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いまこそ非核港をめざす共同の広がりを

運動に支えられた高知の非核港づくり

 5月30日、「非核長崎港をめざす連続学習講座」の第3課が開かれ、高知県平和委員会・事務局長の和田忠明さんが「高知の非核港づくり」と題して講演を行いました。
 和田さんは広範な運動に支えられた高知での非核港づくりの取り組みを紹介し、国際的にも核兵器廃絶への機運と期待が高まる今こそ、被爆地ナガサキで具体的な行動を起こし、世論を高め、非核港を実現させようと呼びかけました。

【核兵器と米軍再編をめぐる情勢】
 オバマ大統領が「核兵器のない世界を」を表明し、ロシアや欧州議会もそれに呼応した動きを見せている。核兵器廃絶の運動に50年間かかわってきたが、こんな大きな変化が起きたのは初めてのこと。この変化をもたらした大きな要因のひとつは我々の「人類と核兵器は共存できない」と訴えた運動が世界の政治に届いたことと言っていい。このチャンスを何としても活かしていこう。

 その一方で、ソ連崩壊後の時代に合わせた在日米軍再編が最終段階にきている。それは新たな基地建設による米軍強化であり、自衛隊の米軍との一体強化である。その中で民間港湾や空港を有事使用計画が進められている。米艦寄港もこのような情勢の下でとらえる必要がある。

【非核神戸港方式の快挙】
 神戸港では日々米艦が入港して犯罪を起こしていて、それに対する運動があった。市民は「米艦は核搭載のまま寄港している」という1974年のラロック証言をうけ、市議会に働きかけて「核搭載艦の入港拒否決議」をあげさせる。市当局は港湾管理条例の「危険なもの」を核兵器に適用し、非核証明を求めることにした。新しく条例を作ったわけではない。外務省を通して入港要請が来たら、非核証明を在日米大使館に求め、証明書が届いたら、許可通知をする、という流れをつくった。以降、米艦は今日まで入港していない。それは米核政策が「核兵器の搭載の有無を明言」できないからだ。

 当時の中曽根首相は「国と地方自治体は別だ。地方自治体は尊重する。混同すると地方自治の否定になる」とまで答弁している。

【高知の非核港づくりの取り組み】
 高知県では「ヒロシマ・ナガサキからのアピール署名」を52/55自治体で過半数を達成した。この署名を活かすために新しくできる高知新港に神戸方式を適用する運動を始めた。
 1996年11月の知事交渉で高知新港開港時に非核港宣言と核艦船拒否を求めるよう要請し、副知事は非核港にすると回答した。97年12月に自民党が「高知県の港湾における非核平和利用に関する決議」を提案し、全会一致で採択された。県当局は98年3月議会に、港湾施設条例の「有毒物、爆発物」の中に「核兵器」を挿入して、「非核証明書」を求める案を準備した。

【逆流とのたたかい】
 ところがここにきて県選出の中谷衆議院議員(防衛大出身)が知事に圧力をかける。ちょうど「周辺事態法案」が国会に提出される時期だった。知事は外務省に公開質問状を出すが、外務省は「寄港を認めるか否かは外務省の権限であり、地方自治体が条例をつくって入れないようにするのは許されない」と反対。結局、99年3月議会で条例案は継続審議、4月の県議会選挙で実質廃案となった。自民党は釈明の新聞広告を出さざるを得なかった。

 この間、県民は署名活動をはじめ知事を励ます取り組みを行った。条例制定を求める自治体意見書は35に。全国の著名人から1900通の激励。200万円のカンパ。地元の自民党県議への賛同要請等々。

 高知でなぜそこまでできたか。下地として自由民権の伝統。何よりも圧倒的な運動があった。議会での革新系の力。恒常的な知事交渉。そして住民の意見を聞く橋本知事の存在も大きかった。

 このたたかいの伝統はその後も引き継がれ、宿毛湾港への米イージス艦寄港に際し、広範な人々のネットワーク結成につながっている。宿毛湾港は水深は15m,空母も入れる港。位置的には、岩国基地とリマ海域(訓練海域)の間に位置する格好の場所。空母の母港化や艦載機のタッチアンドゴーの訓練地誘致の話も出ている。

【被爆地こそ非核港に】
 世界は核兵器をなくそうという方向に動き出している。軍事ではなく対話で解決という方向だ。アジアでも軍事同盟は時代遅れという流れが始まっている。
 長崎港への米艦寄港の意味をもっと市民に伝える必要がある。「安保条約に基づいて戦争するときに自由に使う、その訓練のための入港だよ」と。「非核長崎港を実現する会」などを組織し、具体的な運動を進めて世論を盛り上げ、せめて高知の非核港決議のようなものを勝ち取てほしい。被爆地が声を上げると全国を激励する。非核については特別な県なのだから国民から支持される。いっしょにがんばっていきたい。

(2009年5月31日)