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松谷さん、日本原水協関東甲信越ブロック学校へ

 3月26〜27日、千葉県鴨川市で、日本原水協関東甲信越ブロック学校が開かれ、関東甲信越の原水協の理事長や事務局長など約60名が参加しました。松谷英子さんと牧山、大塚両次長が参加しました。
 講演のあと、特別報告として松谷さんが被爆体験を中心に約30分訴え、参加者は熱心に聞き入りました。そのあと牧山次長は「最高裁の地元は関東です。最高裁要請行動を含め、地元の皆さんのいっそうのご支援をお願いします。」と訴えました。
 また交流会や休憩時間などでは、松谷さんを囲んでの集会や団体要請行動などの計画が具体的に話し合われ、5月以降のオルグが実現しそうです。

 今回のオルグで入会6名、カンパ15,000円が寄せられ、パンフ27冊を普及しました。


最高裁署名50万筆突破

 3月22日の第10次最高裁要請行動は、午前8時30分からの「原爆松谷裁判・全国支援ニュース」の最高裁職員への配付ではじまりました。その後、10時より個人署名16,546筆、団体署名124通を提出し、その結果、個人署名は、50万を突破しました。
 そして、「署名が50万をこえたことを踏まえ、一刻も早く上告を却下してほしい」
とそれぞれの立場から要請、また、被団協からは、原爆症認定申請をしても4年間も放置したり、1年前に原爆症が認定されているにもかかわらずいまだに手当てが支払われていないなどの指摘をし、被爆行政の怠慢を是正するためにも「早期判決」を求めました。なお、この行動には、日本被団協・キリスト教婦人矯風会・日本青年団協議会・日本生協連・原水爆禁止世界大会実行委員会・埼玉の被爆者など、9名が参加をしました。


原爆裁判の勝利をめざす決起集会


 3月15日 「原爆裁判の勝利をめざす決起集会」が、千代田区のエデュカス東京にて東京都原爆被害者団体協議会(東友会)主催で開催され、160名が参加しました。長崎から松谷英子さん、中村照美弁護士が出席し松谷訴訟の経過報告と100万署名の取り組み、支援を訴えました。北海道で原爆症認定を求めてたたかっている安井晃一さんも参加し、共にがんばろうと決意を新たにしました。東京の東数男さんは数日前に体調を崩し入院のため、メッセージでの参加となりました。

 日本反核法律家協会の池田真規弁護士による講演「被爆者補償と核問題」では「伊藤サカエも伊東壮も死んだのではない、原爆に殺されたのだ。」と冒頭から熱く語り、政府の核政策を変える運動の提起を行いました。「原爆裁判を支援する東京の会」が立ち上げられ、結成のアピールと「原爆裁判の勝利をめざす集会」のアピールが大きな拍手で採択されました。
 翌日開かれた「松谷さんを囲む東都生協の学習、交流会」では30名の参加者が松谷さんの被爆体験に涙を流して聞き入り、平和を守っていくためには何をすべきなのかと多くの意見が出され、松谷さんも修学旅行生に話した経験なども語りました。
 「松谷さんを囲む葛友会のつどい」では葛飾の被爆者の会の主催で被爆者ら35名が参加し、オープニングは被爆者による「長崎は今日も雨だった」などのハーモニカ演奏で始まりました。参加者は松谷さんの話に熱心に耳を傾けました。集会が計画されてから1週間ほどでしたが、松谷さんに手渡そうと556筆の署名を集めて、この日を迎えられました。
 平和委員会の人から「このような集会を被爆者主催でしてもらうのではなく、自分たちが開くべきだった。反省させられた。これからがんばります。」と決意表明もありました。集会のあとの葛友会の夕食会は下町人情あふれる暖かい雰囲気に、松谷さんも大感激でした。

 16〜17日の2日間、松谷さんと事務局は東友会・東京原水協の案内で東京都生協連、東京原水協、東京平和委員会、東京労連、東京地評、東京民医連、全日本年金者組合、同東京都本部、新婦人東京都本部の9団体へ支援の要請を行いました。松谷さんの自ら足を運んでの要請に対してどの団体も熱心に話を聞いてくださり機関会議にかけて署名、上申書の取り組みを行うこと、また最高裁への要請行動への参加を検討いただくことになりました。

 3日間で7名の入会があり、カンパ57,OOO円が寄せられました。またテレホンカード41枚、ポストカード42枚を普及しました。


松谷英子さん、「3・1ビキニデー集会」参加

 「松谷さんがこんなに頑張っているのに・・・僕ははずかしい!」、ビキニ集会に参加した高校生の発言です。被災46周年を迎えたビキニデー集会に松谷さんは事務局とともに参加しました。
 1日目は日本原水協全国集会に参加し、全体会と分科会で発言しました。冒頭の高校生の発言は分科会でのものです。
 この全国集会には現在、原爆裁判をたたかっている、3名の原告(松谷さん、東さん、安井さん)が参加し壇上で訴えました。
 松谷さんは「私は大変心強く、またうれしく思っています。被爆55周年にあたる今年こそ、私だけでなく、被爆者の思いを最高裁判所の裁判官にわかってもらい、厚生省の不当な上告を棄却し、勝利を確定させ、みなさんとともに喜びあいたいと願っております。」と発言し、支援を訴えました。
 青年、学生の学習と運動交流の分科会では右半身不全マヒという障害のために辛かった青春時代や不自由な生活を強いられていることを語り、最後に裁判をたたかう中で出会う多くの方々に励まされ生きる勇気を与えられたと結びました。
 2日目の献花墓参平和行進には車椅子で参加しました。車椅子を押すのは世界大会実行委員会の安斎育郎実行委員長です。
 午後からの『被災46周年2000年3.1ビキニデー集会』では、「戦争の被害は国民が、我慢するのが当たり前だと言いきる厚生省を絶対に許すことはできません。こんな間違った国の考えを正すためにもこの裁判には絶対に負けられないのです。最高裁でのたたかいは大変厳しいものですが、会場にいるみなさん、そして全国で支援して下さっている多くの方々の支えで必ず100万署名をやりとげ、今年こそを、勝利の年とできるようがんばります。」と力強く発言しました。
1600名を越える会場いっぱいの参加者は大きな拍手で応えていました。
 滞在中は好天に恵まれ、富士山がとてもよく見えていました。
 長崎から車椅子で出かけましたが、モノレールやJRでの移動は大変なものでした。東京駅の大正4年建築の地下道を通ったりとどこの駅でも延々と移動させられ、つくづく社会的弱者への基盤整備の対応の遅れにムカツキました。


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不当な厚生省の上告に対し、怒りをもって抗議し、ファックスまたは葉書で上告取り下げを要求しましょう。
宛先: 厚生大臣 丹羽雄哉
    東京都千代田区霞ヶ関1-2-2
      03(3502)3090


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