月夜の王国2 足に紋様 右手に指輪
後編
シュウとタティルが屋敷を後にしてから、デュトイ家は1月ぶりの家族水入らずで食卓を囲んでいた。
ランとファニー、そして夕方に帰宅していたらしい末の妹。
気付かれないように、ランはそっとリーリを伺い見た。
必要最低限の事しか話さず、口調もぞんざいな妹は会話に参加することなく、ただ黙々と料理を口に運んでいた。
幼い頃のランに良く似たリーリは、女らしくする事に全く興味が無いと言わんばかりに金の真っ直ぐな髪を耳の下で切りそろえ、四角い眼鏡をかけている。パッと見、少年と区別のつかない風貌に、いつも簡素なシャツとパンツを穿いているので、親しくない人間にはデュトイ家の末の子は男子だと思われているほどだ。
ランが男装し騎士になったのは父の命でもあり、必要に迫られた結果だが、そういうところは真似て欲しくない。まだまだ男性優位の世の中で女性が台頭することは想像以上に大変だ。その苦労を知っているからこそランはリーリを心配しているのだった。
どちらかというと無口なランと、団欒する気のないリーリの間に入って、ファニーはあれやこれやと話をしている。
いつも通りのデュトイ家3姉妹……のように見えるが、今日のファニーはやたらと口数が多い。それにどことなく顔が赤い気がする。
ランはおかしいと思いながらも、気付かない振りをした。余計な詮索をして、逆にシュウとの事を訊ねられても困る。
単に気疲れしたのだろうと勝手に決めつけて、早く休むように言い置くと、ランも早々に部屋へと引き上げた。
いつもであれば連休を使って屋敷へと帰るのだが、前回の連休はシュウに潰されて叶わず、次の連休だってどうなるか怪しい状況だ。だから今回は仕事明けの夜に帰宅し、1日家の事をして、翌早朝に城へと向かって仕事というスケジュールになってしまった。
屋敷が城下町にあるとはいえ、郊外の部類に入るから城まではかなりある。さらに大通りを抜けていかねばならないので、朝の時間帯は倍もかかるのだ。
ランは廊下を歩きながら明日の事を考えて溜息をついた。
(部屋へ戻り明日の用意をしてから湯浴みをして、すぐ寝るとしたら夜明け前には起きられるだろう)
時間を逆算しつつ片手で髪留めを外し、もう一方の手で自室のドアを開けた途端、ランは卒倒しそうになった。
なんとそこにいたのは、先ほど城へと帰ったはずの国王陛下だった。
「な……っ!」
思わず叫びそうになったランの手を素早く掴んで部屋へと引き入れると、シュウは静かにドアを閉めた。
昼間と全く同じ状況に眩暈がする。
「しぃー」
シュウはわざとらしく微笑んで片目を瞑った。
「なんでまた、ここにいらっしゃるんですかっ」
「えー、だって『また後で来る』って約束したし」
約束ではなくシュウが勝手に言い放っただけだと返してやりたかったが、そんな事を言っている場合ではないので、とりあえず自重する。
「大体どうやってここに来たんですか。また城を抜け出して来られたんですか?!」
非難がましい視線を送ると、シュウは部屋の真ん中の床を指差した。
そこには昼間シュウが描き残していった魔方陣が淡く光っている。
「俺の部屋とここを繋いで、飛んできた。ね、便利だろう?」
ランはくらくらする頭を押さえて、今日一番深い溜息をついた。全身から力が抜けて、近くの椅子に座り込む。
そして項垂れたまま口を開いた。
「……もしや、本日おいでになった本当の目的は」
最後まで言わなくとも理解したらしいシュウは、にっこり笑いながら首を縦に振る。
「うん。ここに魔方陣描きに来た。魔法も万能じゃないからさ、一度訪れて魔方陣を描いておかないと使えないんだ。これですぐここに来れる」
急にどっと疲れが押し寄せた気がして、ランはもうすぐにでも眠ってしまいたかった。全て夢だと思いたい。この一月の事……というより、この国王様に関わらざるを得ない事実を忘れてしまいたい。
ランが俯いたまま己の不幸嘆いているうちに、不幸の元凶ことシュウはせっせとランの荷物を魔方陣の中央へと運んでいた。
物音に気付いて顔を上げると、城から持ち帰ってきたランの私物が全て円陣の中に納まっている。シュウは少しはみ出ていた鎧をずらして直し、ランに近づくと何も言わずに椅子から抱き上げた。
「きゃあ!」
突然の事に驚いて、あわててシュウにすがりつく。
いわゆる、お姫様抱っこというやつで、ランは思わず頬を染めた。一体何事かとシュウの顔を凝視すると、問答無用でキスされた。
「魔法使うところ見せてあげるって言ったからね。約束は守らないと」
だから約束じゃない……と心の中でツッコミを入れる。
シュウはそのまま円陣の中央に立つと、聞きなれない言葉を紡ぎだした。静かで流れるようなそれは、永劫の昔から伝わるという古代言語。
「は……えっ、陛下っ?」
ランははたと我に返って、周りをきょろきょろと見渡す。
(もしや、これは……)
とうとうと発せられる呪文に合わせて魔方陣の光が段々と強くなり、部屋の中だというのに下から吹き上げる風でランとシュウの髪がふわりと持ち上がった。周りの荷物も、身体も青白い光に包まれていく。一際激しく発光した刹那、まぶしさに目を閉じかけたランの前で、見慣れた自室がぐにゃりと歪んだ。
(……なに、これ……!)
