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崎辺海軍補助施設 FAC5118 佐世保市崎辺町
土地129,397m2:建物741m2


崎辺海軍補助施設。座礁事故を起こし切断された掃海艦ガーディアンの船体が一時期、置かれていた。
対岸の施設が新しいLCACの駐機場(2013年7月)

 米海軍は、崎辺地区東側を海軍補助施設として揚陸艦搭載のLCAC(エアクッション型上陸艇)7機の駐機場及び関連施設として利用してきた。

 13年3月、対岸の西海市の米海軍横瀬貯油所の海域に新駐機場が完成。跡地は再び米軍の資材等置き場とされた(写真)。日米合同委員会は既存の消防訓練施設を赤崎貯油所内に移転させることを条件に返還合意した(15年8月6日)。日本政府は返還後に、水陸機動団の海上輸送を担う輸送艦・「ヘリ空母」用の大型岸壁を建造する計画である。


かつての崎辺駐機場のLCAC

 崎辺地区は元々4つの島からなっていたものを、1920年、旧日本海軍が佐世保海軍航空隊を開設するため、海を埋立て島をつなぎ現在の形とした。
 1945年に連合国軍が接収し、通信施設、倉庫、ゴルフ場として使用していた。その後、SSK(佐世保重工業)の100万トンドック建設用地獲得のため、市民挙げての返還運動が起こり74年に返還された。しかし、米艦船の佐世保母港化が始まり、84年に米側は兵施設と住宅建設のために崎辺地区の再提供をするよう求めてきた。

 翌85年に県、市、福岡防衛施設局、米軍との協議が繰り返され、妥協の産物として、崎辺地区の東側(129,397m2)を米軍保管施設等として再提供し、米軍住宅は当時県が所有していた針尾工業団地の一部(214,849m2)を新規提供することで決着をみた。米軍は要求した面積25万m2以上の計34万m2を手に入れたことになる。

 崎辺地区東側を再接収した米海軍は、ここを海軍補助施設として1995年6月から揚陸艦搭載のLCAC(エア・クッション型上陸用舟艇)の駐機場及び関連施設として利用している。現在、LCACは7隻で、崎辺には補修スタッフも含めて約70人が勤務している。米海軍は米側の予算で上陸用スロープを整備し、フェンスや夜間用の投光器を取り付けるなど機能性を高めてきた。


米側の予算で整備された上陸用スロープ、フェンスや夜間用の投光器

 米軍は07年1月には仮設整備場を完成させた。テント式の整備場はLCAC1隻を収容できる広さで、建設費は約2700万円、他に電気や通信設備などのインフラ整備に約3600万円がかかっている。

 LCACは露天に駐機し、これまで日常的な整備などのメンテナンスは毎週火曜・木曜の運行時に行ない、本格的な整備は米カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン基地に送り返すことで対応してきた。今回の整備場建設で悪天候や夜間でも24時間態勢でLCACの本格的な整備が可能となり、即応性は飛躍的に強化された。


LCAC用の仮設整備場

 これまで佐世保海軍施設と崎辺駐機場を陸路で行き来するには海自基地内を通るしか方法がなかった。ところが轟湾に面する護岸を埋め立て、自衛隊施設を迂回して駐機場まで行く「崎辺町線道路」が防衛施設庁の補助金によって建設された。これは米軍以外はほとんど利用することのない「LCAC道路」となっていた。


崎辺海軍補助施設へつづく「LCAC道路」

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