原水爆禁止2021年世界大会の現地企画「ナガサキから世界へ 2021年―被爆者との連帯のつどい」が8月9日午後から勤労福祉会館とオンラインを結び開催されました。被爆者の思いを原点にした原水爆禁止運動だということが、理屈ではなく心に響く素晴らしい企画でした。
第1部の「長崎の原爆被害と長崎の被爆者」では、まず、被爆直後の爆心地の様子や治療を受ける被爆者の姿が当時の映像で紹介されました。辺り一面瓦礫と化した長崎のまち、曲がった鉄骨、火傷を負った人の苦痛に耐える姿や横たわり動けない人、脱毛した人などのうつろな目に原爆の悲惨さを追体験したようでした。
1955年に長崎にはじめて被爆者団体の「青年乙女の会」が結成され、その年に広島で開かれた第1回原水爆禁止世界大会に代表を派遣。そこで世界に向けて初めて被爆者が声を上げました。翌年の長崎の世界大会では渡辺千恵子さんが、1982年には国連軍縮特別総会で山口仙二さんが「ノーモア・ヒバクシャ」と演説を行います。
1990年には原爆症認定を求めた松谷訴訟が始まり、2000年最高裁で勝訴。2010年のNPT再検討会議では国連本部で谷口稜曄さんが、被爆で傷を負った自身の写真を見せて証言。2016年には被爆者が訴える「ヒバクシャ国際署名」がはじまり、今年1月の核兵器禁止条約発効へとつながる、被爆者と連帯した市民の運動の歴史が映像でよみがえりました。第1回世界大会での被爆者の「私たちが死んでしまったら、誰がこの恐ろしい原爆のことを伝えられるのでしょう」の訴えは、被爆者運動を牽引してこられた方々が次々と旅立つなか、重い課題です。
第2部の合唱「平和の旅へ」は、渡辺千恵子さんの被爆体験とその後の証言活動やその思いを歌にして、全国各地で歌い継がれている様子を映像と合唱でじっくり聴かせました。
第3部の「被爆者の証言とメッセージ」では、横山照子さんが自身と家族の被爆体験を語り、今年結成65年を迎える日本被団協・長崎被災協が「再び被爆者をつくらないで、私たちが生きているうちに核兵器の廃絶を」と願い、世界中に原爆被害の実相を証言してきた歴史を紹介。本田魂さんは「小さな力でも続けていくことが核兵器禁止条約につながった」と語りました。さらに、長崎で生活している被爆者が平和への想いを込めたメッセージを掲げて次々に登場。76年を生きてきた被爆者の「平和のバトン」を繋いでいかなければとの思いを強くしました。
最後に、被爆者の方々からは日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める声が多く出されました。被爆者の証言を心に刻み、その実現に向けて行動することが求められています。
(2021年8月10日)