝は米ウェスティングハウス社を買収、日立は米ジェネラル・エレクトリック社と、三菱は仏アレバ社と連携し、影響力を強化した。

ロシア・韓国に後れを取った日本3メーカーは手を組んで「国際原子力開発」を設立してベトナムの2基分の受注に成功したものの、経済的理由からベトナムは白紙撤回。東芝は、子会社の経営破綻で海外の原発事業から撤退。

三菱は瀕死状態のアレバ救済に巨額の出資をせざるをえなくなり、加えてトルコへの原発輸出も採算難で暗雲が。日立が優先交渉権を獲得したリトアニアでも「費用対効果が高くなるか、エネルギー安全保障上、必要となるまで凍結」。

2017年09月05日 防災の日(9月1日)

9月1日は「防災の日」:「政府、地方公共団体等、関係諸機関をはじめ、広く国民が台風、高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する」啓発日として制定され、各地で訓練が行われている。

この日付は、1923年9月1日に発生した関東大震災にちなんだものである。また、例年8月31日〜9月1日付近は台風の襲来が多いとされる二百十日にあたり、「災害への備えを怠らないように」との戒めも込められている。

「防災の日」が制定されるまでは、9月1日に行われる行事は関東大震災犠牲者の慰霊祭が中心であった。特に忘れてはならないのは関東大震災時に軍隊、警察、自警団によって起こされた在日朝鮮人に対する虐殺の事実である。

小池都知事は今年、歴代の都知事が出してきた関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼の辞を取りやめた。都は法要で「すべての被災者の霊を弔っている」というが、民族的差別意識の下での虐殺を自然災害と同列にしてはいけない。

2017年08月05日 部分的核実験禁止条約の調印(1963年8月5日)

1963年の8月5日は米ソ英が「部分的核実験禁止条約」を調印した日(発効は10月10日)。条約は大気圏内、宇宙空間、水中での核実験を禁止し、「死の灰」による健康被害・環境破壊に対する国際批判をかわす狙いがあった。

この条約は地下核実験を野放しにし、核軍備競争を招いた。地下核実験数は63年まで141回だったが、その後は96年の包括的核実験禁止条約の調印(現在も未発効)までに1377回だった。その間に核弾頭数は7万発を超えた。

この条約は地下核実験技術を確立させた米ソ英の優位を保証するものでもあった。したがってフランスと中国はこの条約に加盟せず、地下以外での核実験を、それぞれ46回、23回行い、地下核実験もそれぞれ155回、22回行った。

包括的核実験禁止条約は核爆発実験を禁止する一方で未臨界核実験を規制しない。この7月に生まれた核兵器禁止条約も草案段階ではその方向だったが、議論の末、単純に核実験禁止となった。人類の英知の到達点がここにある。

2017年07月15日 岸内閣が総辞職(1960年7月15日)

1960年の7月15日は岸内閣が総辞職した日。この年の1月19日、日米間で新安保条約を調印した。在日米軍は「日本の安全」「極東の平和及び安全の維持」を口実に日本の基地使用特権を保持し、自衛隊との共同作戦を可能にした。

60年安保闘争は戦後日本の最大の国民運動と言われる。運動の最大の原動力は政党、労働組合、平和・民主団体による持続的な共闘組織=統一戦線で、全国で2,000の共闘組織がつくられ、23回に及ぶ統一行動が組織された。

新安保条約は5月20日に衆議院で警官隊を導入して強行採決され、以降、連日国会をデモ隊が包囲する。6月15日には33万人の史上空前の抗議行動となり、岸は陸自による武力鎮圧を要請するが、防衛庁長官に反対されて頓挫する。

6月19日に条約は自然承認となったが、アイゼンハワー大統領は国民の怒りに恐れをなして来日を延期。岸内閣の支持率は10%台となり、命運が尽きた。いま孫の安倍晋三に対する退陣要求が一挙に吹き出している。チャンス!

2017年05月15日 フランス「5月危機」(1968年5月10日)

5月10日はフランス「5月危機」の勃発した日。1968年、パリの大学民主化を訴える学生運動が政府・警察権力から激しい弾圧を受ける。「自由と平等と自治」を掲げた約1000万人の労働者と学生がパリでゼネストを行った。

フランスは完全に麻痺状態に陥った。ド・ゴール大統領はフランス経団連を説得して最低賃金の改正、賃金体系の改正、企業内における組合活動の承認などを実現させ、国民大衆には総選挙で民意を問うと発表して危機を乗り切った。

同じ5月10日はフランス政府主催の第21回カンヌ映画祭の日だった。フランソワ・トリュフォーらは映画製作に対する自由の保証、検閲の廃止、本選選考枠の拡大を求めて抗議行動を起こした。結局カンヌ映画祭は中止になった。

背景にはシネマテーク館長のラングロワが文化相に解任された事件がある。翌年からカンヌ映画祭の並行週間に、政治的配慮や商業的思惑などを排除し、自由な立場で世界中の監督を紹介することを目的とする「監督週間」が始まった。

2017年03月25日 スリーマイル島原発事故(1979年3月28日)

1979年3月28日、米国ペンシルバニア州スリーマイル島原発で炉心溶融事故が起きた。燃料の45%にあたる62トンが融け、うち20トンが圧力容器の底に溜まった。幸い圧力容器は破損しなかったので放射能被害は限定的だった。

福島第一原発では3つの原子炉が炉心溶融を起こし、圧力容器は破損した。6年経った今でも融け落ちた燃料がどのようになっているのかさえわからない。ロボット調査では数十秒浴びれば人が死亡する放射線量の場所もあった。

スリーマイル島原発事故の後、米国では新規原発の建設許可・新規の発注は途絶えていたが、2001年ブッシュ政権成立とともに原子力を積極的に活用する施策が打ち出され、オバマ政権下で13年に4基の新規建設が始まった。

日本では福島の事故の解明が済まないのに、原子力規制委員会は再稼働に向け、次々と「お墨付き」を与えている。しかし司法は高浜原発はを差し止め、損害賠償を求めた集団訴訟でも初めて国責任を認めた。たたかいは正念場だ。

2017年02月05日 節分(2月3日)

2月3日は節分です。節分は、現在では立春の前日をさしますが、もとはそれぞれの季節が終わる日、つまり立春、立夏、立秋、立冬の前日をいいました。節分につきものの「鬼払い(やらい)」の行事は、中国に源流があります。

おそろしい形相の面をつけた呪師が疫鬼を追い払う行事です。日本では706年にたくさんの人々が疫病で死んだので、土の牛をつくって、初めての鬼払い儀式が行われ、朝廷では鎌倉時代まで大晦日の夜に行ったそうです。

節分に豆で邪気を払う行事が初めて行われたのは室町時代の京都で、立春前夜に家ごとに豆をまき、「鬼は外、福は内」と唱えたそうです。江戸時代になると、春をむかえる厄払いの行事として、諸国の神社や家庭に広まりました。

また、尖っているヒイラギの葉は「鬼の目突き」と呼ばれ、その先にイワシの頭を刺して戸口にかかげると、邪気の侵入をふせぐとされています。最近では、「恵方巻き」と言って、節分に食べる太巻きがブームになっています。

2016年