LCAC基地建設反対のたたかい

LCACの恒久基地建設計画

 西彼杵郡西海町にある米軍横瀬貯油所の敷地の一画にLCACの恒久基地建設が進められようとしている。1998年から測量や地質調査など現状調査が行われ、99年7月30日に福岡防衛施設局は横瀬貯油所を「移転最適地」として、西海町に移転の受け入れを要請した。施設面積は約17haで、うち約8haは埋め立てる計画。LCACは現在の2倍の12隻が収容可能になる。敷地内には、整備工場、管理棟、洗機場、駐艇場、消音装置つき試運転場などの施設を建設する予定で、総工費は佐世保市の試算で約100億円、完成は当初15年後とされていた。

そもそも米軍の構想

 そもそも移転問題はLCACの騒音に端を発している。佐世保市は米軍に再三、運用中止を求めてきたが、米軍はその要求を逆手にとって「思いやり予算」で使い勝手のよい施設を手に入れようとしている。さらに規模は現在の倍の12機が駐機・整備できるものになる。

 新駐機場が米軍の意向に沿った計画であったことは、福岡防衛施設局が西海町に受け入れ要請をした頃、米海軍ホームページ上に公開されていた米第5強襲揚陸艇部隊が作成した「概況説明資料」から明らかになった。これは米海軍自身が構想してきた横瀬新LCAC基地建設計画のねらいを述べた内部資料で、崎辺地区の現在の制約を次のように説明していた。

  • 運行が火曜と木曜の各3時間に限定されている
  • 佐世保市が騒音測定をしている
  • 夜間運行が禁止されている
  • 格納庫や屋根付施設がない
  • 乗員の力量、熟練度を維持するのが困難
  • 高度な修理、悪天候での修理ができない

 そして、横瀬に新駐機場が完成するまで、崎辺でのより長期的使用を考慮して現在の支援を改善するよう勧告していた。

 このことが報道されるやすぐに内部資料89ページのうち、新駐機場に関係する9ページ分だけが削除された。しばらくしてホームページ自体が再編され、「概況説明資料」そのものも削除された消えた9ページ分の翻訳

批判の相次ぐ住民「説明会」

 99年7月に西海町にLCAC地建設を正式要請した福岡防衛施設局は、地域住民や関係漁協の「理解と納得」を得ようと、カラー刷りのパンフをつくり、これをもとにして住民説明会を西海町で8回、佐世保市で3回実施した。

 しかし、防衛施設局は都合のいいデータのみを示して「騒音は問題ない」といい、現実に起きている塩害は「LCACとの因果関係ははっきりしない」と逃げ、民間船舶の安全航行への対策にはふれず、「回遊魚に及ぼす影響調査はこれから」、さらには「災害救助にも役立つ」などと述べ、そのいいかげんさ、無責任さが露呈する結果となった。こうした防衛施設局の態度に、保守系の町会議員も「先に結論ありきではないか。基地を押しつけたあとで調査をするというのは順序が逆だ」と批判の声をあげるほど。かえって不安と心配は強まっていった。

立ち上がった西海町民、広がる反対世論

 専業農家や労働団体代表らを中心にして結成された「LCAC基地建設に反対する会」は、「LCACは戦争のための最新兵器です。今こそ、住民、議会、行政が一致してLCAC基地を拒否し、かけがえのないふるさとの平和を私達自身の手で守り、私達自身によるいきいきした住みやすい町づくりを」と全戸配布のチラシで呼びかけた。そして県平和委員会などでつくるLCAC基地建設反対実行委員会も、くり返しチラシ配布や町民との対話運動をすすめて反対世論の形成に取り組んだ。

 こうした中、建設予定地や被害の大きい地区などでは相次いで住民集会がもたれ、基地建設反対の決議があがり、町長や議会へ要請文が届けられた。

 「今現在LCACがもたらす騒音並びに塩害等の被害を被り平和で静かな生活環境をも破壊され、平穏な日常生活にも支障をきたし、不安な生活が強いられているのが現状です。どうぞ・・・実状と切実なる願いを、ご理解おき頂き町議会におかれましても基地建設拒否を、是非決議していただきますよう、寄船住民52世帯180人の署名をそえ上記申し入れます」(寄船地区)
 「去る2月に横瀬東において、郷民にアンケート調査をおこなった結果、大多数の住民が新たな基地化に大きな衝撃と不安を抱いていることが明らかであります。・・・・これら生活障害の解消等の国の対策が明確でない現段階おいては、断固反対であります」(横瀬東・西地区)
 「・・・西海町の文化、福祉、産業の基幹である海上交通問題を充分検討審議されて、西海町の恵まれた自然の財産を、誘発的に禍根を残すことなく、厳正に護って頂きますことを強く要望し反対意見といたします」(瀬川汽船)

