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佐世保海軍施設 FAC5029 佐世保市平瀬町・立神町
(専用)土地487,551m2:建物160,398m2
(共同)土地 8,598m2:建物 2,165m2


佐世保基地の中核 佐世保海軍施設

 この地区は、1889年に旧海軍が佐世保鎮守府を開庁した区域であり、1945年に米陸軍・米海軍に接収され、55年の米陸軍撤退後に佐世保海軍施設と改称された。

 佐世保基地の中核的存在である佐世保海軍施設は市内の平坦な一等地を占め、司令部地区、ジュリエット・ベイスン(平瀬係船池)、居住区、ニミッツ・パークに分けることができる。


基地司令部 星条旗下の深緑の旗はイラク戦争での死者を弔うもの。「君たちのことは忘れない」とある。

 基地司令部から延びる軍事用光ファイバーケーブルが沖縄・グアム経由でアメリカ本土に至るなど、重要な情報・通信基地ともなっている。司令部前の広場には星条旗と日章旗とならんで国連旗がひるがえっている。「国連軍」の錦の御旗のもと、朝鮮半島に軍事介入した米軍。いまだ「休戦」ゆえ、いまも「国連軍」を名乗っている。司令部地区には、将校宿舎、下士官宿舎、一時宿泊所等の宿舎施設がある。他にも食堂、海軍売店、映画館、内科/歯科診療所、図書館、ガソリンスタンド、消防署、軍事警察署、教会、プール、レクリエーション・センター、ファースト・フード店などがあり、ひとつの街をつくっている。

 居住区には、34棟134戸の家族住宅の他、学校や保育所がある。最近、環境負荷低減として太陽光パネル等が「思いやり予算」で設置された(15年9月に低層住宅の一部、8階建下士官宿舎、低層下士官宿舎、17年6月に軍事警察署、ナイトクラブ、教育厚生センター)。またニミッツ・パークには野球場3面、フットボール・コート、バレーボール・コートなどの運動施設がある。11年9月には、かつて自衛隊が使用していたニミッツパークに隣接する土地(国有地 約8,000m2)が運動施設等の用地として米軍に提供された。

 米海軍は基地を鉄条網のフェンスで囲っているが、この地域では更にその外側の地面に黄色のラインを引き、「ラインの中に入ると日本国法律により罰せられる」などの警告看板を立てている。さらに居住区内では「ペンシルバニア通り」など勝手な名称を付けるなど、米軍の「占領意識」がうかがわれる。

 

 一方、「9・11テロ事件」を受けて基地の警備体制が強化された。基地内に入構する車両の検査場用地として、海自西倉庫の土地の一部(726.7m2)が共同利用(地位協定第二条4項(b))となり、ここで入念なチェックが行なわれるようになった。さらにゲート出口から侵入しようとする車のタイヤをパンクさせるために、基地の境界を示す黄色いライン近くに「剣歯」(車止め)が設置された。これは立神ゲートや居住区も設置されている。

 米海軍は1990年に佐世保基地のマスタープラン(施設整備計画)を策定している。その後の施設建設は日本側の「思いやり予算」を使っておよそマスタープランに添った形で進められている。

 8階建て独身下士官用宿舎(400室)、6階建独身将校宿舎(79室)などの大型施設が次々と建設され、この10年で基地の様相が一変してしまった。

 消防署2棟も「思いやり予算」で完成。スタッフは約160人で3人の幹部以外はすべて日本人。基地や軍人の住宅など佐世保市内の10施設をカバーするという。


新設された体育館

 1995年、一度は日本に海域が返還され、海上自衛隊の補給物資置き場として埋め立てられたジュリエット・ベイスン北西部の土地(約26,000m2)がレクリエーション施設建設のために米軍に再提供された。07年3月に2階建て体育館1棟(延7,421m2)が完成した。今後、球技場が建設される予定となっている。


埋め立てが終わった新岸壁建設工事

 となりの立神港区で競合する米軍とSSKとの「すみ分け」をはかるため、米軍用の専用大型岸壁(長さ520m)をジュリエット・ベイスンの一画(57,000m2)を埋め立てて建設されることになった。新岸壁は10年10月に米軍に提供された。埋め立て地には電力や通信設備も整備され、米軍にとって非常に使い勝手のよい岸壁となった。


インターチェンジ近くにできた「目隠し」。テロ対策と称して海自側が要請。

 また09年度に開通を予定している西九州自動車道のインターチェンジ建設用地がドラゴンハイツ住宅地区の一部にかかるため、その部分(約7,600m2)の日本への返還と新たに旧EMクラブ跡地(約12,000m2:77年に返還)が代替地として再提供され、異様な代替住宅が完成した。

 異様なのは高さ14m、長さ250mにもおよぶコンクリート製の擁壁。市民からも「威圧感があり、不快だ」との苦情が市役所に相次いで寄せられた。その土地造成とコンクリート外壁に各7億円をかけ、総経費は28億円にのぼる。跡地の急斜面は盛り土せず撤去した方がはるかに安上がりなはずで、テロ対策の役目も果たす要塞ともいえる。
 この跡地への住宅建設もマスタープランに記されていたものである。

 通常、高速道路は山あいを通るものだが建設中の道路は市街地を通る。当初の予定は高規格道路で現在の「みなとIC」が計画の終点だったが福岡まで延長するのであれば予算がつくということで高速道路に切り替えられたという経緯がある。佐世保ICは、現在のみなとICからわずか2・9km、米軍佐世保基地のゲートのすぐ近くに建設されるもので、本来は必要のないIC。これによってゲートと針尾住宅地区が30分で結ばれることになる。ゲートの目の前にICがある基地など他にはない。まさに米軍のためのIC建設といえる。


ドラゴンハイツの新家族住宅

 さらにドラゴンハイツの残りの31戸の老朽化住宅も建て替えとなり、低層・高層の計88戸が建設され12年た5月に米軍に提供された。。

 現在の佐世保海軍施設の家族住宅の構成(222戸)は下記のとおり。
 特記なきは提供施設整備費(「思いやり予算」)での建設。
●ドラゴンベール地区
 中層住宅  1棟  44戸
 低層住宅  7棟  20戸
 低層住宅 18棟  59戸:提供施設移設整備費(1968~69年)
●ドラゴンハイツ地区
 高層住宅  1棟  68戸
 低層住宅  3棟  20戸
●フィドラーズグリーン地区
 低層住宅  8棟  11戸:国土交通省の予算


28億円をかけて完成したフィドラーズグリーンの豪華代替住宅(11戸)


住民から苦情の出ている家族住宅の擁壁