驚きつつも、もう一度きちんと見る為にぎゅっと目を閉じて、開いた。
しかしランの瞳に映ったのは、屋敷にあるはずのない豪華な調度品と、天蓋付きの大きな寝台。
(ここは……)
「はい、俺の部屋にとうちゃくー」
ランはただ呆然と、暢気なシュウを見上げていた。
しばらくぼうっと眺めていたが、ランは自分の置かれた状況を思い出し身じろぎした。
「あの、陛下。下ろしていただけると有難いのですが……」
「ああ。ごめんごめん」
願いを聞き入れたシュウは魔方陣の中心から荷物を跨いで出ると、極自然に寝台の上へとランを下ろし、当たり前のようにその上へと圧し掛かる。
これにはさすがのランも抵抗した。
「へ、陛下っ! お止め下さい! 私は明日早いのでお応えできかねますっ」
思い切りシュウの腕を除けようと押し上げる。多少持ち上がったところでシュウがぴたりと動きを止めた。
「どうして? ここに泊まって、ここから行けばゆっくりでも間に合うでしょ」
「ダメです。何も言わずにいなくなっては妹たちが驚きますし、職務に不誠実な真似はできません!」
言い切ると、突然シュウが、ぶはっと吹き出し腹を抱えて笑い出した。
わずかに身体が離れたので、ランは素早く身を翻して距離をとると、乱れた服を正してシュウへと向き直る。
「わ、悪い。余りにもランらしくて……くくっ」
「それほど、可笑しい事でございますか?」
余りに笑われたので、自分が何かおかしい事を言っただろうかと不安になりながら、ランはシュウを見上げた。
笑いすぎて息切れしたのかシュウは荒く息をつくと、最後に一度大きく息を吸って吐いた。
「いや、ごめん。余りに想像通りの答えだったから可笑しくてさ。で、ランはどうするの、これから」
「我が屋敷へ戻りましてから休み、明日の勤務に備えたく思います」
大真面目に答えると、また笑いそうになったシュウが口に手をあてて必死で堪えていた。それでも何とかやり過ごしたらしく、出窓に腰掛けて窓ガラスを指でコンコンと弾いた。
「帰るって、どうやって? ……ランは一人じゃ転送魔法使えないし、こんな夜半に出歩くのは危険だよ。大体ここから屋敷に帰って、また登城するなら寝なくても一緒」
はっきりと拒否すれば、素直に屋敷へ送ってくれるのではないかと暗に期待していたランは、ぐっと唇を噛んだ。身勝手なシュウへの怒りよりも、国王たる彼に手伝わせようとしていた自分の甘さが耐え難い。
「……判りました。これから騎士寮の自室へ帰って休みます」
妹たちには悪いが現実的に無理ならば仕方がない。屋敷に戻るのは諦めて、城の敷地内にある寮へと帰ることにした。
「そっか。じゃあそこの浴場で湯浴みをするといいよ。寮の浴場はもう終わってる時間だし、入らないで仕事するわけにはいかないんだろう?」
ランは少し逡巡したが、他にしようがないので従う事に決めた。近衛騎士は全員が貴族出身なので軍属でありながら身なりや清潔に厳しい。ゆえに寮にも浴場が完備され1日1回の湯浴みを強制されている。
「ありがとうござ……」
礼を述べて素直に甘えようとしていたランの言葉は途中で途切れた。その手をシュウが握ったからだ。
意味が判らずに見返すと、夜の薄暗い室内でも判るくらいにっこりと笑ったシュウは
「俺もまだ入ってないから、一緒に入ろうね」
と言った。
まんまと罠にかかったのだ……と思う。
用意周到なシュウの事だ、全て計算づくでこうなるように仕向けたのだろう。
広い浴槽で小さくなりながらランは思った。
