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対馬駐屯地 陸上自衛隊:対馬市厳原町桟原
土地21,455 m2: 建物11,193 m2


連隊扱いの対馬警備隊がおかれている対馬駐屯地

【前史】
 1878年(明治11年)、厳原に熊本鎮台対馬分遣隊が配備され、厳原城が陸軍の兵営となった。1886年(明治19年)に対馬警備隊と改称、司令部と歩兵一大隊、砲兵一中隊が置かれた。1899年(明治32年)に司令部と砲兵隊は美津島町鶏知(けち)に移転し、1920年(大正9年)に歩兵隊は廃止となったが、砲兵隊は鶏知重砲大隊として存続した。その後1936年(昭和11年)、対馬全島に要塞装備が増強されるにつれて鶏知要塞重砲連隊と改称され、終戦まで続いた。

 戦後、米軍通信隊厳原派遣隊が旧陸軍兵営跡に駐屯し、1959年4月に撤収。その後、対馬町村会などが防衛庁に要望していた陸上自衛隊の厳原駐屯が決定し、1961年9月から陸自第4管区対馬作業隊が旧陸軍兵営跡に常駐するようになった。翌62年8月、陸上自衛隊の師団改編にともない、対馬派遣隊(第4師団・第41普通科連隊の1個中隊)100名が派遣された。81年3月には対馬派遣隊から対馬警備隊に昇格した。


駐屯地内には新しい高層宿舎が目立つ。体育館や消防庫もある。

 現在、対馬警備隊は普通科中隊なみの人数(約350人)しかいないが陸上自衛隊第4師団(春日)直轄であり、大村の第16普通科連隊などと同格扱いとなっている。警備隊長は、中隊であれば三佐のはずが、連隊長を務める一佐が充てられている。二佐が副隊長となり、総務、情報、作戦、兵站担当の4人の幹部とともに補佐する体制となっている。有事の際に本土からの支援部隊の編入やその指揮などを想定した編成になっているなど、その重要性がうかがわれる。


対馬駐屯地の脇にある訓練場(21,179 m2

 美津島町上見坂には上見坂演習場(376,843 m2:年30日使用)、鶏知に対馬基本射撃場(467,241 m2:年50日使用)、郷崎沿岸監視訓練場(291,829 m2:年20日使用)がある。