真実を見抜く目を持ち、憲法を守ろう
ながさき9条フェスタで石坂啓さん

  12月17日、長崎市公会堂で「ながさき9条フェスタ2006秋」が開かれ約700人がつめかけました。漫画家で「週刊金曜日」の編集委員をつとめている石坂啓さんが「そんなに戦争がしたいのか」と題して講演をしました。石坂さんは漫画家ならではの発想と感性、鋭い風刺の効いたテンポのいい語りで、観客の爆笑を誘いながらも、日本のおかれている事態の深刻さをリアルに語りかけました。(以下、要旨)

 日本とアメリカの関係は『ドラえもん』に出てくる、スネ夫とジャイアンに喩えるとわかりやすい。アメリカはジャイアン。体が大きくてケンカっ早い。悪いやつじゃないかもしれないけど、きわめて単細胞。日本はスネ夫。小利口で金持ちだけど、腕っぷしはからっきし。強いアメリカの周りをウロチョロして身を防いでいる。自分ではジャイアンを利用しているつもりだけど、じつは利用されている。大切なマンガ本やオモチャを取り上げられてしまう。しかも、そんなスネ夫(日本)を尊敬している友達は周り(アジア)に一人もいない。

 いまは権力がたくみに世論を誘導している。うたぐってかかるマンガ家的発想が必要。最悪のシナリオまで想像してみること。性格の良い人は、自分に悪意がないので他人の悪意に気がつかない。「いくら何でも日本がまた戦争をするわけがない」なんて思わないこと。イラクに自衛隊が出かけた年が「戦争元年」。もう角は曲がりきってしまった。「戦後70年」はないかもしれない。前の戦争も始まりは同じ。みんな普通に生活して、遠くで人が死んでいた。自分の頭の上に爆弾が降るなんて誰も思っていなかったはず。

 イラクで香田証生さんが殺されたとき、遺族は「多くの人に大変なご心労をかけたことにお詫び申し上げるとともに、お礼と感謝の気持ちでいっぱいです」と記者会見の席で述べた。肉親が殺されて悔しいとか、憤りのことばを口にするのが当然なのにそれが言えない状況がもうつくられてしまった。前の戦争のときとどこが違うのか。

 ナチス・ドイツの宣伝大臣だったゲッペルスは、国民には何度も攻撃されかかっていると脅えさせ、その一方で愛国心がないと攻め立てることでドイツを国民を戦争に駆り立てた。さらには国民から思考力を奪って指導者のいうがままに、みんなが同じ思いになるようにしむけた。いつの時代にもどこの国にも効果的な方法だ。

 マスコミには自覚が足らない。視聴率などの数字のためにマスコミは「絵になるもの」しか写さない。結果として権力側に加担している。写っていないもの、何を写していないのか想像することが大切。

 周辺事態法、個人情報保護法、国旗国歌法など国は着々と法律を次々と成立させ次は共謀罪をねらっている。これらをすべて合わせると、戦前の治安維持法に匹敵する力になるだろう。
 教育基本法が変えられ、子どもの未来がこわい。高校生にボラティアの義務づけがされた。それは間違いなく徴兵制への地ならし。いずれ日本は正規の軍隊を持つ国になる。そのときは「徴兵制」というダサイことばではなく、例えば「2年間予備役を行なうと高収入を保証する」とかというかたちでやってくる。そのためにも権力者にとって「格差社会」は維持しておくことが必要なのだ。

 大人たちがつくる社会の枠組みのなかで、何の責任もない子どもたちがいきていくことになる。大人たちがなすべき責任を果たそう。国に対してものが言えるうちに反対の意思を発信し続け、多くの人と連携することが大事。気持ちを持続できるように、楽しみながらやれることをやろう。