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松谷英子さん、厚生省に謝罪要求
厚生省は答弁に窮し、しばしば沈黙
8月29日、最高裁判決後最初の厚生省交渉と各政党要請行動を行いました。参加したのは原告松谷英子さんと、4つの原爆症裁判の弁護団の代表、日本被団協や松谷訴訟を支援する会など原爆松谷裁判ネットワーク代表、東京・近県の被爆者代表ら17名。厚生省からは山本福祉課長、坂本企画課長補佐らが参加しました。
代表団は(1)原爆症認定が遅れたのは厚生省の責任だから謝罪せよ、(2)大阪高裁や東京地裁、札幌地裁で進行中の原爆症裁判は、判決を侍つまでもなく原爆症と認定せよ、(3)最高裁判決にそって、認定のあり方についての具体的な改善策を示せ−−という内容の要請書を提出しました。交渉は緊張したやりとりが交わされ、予定の1時間を大幅に超過し、厚生省側はしばしば答弁に窮し沈黙するという状況でした。
謝罪要求に対して厚生省は「お気の毒に思う」と答えたことから、「加害者である厚生省が被害者松谷英子に対して“お気の毒”とは何事か」と代表団につめよられ、坂本課長補佐は聞き取れないような小声で、釈明にもならない釈明を繰り返すだけ。「厚生大臣に聞き直してこい」と宿題にしました。
更に、7月31日の審議会の内容の公開を求めたところ、松谷さんの認定については「持ち回りでやった」ことが明らかとなり、最高裁判決以降、どのような理由で松谷さんを認定するように変わったのか明らかにするよう求めました。
代表団は「判決はDS86が否定され、しきい値論が被爆の実態と矛盾をしていると述べている。従って今までのこの理論は今後使えないはずだ。審議会の在り方を見直すべきだ。」と主張し、厚生省は「黒(認定できない事例)を白(認定の事例)とすることはできない」と回答。これに対し、黒と認定していた基準(DS86、しきい値論)が最高裁で否定されたではないか、と反論。厚生省は、今後「判決の趣旨をもとに審議の在り方を検討する」と述べました。
また、審議内容についても公開するよう求め、他の3件の裁判の原告についても再度審議会で検討をするように求めました。そして、7件の意義申し立て案件についての審査の期間が長いので改善するよう要求しました。
次回の交渉では厚生省側が(1)謝罪について、(2)最高裁判決をふまえた原爆症認定のあり方について、(3)係争中の3件についての医療審議会での審議結果、などを回答することを約束しました。
厚生大臣
津島雄二殿
日木原水爆被害者団体協議会
原爆松谷裁判ネットワーク
長崎原爆松谷訴訟を支援する会
原爆松谷裁判弁護団
京都原爆訴訟弁護団
東訴訟弁護団
安井原爆訴訟弁護団
要 請 書
私どもは、原爆松谷裁判並びに京都、東京、北海道の被爆者が、国の原爆症認定却下処分の取消しを求めて争っている、裁判の原告・弁護団並びに裁判を支援するものです。
さる7月18日に言い渡された原爆松谷裁判の最高裁判決は、かねてからの松谷英子さんの主張を完全に認めたものでした。判決は単に松谷さんの主張を認めたにとどまらず、現在の国の原爆症認定の在り方の見直しを迫るものです。私どもは、国はこの最高裁判決を機に、以下の項目について早急な実行・改善を図るよう要請するものです。
記
以上
東京
原爆松谷裁判ネットワークの主催による、東京での「勝利報告集会」が8月29日(火)午後1時30分より東京弁護士会館で開催されおよそ90名が参加しました。集会は、藤平被団協代表委員の開会挨拶ではじまり、横山弁護団長の挨拶に続いて松谷さんが「ネットワークの結成が勝利への大きな力になった」と支援への感謝の言葉を述べました。その後、内藤弁護士が最高裁判決の内容と意義などについて報告。続いて、午前中に行われた厚生省交渉の内容についての報告もありました。
