イラク拘束事件とその背景 6月20日、イラクで拘束されたジャーナリストの安田純平さんの講演がありました。主催は広範な団体・個人によって構成されているワールドピースナウ・ナガサキ実行委員会。安田さんはユーモアを交えながら拘束されて開放されるまでの3日間の出来事とその背後にあるものを語り、どのようにしたらイラクに平和を築けるのか考えようと呼びかけました。以下、講演の要旨です。 ファルージャでの米軍の言い分が住民とは大きく食い違っていた。しかしその証拠がなかなか出てこない。これはジャーナリストの仕事がと思い、イラク入りした。私は「人質」ではなかった。代償として何かの要求があったわけではない。自宅に多くのマスコミが詰めかけ、近所に迷惑はかけた。そういう意味で社会的責任はあっただろう。しかし、政府のいう「自己責任論」はおかしい。国家は個人の意志とはかかわりなく、人命を救助しなくてはならない。ふつう自殺しようとする者を放置はしないだろう。 政府はことばの定義をあいまいにしたまま感情的なものでひとくくりにしてしまう。「テロリスト」がそうだ。私を最初に拘束をしたのは地元の農民だった。米軍の攻撃から自らを守るために行なったのであって、どちらかというと「正当防衛」に近い。犯罪者には人権はある。ところが異なるケースも一緒くたにして「テロリスト」と決めつければ、攻撃も許されてしまう雰囲気がつくりあげられてしまった。 「自己責任」もそうだ。結局は自衛隊派兵是か非かの議論を封じ込めるためのだされてきたもの。言葉をはっきりさせないと感情に流されて真実が見えなくなる。 結局は銃を持っているかどうかで運命が分かれた。これまでに拘束されて殺された外国人はみな銃を持っていたのだ。丸腰で相手の懐に入るような気概が必要だ。 拘束されている間、神秘的なコーランのお祈りやイラクの部族社会の生活にふれることができた。イラクでは親日感情は高かった。アメリカに対するプロパガンダの一環かもしれないが、ヒロシマ・ナガサキの被害をうけながらも高度経済成長を遂げたことに尊敬の念を持っていた。イラン・イラク戦争の時にヨーロッパ各国の企業は撤退したが日本企業はとどまったことなどが高い評価を与えてきた。80年代に築いた親日感情という大きな遺産を自衛隊派兵が食いつぶしている。 いま自衛隊の撤退だけを求めてもだめだ。戦争反対だけでは不十分。あわせて日本の市民として復興支援対策を示していく必要がある。政府は何十億円かけても復興には些細な支援しかできないのだから。 |
||