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赤崎貯油所 FAC5032 佐世保市赤崎町・庵浦町・船越町
土地753,641m2:建物15,224m2

 戦前は、旧日本海軍が貯油施設として使用していた。1945年に米陸軍が接収し、71年に米海軍へ移管され現在に至っている。

●貯油施設
 赤崎貯油所の総貯油量は18万3000キロリットルといわれている。施設の老朽化にともない、総貯油量を変えずに28基あるタンクを11基(6基の地上式及び5基の覆土式)に集約改修する工事が日本政府の「思いやり予算」135億円を使って行われた。

●ヘリポート
 佐世保基地唯一のヘリポートがある。2015年3月より米海兵隊オスプレイが頻繁の飛来するようになった。


新しく通行可能になった県道。奥の建物が医療用倉庫。

 米軍基地の存在そのものが地域住民や企業の発展にとって障害となっている。県道俵ケ浦日野線は道路幅が狭く、カーブが多いため道路改良は地域住民にとって懸案事項だが貯油所の敷地が改良工事を阻んできた。05 年4月、住民の長年の要求が実現して土地約1万3500m2が返還され、新しい県道が開通した。ささやかな住民要求が実現するのにじつに14年もの長い時間がかかっている。


正式返還となった赤崎貯油所の土地(門から向こう)

 一方、09 年3月、佐世保重工業(SSK)に隣接する貯油所の敷地約3万1000m2及び前面の制限水域約3万8000m2が返還された。SSK は1971年からこの土地を米軍の許可を受けて使用してきた(地位協定二条4項(a))。工場や倉庫、クレーンなどを設置し、橋脚の組み立てや船舶設備工事などのために利用し、米軍に年間1500 万円支払っていた。米軍に優先使用権があって要求があれば明け渡さなければならないために、これまでに米軍とSSK の間で何度も衝突が起きていた。日本への返還はSSKにとっては長年の悲願の1つであった。

●船越医療用倉庫

 一方、91年に貯油所内の船越地区に、長さ136m、幅63mの超大型医療倉庫の建設が始まった。小学校のグラウンドがすっぽり入る大きさである。これは「米艦隊用の医療用機械器具の保管倉庫」で、中には各種医療薬品などのコンテナが収納されており、有事の際にはこの建物全体がそっくり野戦病院に転用されるといわれている。「思いやり予算」として10億6500万円が使われた。佐世保基地の役割を一変させた強襲揚陸艦ベローウッドが配備されたのはその8ヶ月後である。

 現在、このコンテナ群は医療設備を備えた強襲揚陸艦エセックスが海外に行くときに積み込まれるが、紛争地では野戦病院として利用される。海からの殴り込みをかける戦闘集団が、同時に味方が受ける激しい被害を想定して医療施設の機能を持ち合わせているのが、佐世保の強襲揚陸部隊の大きな特徴となっている。


船越医療用倉庫 学校の校庭がすっぽりはいる大きさ

●原子力潜水艦の寄港・支援基地
 赤崎岸壁には96年12月に「思いやり予算」で「アイアン・コールド」という、陸上から6万6000ボルトの高圧電力、スチームなどを潜水艦に供給できる設備が完成した。その結果、これまで沖合ブイに係留していた原子力潜水艦は赤崎岸壁に接岸するようになり、97年の原潜の入港回数は23回と過去最高となり、その後の寄港回数も依然として多い状態が続いている。西太平洋の拠点としてグアムに米原潜部隊が前進配備されたことで佐世保はますます寄港地としての重要性が増すとみられる。

 「9・11テロ事件」の直後、佐世保市は米海軍・外務省の要請を受けて、寄港通知のあった原潜の出入日時や関連情報の公表を当面取りやめることを決めた(横須賀市、沖縄県も)。1964年に米原潜シードラゴンが入港し、「24時間事前通告」が始まって以来初めての出来事である。しかもテロ事件から7年以上も経過しているにもかかわらず現在でも解除されていない。この間の寄港はすでに120回を超え(09年3月末)、ハワイ沖で米原潜グリーンビルが練習船えひめ丸を沈没させた事故があっただけに危険きわまりない事態が続いているのである。


赤崎岸壁に接岸中の原潜グリーンビル(えひめ丸を沈没させた)

●原潜ラ・ホーヤ火災事故と原子力防災
 佐世保市は02年に原子力艦防災対策を策定し、防災訓練を実施している。しかし肝心の米軍は「事故はありえない」と参加を拒否し、赤崎岸壁へのモニタリングポスト(放射線測定器)設置もかたくなに認めなかった。外務省も米軍に追随して訓練に参加しなかった。

 ところが04年7月28日未明、寄港中の原潜ラ・ホーヤ(核攻撃能力認証済)がケーブル火災を起こすという前代未聞の事故が発生した。住民の通報で発覚したものだが、佐世保市が公表したとき、すでに原潜は出港した後だった。原因究明・再発防止の手だては全くとられていない。幸いにも「ボヤ」で済んだが、一歩間違えば大惨事にもなりかねない危険性が原潜にはあること、そしてそれが現実に起こりうることを事実として示した。


ケーブル火災を起こした原潜ラ・ホーヤ

 04年7月30日、米軍は赤崎岸壁にモニタリングポストを設置することに合意した。赤崎貯油所の土地約150m2と佐世保海軍施設の水域約152m2を地位協定第2条4項(a)として文部科学省が共同使用することになる。あわせて外務省は04年度の「原子力防災訓練」に参加することを表明した。米軍の姿勢が問われている。