針尾島弾薬集積所 | FAC5050 佐世保市針尾北町・有福町・江上町 |
土地1,297,173m2:建物2,672m2 |
県内米軍基地で最大面積を占める針尾弾薬集積所
戦前は、旧日本海軍の工場、補給倉庫施設として利用された。戦後は開拓農地として払い下げられていたが、1951年8月、朝鮮戦争に関連して米軍が接収し弾薬集積所として使用開始。現在に至っている。また71年から海上自衛隊が施設の一部を共同利用している。
針尾弾薬集積場には41棟の弾薬庫がある。佐世保弾薬補給所(前畑弾薬庫)とは異なり、野積式の弾薬庫である。そのため除湿などの空調施設を持たないアルミ製簡易倉庫が中心で、環境に左右されにくい低感度の弾薬や部品しか保管できないという。ここには米軍弾薬処理場(本土では他に岩国市の姫子島にしかない)があり期限切れとなった弾薬、火薬等の処理を行っている。
弾薬処理場と消火栓
米軍は早くから有事即応体制を強化するために、使い勝手の悪い旧式弾薬庫の近代化をもくろんでいた。針尾弾薬集積所に大型船舶も接岸できる岸壁をつくり、あらゆる種類の弾薬を貯蔵できる近代的弾薬庫をつくる計画を88年までにまとめ上げていたのである。
米軍は返還を望む前畑弾薬庫周辺の住民の要求を逆手にとり、日本側の「思いやり予算」での建設をもくろみ、しかも前畑返還の条件に針尾弾薬庫の機能強化と、全く無関係の家族住宅不足(400戸)の解消を要求してきた。
針尾弾薬庫のメインゲート
07年6月15日、日米は前畑弾薬庫を日本側に返還することを基本合意した。前畑弾薬庫の機能を集約・強化する計画は次のとおりである。
費用は総計1,000億円、すべて日本国民の税金でまかなわれ、米軍にとっては願ったりかなったりの合意となった。新設する弾薬の貯蔵量や能力は前畑弾薬庫と同等というが、そもそも軍事機密であって運用は米軍の裁量次第であり、検証のしようがない。結局は前畑周辺住民の不安のたらい回しに過ぎず、しかも近代的な設備を整えての集約移転は永久に弾薬庫をおくことにもなりかねない。
江上地区は米軍針尾弾薬庫や米軍家族住宅のある地区であり、最も近い民家が10m以内にあり、子どもたちが通う江上小学校、東明中学校も数百m以内にある。その危険さは前畑弾薬庫と変わりはないのである。
09 年4月、佐世保市長は地元関係10 団体すべてが受け入れに「合意」したとして、前畑弾薬庫の機能を針尾島弾薬集積所に集約することに同意する文書を九州防衛局に提出したが、地元住民の不信は根強く、合意手続きに問題があるとして撤回要求が出された。
11年1月、日米合同委員会は、針尾島弾薬集積所の整備や米軍住宅不足の解消などを条件に前畑弾薬庫を返還することを正式合意した。07年の基本合意以降、計上された予算は総額11億4,000万円に達する。最近は、土質調査(14年度予算で約4,900万円)、配置検討(16年度予算で約2,100万円)が行われている。