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長崎港での軍需産業


第2船台で船体建造中の新型イージス護衛艦

 被爆の街で武器生産を続ける三菱重工長崎造船所。年間生産額の1割が軍需産業。それに費やす労働時間も1割程度。主な生産物は護衛艦と魚雷。

護衛艦

 戦前、三菱重工長崎造船所では「武蔵」をはじめとする3隻の戦艦、4隻の航空母艦など計82隻の艦船を建造してきた。

 戦後に発足した防衛庁は1953年に警備艇2隻の新造を決定した。長崎造船所が第1艦を受注し、1956年に護衛艦「はるかぜ」として竣工させた。これまでに31隻が竣工し、1隻を除いて全てが護衛艦である。この中に米軍と一体となった情報探知システムをもつイージス護衛艦5隻が含まれる。

 海上自衛隊が現有する対空ミサイル搭載護衛艦(イージス艦を含む)9隻中、8隻をここで建造した。なお1~12番艦はすでに廃船となっている。

 これまで船体は主に香焼長浜工場でつくられ、長崎の本工場まで曳航したあと、艤装工事が行われていた。香焼長浜船台は「さざなみ」の進水後、03年秋に廃止され、04年10月から跡地に風力発電施設の生産ラインが稼働した。27番艦以降の船体は立神工場の第2船台で建造された。ここは戦前、戦艦武蔵を建造した場所でもある。

 定期検査、修理など、最近では年間10隻が入港。検査のほか、武器・エンジンのチェック、修理などに3~4ヶ月かかるので常時2、3隻の護衛艦が係岸されており、異様な光景である。

魚雷
戦前、三菱兵器製作所は唯一の魚雷工場であり、月産200本を生産していた。戦後、その機能は長崎造船所に引き継がれ、1954年の自衛隊発足と共に54式魚雷生産を開始、今日まで量産体制を拡大し続けている。

 魚雷部品は長崎市幸町工場でつくり、諌早工場で組み立て・試験をし、西彼杵郡長与町の堂崎海岸で発射(追跡)試験を行っている(本格試験は鹿児島で)。以前は短魚雷はアメリカからのライセンス生産であったが、1997年からは独自開発をしている。

●長魚雷  潜水艦用       約7m 年間5~6本
●短魚雷  護衛艦、対潜哨戒機用 約3m 年間23~24本

この他にも次のような武器を生産している。
●アスロックランチャー(対潜ミサイル発射装置)の修理・点検
●VLS(垂直ミサイル発射システム)の製造
(従来はイージス艦だけに装備されたが現在は新造護衛艦に装備)


香焼長浜船台で船体建造中の護衛艦