更には、京都訴訟の尾藤弁護士、東京訴訟については被団協の山本英典さん、そして札幌の原告・安井さんが、高齢にもかかわらず裁判へ踏み切った心情を、松谷さんが不自由な身体で頑張っていること、そして、冷たい厚生省の原爆症認定却下の身近な事例をあげて話をされ、松谷訴訟の勝利を追い風にして必ず勝利したいとの決意が示されました。
また、松谷裁判ネットワーク参加団体の日本被団協、日本青年団協議会、日本生協連、世界大会実行委員会、キリスト教婦人矯風会、日本科学者会議などからそれぞれお祝のご挨拶があり、この勝利を松谷さんだけのものにさせないよう原爆症裁判の引き続く勝利をめざすことを確認し集会を終了しました。
8月19日(土)午後4時から、福岡市市民福祉プラザで「勝利報告集会」が開かれました。集会には福岡被団協や弁護士、原水協、民医連その他、福岡高裁でとくにお世話になった60名ほどの皆さんが出席をされました。福岡市被団協の西山進会長の開会挨拶ではじまり、諫山博弁護士(福岡県原水協)や中村尚達弁護団事務局長の最高裁判決についてのコメントのあと、松谷英子さんが「この勝利は、皆さんの勝利です」とお礼の挨拶を述べました。
第2部は、北九州からアコーディオンをかついでかけつけていただいた簾照男さんの演奏でスタート。会場はアルコールが禁止のため、ジュースでの乾杯となりました。福岡高裁のたたかいでたいへんお世話になった団体の皆さんだけに、久しぶりの再会と勝利をよろこぶスピーチや歓談が弾み、合唱団あらぐさのリードによる「アンジェラスの鐘」「原爆許すまじ」の全員合唱でさわやかな報告集会を閉じました。
全国の仲間に勝利の報告
原水爆禁止世界大会・長崎
【松谷さんのあいさつ】
最高裁判所は厚生省の上告を棄却し、私を原爆症と認め、勝訴しました。大会に参加されている皆さまに本日ここで報告できることを大変うれしく思っています。
これが認定書です。
長い間のご支援、本当にありがとうございました。
夢にまで見た最高裁での勝訴は、ただただうれしいの一言です。この勝利は私だけのものではなく、すべての被爆者の皆さま、そして核兵器廃絶を願う国民の勝利です。
最初にこの舞台に上がり、この場所で皆さまに支援の訴えをしたことが昨日のように思い出されます。こんなに長いたたかいになるとは思いもつきませんでした。
「ひろがれたんぽぽ」の歌声のように長崎地裁、福岡高裁と裁判支援の綿毛は全国に広がり、福岡高裁では裁判所始まって以来の53万筆に及ぶ署名を積み上げ、勝訴判決を引き出す大きな力となりました。しかしながら国は執拗に私を原爆症と認めず上告しました。なんてひどい仕打ちかと腹立たしくもなり、先の見えない最高裁でのたたかいは私を苦しめました。母も亡くなり、心細い私を励まし、勇気づけてくれたのは地元長崎はじめ、全国で支援してくださった皆さまです。
最初の認定申請から23年間もかかったことの厚生省の責任は大きいと思います。これまでの認定行政を問う司法の判断を今後どのように厚生省が生かしていくのか、たたかいはまだ終わったわけではありません。
いま各地で私同様原爆裁判をたたかっている3人の被爆者がいます。それぞれ病をおして裁判をたたかっています。私はこれらの裁判が一日も早く勝利するために力を尽くしたいと思います。皆様方からの裁判支援を心よりお願いいたします。
目前に迫る21世紀には、55年前の8月のヒロシマ、ナガサキに落とされた核兵器が地球上からすべてなくなるように被爆者として微力ながらも力を尽くします。
ほんとうにありがとうございました。
【中村尚達弁護士の報告】
松谷訴訟弁護団事務局長の中村尚達です。勝利へ導いていただきました皆様の御支援誠にありがとうございました。
松谷英子さんの原爆症認定を求める裁判は12年の年月をかけて去る7月18日最高裁判所において、被告厚生大臣の上告を退けるという、上告棄却の判決が下され、最終的に松谷さんは原爆症であると認定されました。この裁判は松谷さん自身の不屈の精神による戦いがあった事はもちろんでありますが、一五〇名に及ぶ弁護団、1万名近い支援する会の人々の御支援、100万筆を越す署名運動、多くの科学者の人々の御支援、こういうものの力が一つになって勝ち取ることができたものであります。本当にありがとうございました。