住民こそ主人公を貫いた画期的判断

 そして注目された99年12月17日の町議会「LCAC移転に関する調査特別委員会」は、基地建設反対請願を5対4で採択した。請願者の一人は「歴史的判断をおこなった委員会に敬意を表したい。自分たちの町の将来は自分たちで決めるという点で大きな自信になった。本会議でも委員会が出した結論が出されるものと確信する」とその喜びをマスコミインタビューに応えて語った。また特別委員会委員長は「何が一番の決め手になったかという点では、やはり、町の将来を真剣に訴えている多くの請願、要望書が提出されたことだ。すべての町内会代表や関係者からも委員会によんで意見聴取もおこなったがすべて反対意見ばかりであった」と記者会見で述べた。

推進派の猛烈な巻き返し策動

 この結果に危機感を抱いた基地建設推進派は手をこまねいてはいなかった。反対運動も本会議に向けてさらに世論の高まりをつくるようにビラ配布などに全力を尽くしたが、彼らの動きは想像を超えるものがあった。
 まず推進派住民らが「条件付き賛成署名」を急きょ展開した。そして有権者数の25%にも及ぶ署名簿(その大多数はどこかの名簿を引き写したでっちあげ署名であったことが判明した)を提出し、町長に「この署名は重い」などと言わせ、委員会判断の転覆への布石を打った。

 そして、後日マスコミの特集番組でわかったことだが、久間章生元防衛庁長官(地元選出衆議院議員)が町議会議員への切り崩しを謀るなど、その政治的影響力を最大限行使したのである。こうした結果12月22日の本会議では、「無記名投票方式」(誰が寝返ったかわからないようにした)を導入して採決を行い、9対7で請願を否決したのである。

着工にむけたすばやい動き

 町長はただちにLCAC基地建設受け入れ表明し、間髪入れずに国や米海軍基地司令官などとの協議を重ね、「条件付き」の部分についての「問題解決」にのりだしていった。そして2000年1月26日、福岡防衛施設局と西海町は、見返り策などを盛り込んだ「横瀬貯油所内におけるLCAC施設の整備等に関する協定書」に調印した。

 その後、2000年12月、福岡防衛施設局は、海域の埋め立て面積を約2ha、陸域造成面積を約4ha削減する縮小案を提示した。工期は当初の15年から11年半に縮小となったが、LCAC12隻計画には変化はない。一方、米軍はLCACの運用などに関して協定書の形を嫌い、米軍の意向を表記した英文の「協定書に代わる文書」を西海町に提出した。町は約3ヶ月間後に公表した。その文書にはLCACの運行に関して、「陸地から457m以上離れる」「佐世保港内での速度は20ノット以下」「港外では通常、湾の西の公海上を陸地から914m以上離れる」ことなどが記されている。

 その後、国は00年度に1億6000万円、01年度に1億7500万円、02年度に2億1400万円もの予算をつけて環境影響調査を行なっている。さらに03年度、04年度には工事用道路整備と称してそれぞれ6億3600万円、17億1800万円を計上した。そして05年度は地盤改良工事として約43億2300万円を概算要求している。

LCAC新駐機場着工へ

 04年1月18日、地元の西海町瀬川漁協が臨時総会を開いて建設海域の埋め立て同意と漁業権放棄を賛成151,反対40で可決。3月には瀬川漁協が2億300万円の補償契約を福岡防衛施設局と締結。また西海町が漁業振興資金として5000万円を支出することで合意した。6月には埋め立て地先の自治体である西海町が埋め立てに同意、港湾管理者である佐世保市長は7月12日、「建設予定地の公有水面埋め立てに関する承認書」を福岡防衛施設局に送付した。これによって04年度中にも建設が着工されることになった。