“生きがい”を実感した歴史的な集会でした。
4月24日にはレンタカーでうるま市の米軍基地ホワイトビーチがよく見える展望台に行ってきました。移設予定海上基地はこの沖だと言われました。行く先々のお店の人々、会った人々、道を尋ねた人々に長崎から集会に参加するために来たと話すと、集会の事は全ての人が知っていて、みな歓迎してくれました。60代前半の男性で以前米軍基地に働いていたという人が「米軍が抑止力という云う人がいるが、基地が沖縄が真っ先に攻撃される。攻撃されたら一分もかからず全滅さ。戦争をする時代ではない、もめごとは話し合いさ。私も明日の集会に参加します」と話してくれました。
漁港でテントを張って海ブドウやモズクを販売していた40〜50代前半に見える女性は「この移設案はマスコミで初めて知りました。観光もモズク漁も全滅さ。小学校に統廃合も突然出された。反対署名に協力して下さい。頭越しに決められるのは許せない。明日の集会で会えるといいね」とアセロラに似た酸っぱい果物をもらいました。
勝連城跡前のお店に入ったら、ラジカセからある民放が「沖縄にある今までの基地は県民が望んで作られたものではない。強制的に作られたものだ。新しい基地は絶対作らせない。皆さん明日の4・25県民集会には参加しましょう。5歳の子どもの両親もパンパースを持って参加すると言っています」と集会参加を呼び掛けていました。NHKテレビでは総合で午後3時から中継すると、前日流れていました。
集会へはタクシーで途中まで行き、ゼッケンと鉢巻をして歩きましたが、婦人の集団、子どもの手を引いた若夫婦・おじいさん、中年のおじさん等が会場に向かって繋がる様に歩いて行きました。舞台の近くに座りました。
高校生代表(二人とも普天間高校生)が「厚さ6㎝の窓いっぱいに見える飛行機の胴体。これが普天間高校の日常の光景だ。普天間基地を含め、日本にある米軍専用基地の75%が、沖縄にあることを実感した。沖縄に基地があることは仕方ないと考えていないか。それぞれの立場で、基地問題に向き合ってほしい。沖縄は琉球王国のころから、平和を愛し、人とのつながりを大切にしてきたので、平和を築く力がある。会場での会場以外でも、多くの人々が何とかしたいという思いで集まっている。基地問題を日本国民が自分の問題として考えてほしい。1人でも多くの人たちに思いが届いてほしい。」と訴えていましたが、沖縄を含め日本から全ての米軍事基地をなくすために日米安全保障条約の存在を学び宣伝して行きましょう。
(2010年4月27日)