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多くの市民の合意で議会を動かそう

非核長崎港をめざす連続講座始まる

 5月14日、非核長崎港をめざす連続学習講座の第1課「軍港入港をめぐる戦後長崎港の歴史」が開かれしました。講師は長崎市議会事務局に長年勤務されてきた田中實さん。
 田中さんは、戦前の長崎港と軍との関わり、核保有国艦船が入港するときに県や市がどのように対応したか、いま長崎がかかえている問題点などを語ってくれました。
(以下、要旨)

【戦前の長崎港は】
 長崎は帝国海軍発祥の地でもある。1855年に海軍伝習所ができた。その遺産の1つが長崎製鉄所、後の三菱長崎造船所である。三菱では1899年から軍艦を造り始める。最後は戦艦武蔵だった。そして戦後最初の護衛艦も三菱で、これまで多くの護衛艦を建造している。

【港湾管理権の委譲】
 戦後、原爆被害からの復興を優先させるために市は費用のかかる港湾管理を県に委譲した。それでも費用の半分は市の負担となっている。

 講和条約締結後、長崎港に最初の軍艦が入ってきたのは1965年、英国の駆逐艦。それ以降、74年までは大きな問題とはならなかった。

【核保有国艦船の入港拒否】
 ところが74年、「核積載可能な米艦艇は、日本その他の外国港に入港する際でも、常時核兵器を積んでいる」というラロック証言が飛び出した。それを放っておくことはできず、被爆地でも議論となった。長崎市議会では革新・保守双方から議案が出たが最終的に保守派が提案した「核搭載艦船の日本への寄港をいっさい求めない措置を講ずることを政府に求める意見書」が可決された。(神戸市では非核神戸方式が採用された)。この年の2月、フランス核実験に抗議して諸谷市長が出した核保有国の軍艦の入港拒否声明とあいまって、その後12年間、核保有国軍艦は入港しなかった。

【二転三転した市長の姿勢】
 86年11月、初めての米軍艦入港は佐世保配備の救難艦ビューフォートだった(このときに長崎港の調査を行っている)。本島市長は「核保有国艦船であっても、核兵器搭載が考えられず親善目的の場合は受け入れる」と諸谷政策を180度転換。

 ソ連崩壊後、米核政策の見直しで、92年にブッシュ大統領は「海洋配備の戦術核の撤去完了」との声明を出した。93年、本島市長は「ブッシュ声明は信じるが、長崎港に軍艦はなじまない」と米イージス巡洋艦モービルベイの寄港回避を要請。

 95年、伊藤市長は「ブッシュ声明を信じ、米艦船は核搭載可能艦であっても入港を認める」と発言した。しかし被爆50年に当たることから市民感情を理由に米第7艦隊旗艦ブルーリッジの入港回避を要請した。だがその後、毎年入港する米艦については回避要請をせず。被爆55年に寄港した米ミサイル駆逐艦ディケーター以降は毎回回避要請を行い、現在の田上市長も踏襲している。

【何もしてこなかった議会を動かそう】
 問題点はこの間、市議会が74年の意見書採択以外は何もしなかったこと。行政と議会が声を上げれば大きな力になる。市民全体が合意できるような納得するような運動をしていく必要。そして請願を出して議決させる。道理を通せば人は変わりうる。保守系だからとレッテルを貼らない。みんな現状を意外と知らない。長崎市での軍艦建造は矛盾。どう克服していくかも課題。みんなの知恵を出して議会を動かそう。

(2009年5月15日)