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戦争法制の裏側で着々と

軍事依存を深める三菱長崎造船所

 9月24日、ながさき平和委員会は、三菱重工長崎造船所OBの錦戸淑宏さんを講師に「三菱長崎造船所のいま 戦争法制の裏側で何が起きているか」と題して学習会を開催しました。

 錦戸さんは、第二次世界大戦の終戦以降の日本の防衛政策・軍事政策と三菱の歴史を重ね合わせて説明されました。戦後、武器製造を目的から削除した三菱が、朝鮮戦争の勃発でGHQから武器製造が認可されて復活させ、その後、経団連に防衛生産委員会も設置し、防衛装備移転三原則など今では寧ろ三菱を中心とした軍事産業が、政権の政策に大きな影響力を与えています。

 そんな三菱も、2011年に事業所組織を9つの事業本部制に改編し、これまでの長崎造船所長権限が東京本社に移され、さらに13年には、防衛・宇宙ドメイン、エネルギー・環境ドメイン、交通・輸送ドメインのドメイン制となり、不採算部門の切り捨てや分社化などが加速するようになります。特に、マスコミ報道でもあるように、客船建造での1336億円という巨額の赤字が問題になっていますが、引渡し時期がズレ込むことで更に赤字が膨らむようです。

 また見かけは1万数千人の労働者だが、分社化で三菱の社員は2000人程度になるといいます。下請け率も67%から80%に上がり、平均賃金を下げ、県民所得への影響も出てくるとみられます。分社化された商船事業はLPGなどが中心で「客船の建造」からは撤退し、実質的には設計を行うだけになるようです。

 長崎造船所における防衛・宇宙ドメインはますます膨張し、立神工場が艦艇専用となることも決定しています。三菱長船分会では、立神工場は平和産業のために稼働させるよう要求しているそうです。

 錦戸さんは、1945年8月14日に日本政府が受諾したポツダム宣言には、その第11項で「再軍備を可能にするような産業は許さない」と記されており、三菱重工はその基本に立ち返り平和産業に徹するべきだとまとめました。

 長崎駅周辺で働いていれば、毎日目にする三菱の工場ですが、実は、その内側は自公政権の軍事政策と歩調を合わせて大きく変貌しているということが、大きな驚きでした。今年12月7日で、三菱長船の組合分裂から丁度50年。軍事産業に突き進む三菱重工に対して、職場の段階で暴走を止める三菱長船分会のたたかいの灯を次の世代に継承するとともに、地域から三菱重工を包囲するような運動の創造が求められていると強く思いました。

(2015年9月25日)