3月8日、福島で日本科学者会議主催のシンポジウムが行われた。9日は住民の帰還が始まって1年近くになる川内村を訪れた。被災から2年になるフクシマの現状を紹介する。
【線量は下がっていたが…】
福島駅前の空間線量計は毎時0.227μSv(?・シーベルト)。半年前の0.627μSvに比べると約3分の1になっている。それでも長崎の5倍もある。後で聞いた話では線量計の周辺だけ除染していて前回も泊まった近くのホテルは今も0.9μSv程あると言われた。地元新聞は大きなスペースを割いて前日の各地域の放射線量を記載し、テレビでも地方毎の線量を報道。日常の株式や紫外線情報と同じように扱っている。
【被災後の現実】
シンポジウムでは福島県の現実を目の当たりにした。震災による死者数は3113人。うち直接の死者は1599人。遺体が見つかっていないが死亡届けが出されている人が221人。残りの1293人が震災関連死だ。自死、仮設住宅での孤独死が殆ど。まもなく関連死が50%を超えるだろうと言われ、やるせない気持ちになった。
県内外への避難者はそれぞれ約10万人と6万人。語られないのが今も同じ場所に住んでる184万人の福島県民のこと。低線量の放射線の下で暮らし、不安を感じても口に出せない状況があるという。その一方で周囲には脱原発の運動を進めたいがために被害を誇張する風潮や、被害は小さいに越したことはないが逆に原発推進に利用されてはかなわないという人もいるそうだ。不安を抱え、いちばん寄り添わなければならない被災住民が置き去りにされている。
【戻り始めた住民たち】
川内村は第二原発のある富岡町に隣接する人口3000人の村。一時期8000人の避難町民を受け入れたがすぐに郡山市に全村避難した。
放射線量が低いということで村は役場機能を戻し、昨年4月からは住民の帰還が始まった。しかし村内定住者はわずか400人。週4日以上滞在する二重居住者を含めても4割弱の1160人。しかも50歳未満の帰村率は22%。帰村しない理由に放射能被害を挙げた人は複数回答でも20%未満だった。
【インフラ整備が課題】
川内村は富岡町にインフラを大きく依存してきた。雇用、食事・買い物、高校、病院、介護・福祉、レジャー…。しかし富岡町も全町避難で帰還の見通しが立たない。除染の一方、自前で最小限の整備を必死に行っているがまだまだ不足し、帰村が進まない最大の理由となっている。
【新しい村づくりへの挑戦】
村長と復興対策課長の話を聞いた。「村民は未来に繋ぐものと自らの過去を奪われ、人生観を変えられてしまった。生きがいと誇りを取り戻す心の復興をめざしたい。」「自慢の地下水を利用した野菜ブランドの確立、ドイツとの協力でメガソーラー設置などで新しい村をつくり将来は人口5000人をめざす」。この姿勢に感動!
(2013年3月10日)