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 2016年7月、対馬市の米軍対馬通信所が3月31日付で日本に返還されていたことが報道された。福岡と佐賀の県境にある米軍背振山通信施設も同日付で返還されていた。効力を持つ防衛省告示は7月15日。

 対馬通信所はマイクロ波による地対地通信を行う米空軍の通信基地で用地は1948年に米軍に接収された。在日米軍のマイクロ波通信幹線は米第5空軍司令部のある横田基地と沖縄の嘉手納基地を結ぶ沖縄ルートと、途中の背振山(佐賀)から対馬通信所を経由する韓国ルートに分かれていました。このうち沖縄ルートは通信システムの変更などで1990年代にすでに廃止され、いくつかの中継基地は返還された。

 2001年になって対馬通信所の看板が撤去されていることが判明。情報開示請求で入手した資料によると対馬通信所の電気使用料は97年度までは年間100万円程度だったが、04年度は11万円、05年度は4万円、その後は該当なしで、通信所としての使命はすでに終わっていた。

 対馬通信所の土地は4,650㎡(国有地1,131㎡,民有地2,279㎡,公有地1,240㎡)はすでに国に所管替え済み。通信局舎やフェンスなど工作物の撤去や土壌調査を終えた後、民有・公有地は地権者に返還され、国有地は陸自対馬駐屯地の演習場に組み込まれる見通し。
 16年度予算で建物解体設備設計(265万円),構造物撤去検討(443万円),土壌調査(259万円)が行われている。

対馬通信所 FAC5091 対馬市厳原町小浦
土地4,650m2:建物113m2

 対馬市の厳原町と美津島町の境の上見坂展望台を下ると右手に米軍対馬通信所(Tsushima JTS)がある。施設は無人で、2つずつ同じ方向を向く4つのマイクロ波通信のパラボラアンテナがあり、その右2つは佐賀県背振山の方向を、左2つは韓国の蔚山の方向を向いている。通信局舎と2基のアンテナは1981年に自衛隊から米軍へ提供された。

 在日米空軍のマイクロ波通信幹線は司令部のある横田基地と沖縄の嘉手納基地を結ぶ沖縄ルートと、途中の背振山(佐賀)から対馬通信所を経由する韓国ルートに分かれていた。このうち沖縄ルートはすでに廃止されている。

 2001年になって対馬通信所の前にあった「Tsushima JTS」の看板が撤去されていることが判明した。現在の対馬通信所の電気使用料は年間11万円に過ぎない。97年度までは100万円程度あったことなどを考えると、通信所としての使命は終わりつつあるといえよう。


1999年5月の撮影 看板がある


01年6月の撮影 看板は撤去されている

 マイクロ波通信は対流圏の反射特性を利用した多重(36)チャンネルの超水平線地対地通信システムで対流圏散乱通信(tropospheric scatter)とよばれる。管轄は横田空軍基地で現在は第374作戦群通信隊であった。

 マイクロ波通信幹線は米第5空軍司令部のある横田基地や在日米陸軍司令部のある座間基地(神奈川県)と、米空軍嘉手納基地など沖縄の基地を対流圏散乱波通信で結んでいる。途中に大観山(神奈川)-六甲(兵庫)-祖生(山口)-背振山(佐賀)-知覧(鹿児島)-八重岳(沖縄県)の6カ所の中継所があり、背振山で沖縄ルートと、対馬通信所経由の韓国ルートに分かれていた。
 このうち六甲通信所が廃止となって92年に日本に返還され、大観山通信と知覧通信所が93年に返還され、沖縄ルートは廃止された。米海軍佐世保基地内にあった「 Sasebo JTS」の看板も現在撤去されている。