ホーム自衛隊基地
赤数字は米軍施設の共同利用で外数
平瀬地区海上自衛隊 佐世保市平瀬町・上町
用 途 施  設  名 土地(m2) 建物(m2)
営舎施設 佐世保地方総監部 38,566 8,472
平瀬隊舎 14,800 11,543
1,875  
訓練場施設 平瀬訓練場 14,189 1,867
補給施設 平瀬庁舎 8,121 4,168
医療施設 自衛隊佐世保病院 6,901 3,833
補給施設 佐世保補給所東倉庫 7,581 1,715
その他施設 佐世保地方総監部佐世保史料館 3,620 4,465

【前史】
現在、佐世保地方総監部がある場所は旧海軍佐世保鎮守府跡地で戦後米軍が使用し、1957年3月から米軍との共同使用となり、76年2月に返還されたものである。この間、68年に倉島地区から総監部が移転となり現在に至っている。総監部内には佐世保調査隊のほか、佐世保通信隊がおかれている。通信隊は55年に針尾送信所の運用を開始し、65年に烏帽子岳局舎、平戸白岳局舎が竣工、83年には琴海局を陸上自衛隊から移管した。大村、対馬、壱岐をはじめとして佐世保警備区における海上自衛隊通信網の中枢となっている。
米軍ニミッツ・パークに隣接する地域は旧佐世保海兵団跡地である。1961年2月に新編となった佐世保補給所は、需品、火器、弾薬、車両、化学器材、施設器材、通信器材、衛生器材などの補完、補給及び整備を行っていた。68年、佐世保補給所内に「海上防衛史料館」が開設された。


九州の海上自衛隊の中枢となる佐世保地方総監部

 米軍佐世保基地のメインゲートと向かい合って佐世保地方総監部がある。佐世保地方総監部は九州・沖縄の広範囲な海域を対象とする海上自衛隊の中枢であり、91年には艦艇の作戦情報と通信機能を一括管理する地下作戦司令室が完成している。
02年3月、自衛隊組織の再編が行われ、システム通信隊群が新編され、佐世保通信隊は、佐世保システム通信隊に改編された。また03年3月、自衛隊の秘密保護体制強化の一環として、中央、地方に分割されていた調査隊の組織を統合し、任務、体制を拡大強化した情報保全隊が新編となり、佐世保調査隊は佐世保地方情報保全隊に改編された。07年6月、情報保全隊が、各地域のイラク戦争反対行動をはじめ、年金・消費税問題、春闘などの広範な分野において、またあらゆる国民を対象に憲法違反の「スパイ活動」を行なっていたことが暴露された。佐世保での情報収集はこの組織が行っていたとみられる。


米軍ニミッツ・パークに隣接する海上自衛隊施設

 米軍ニミッツ・パークに隣接する地域には、自衛隊佐世保病院平瀬庁舎(旧補給所)、平瀬隊舎音楽隊施設体育館室内プールなどがおかれている。このうち室内プールは米軍が地位協定二条4項(b)として共同利用している。
 自衛隊佐世保病院は1980年10月に新設された。職員は約100名。診療科目は内科、外科、整形外科、皮膚科、歯科、リハビリテーション科及び麻酔科の7科で50床のベッドを持つ。診療は一般には開放していない。1日平均約100人の隊員の外来患者の受診があり、累計で60万人に達している(07年5月)。

 97年3月、これら地域と総監部を結ぶ平瀬歩道橋が完成した(一般人は通行不可)。
 98年12月に、補給や後方支援などをより効率的に運用するために、佐世保造修補給所が新編となった。これにより補給所は廃止され、現在建物は平瀬庁舎となっている。

 また97年には佐世保水交社跡に7階建ての佐世保地方総監部佐世保史料館が開館した。侵略戦争への反省は全くなく、旧海軍の「栄光」の軌跡を追い、その歴史と伝統を海上自衛隊がそのまま受け継いでいることをはばかることなく示している。