私たちは、この裁判に2つの意義と2つの目標をかかげました。その事を簡単にお話ししたいと思います。
裁判の意義の第1は、被爆距離の制約を取り除くことでした。厚生省は爆心地から2キロ以内の距離での被爆でないと原爆症と認めない、という方針です。松谷さんは爆心から2.45キロ地点での被爆でした。厚生省の2キロ以内という方針の根拠はDS86というものです。これはアメリカの科学者が中心となって、核兵器開発のためどれだけの核爆発があったとき、どれだけの放射線の威力が生じるかということを推定するためのコンピュータ計算システムなのですが、これを広島、長崎の原爆にあてはめて、どの地点ではどれだけの放射線をあびたかを推定しています。裁判所はこの計算システムの機械的あてはめによる健康被害の判断はまちがっている、と判断しました。これにより2キロ以遠の多くの被爆者が救済される道が開けたということができると思われます。
裁判の意義の第2は、疾病、障害の種類の制約を取り除くということでした。厚生省は今までガン白血病など、医学的にみて放射線との因果関係の明らかなものしか原爆症として認めない、という方針でした。松谷さんは脳障害による運動機能障害でした。この松谷さんの障害が原爆症と認められたことにより、より広汎な被爆者に救済の道が開かれた、ということができると思います。
2つの裁判の目標をお話しします。その第1は、国に国家補償責任を認めさせて、被爆者行政を根本的に見直しをさせることです。裁判に勝利をしましたが、もし、私たちの運動がこれで終わったら、国の態度は何一つ変わらないと思います。最高裁判決は私たちの戦いの第一歩であり、この判決をテコにして、これらの運動を更に飛躍させる必要があると考えます。
目標の第2は、国に国家補償責任を認めさせること、それは即ち、国に核兵器廃絶の立場をとらせることです。この裁判は核兵器廃絶を目指す裁判であったわけです。このような裁判であるからこそ、大きな運動となり多数の国家の支持を得て勝訴する事ができました。まだまだ私たちの運動は続きます。核廃絶の日までともに頑張りましょう。
7月18日の勝利判決後、松谷さんと支援する会事務局は勝利の報告とお礼を兼ねて、日本母親大会(東京)と原水爆禁止世界大会の広島・長崎大会に参加をしました。
何処の会場でも松谷さんの姿を見かけると「松谷さんよかったね」「身体は大丈夫ですか」などの声をかけられ、握手や記念撮影などの要望に松谷さんも本当に嬉しそうに応えていました。
また、出来上がったばかりのブックレット『次代を拓く風に』のサインセールには多くの人が集まり、松谷さんは利かない右手をかばいながら、左手で1字1字ていねいにサインを続けました。
広島大会の最終日には、松谷さんも頑張って3時間程もサインを続け、支援する会が持参した500冊のブックレットを完売することができました。
大会に参加した支援する会事務局のメンバーも、多くの皆さんが自分のことのように喜ぶ姿に接し、あらためて、松谷さんの頑張りと1万人ちかくの支援する会会員の運動の勝利だと実感しました。
松谷さんに認定書
8月3日、長崎市役所で松谷さんに原爆症「認定書」が手わたれされました。7月31日付けで、津島雄二厚生大臣が「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律第11条第1項の規定」より認定したものです。
しかし認定疾病名が「右頭部外傷による・・・」と右と左を間違えて記しており、改めて厚生省のずさんさが浮き彫りとなりました。支援する会の問い合わせには、単なるミスであって差し替えると回答し、8月7日に届けられました。
最初の認定申請から23年、ようやく松谷さんが原爆症と認定されました。しかし厚生省からは文書一枚だけです。支援する会は8月末に厚生省交渉を持ち、松谷さんへの謝罪と、判決を認定行政に行かすよう求めていく方針です。