国王専用の浴場は広い。一面大理石で覆われた室内の床に埋め込まれるような形で、これまた広くて四角い浴槽がある。国王がいつでも使えるように、丘にある風車で水を引き上げ、水晶に魔法の炎を閉じ込めたという魔法石で湯にし、浴槽脇にある獅子の置物の口から出てくるというわけだ。
もうもうと立ち上る湯気と、獅子から出る湯が浴槽に落ちる音に包まれて、ランは小さく息を吐いた。
「いやー、いつも思うんだけどセンス悪いよね、ここ」
頭の上から響く声に少し首を回す。
「私の立場では同意は致しかねますが……」
なぜシュウと一緒に湯に浸かり、浴場の内装について談義しているのか、ランは最早考える事を放棄していた。
大体、自分も相手も裸で、湯に浸かっているとはいえ後ろから抱きかかえられるようにぴったりとくっつかれては、それどころではない。
自分の動悸が伝わらないことだけを祈りつつ、ランはただ膝を抱えて小さくなっていた。
「俺の爺さんがここ作ったらしいから、やっぱりセンスが古いっていうかさー」
どうでも良い話をしながら、シュウが足先を湯から出したり入れたりしているのを眺めていたとき、ランの目にふと何かが映った。
「? ……陛下、お足に何かが」
左足の裏に、ちらっと黒いものが見えた気がした。
「ん、ああ。これは俺のおまじない。見る?」
「おまじない……?」
若い娘が恋の成就だとかを祈願するものだろうか。シュウの年齢、性別からは結びつかなくてランは首を捻った。
シュウはランの傍から少し離れると浴槽のふちに腰掛けて左足の裏側が見えるように足を上げた。その向こうに見えるものはあえて視界に入れないように、わざと視線をずらす。
そんなランの様子を見て、シュウはくすくすと笑った。
「今更見たってどうって事なくない?」
「……」
何を? とは聞けずに頬を染める。
しかし、シュウの足の裏に刻まれた紋様を見た途端、そちらを気にする余裕がなくなった。
ぞくりと背中に怖気がはしる。
魔法のことは一切知らないが、禍々しいものだというのはランにも判った。
「怖い?」
「いえ……しかし、これは一体……」
自分が一糸纏わぬ姿だということも忘れ、シュウに近づいて紋様へと手を伸ばす。
と、シュウに手をとられた。
「まぁ、触ってもうつったりはしないけど、こそばゆいからね」
「あ……申し訳ありません」
からかうように言われたが、ランは素直に謝った。
「これは俺のおまじない。まぁ世間的には呪いって言うのかな。元は同じなんだけどね。戒めのために自分で付けたんだ」
「ご自分で、ですか?」
呪いという言葉だけでも衝撃的なのに、それを自ら施したとは一体……。
信じられない思いで見上げると、シュウは困った顔をして笑った。
「そうだな、ランにだけは教えるよ。こっちの黒い紋様は、もしも俺が王座に眼が眩んで野心を抱いたりした時に発動するやつ。ベネートが成人する前に俺が心変わりしないって保障ないから、即位した時に付けた」
「……発動、したときは」
「うん、死ぬ」
あっさりと言われた言葉に、ごくりと唾を飲んだ。知らず動悸が速くなる。
聞いてはいけないのかも知れないが、震える指で黒い紋様の隣にある赤いのを指差した。
「こちらは……?」
「ああ、こっちは子を成せなくなるやつ。俺に子供ができたら又ややこしい事になるから付けた。あ、もちろんこっちのは消せるから安心して」
「え?」
意味が判らず聞き返すと、シュウは上げていた足を戻してから、ランの脇に手を入れて引き上げた。身体から落ちる水しぶきが派手な音を立てる。
「ランと結婚したら消すから、俺の子供、産んで?」
耳元で囁かれ、ハッとシュウを見た瞬間、唇を塞がれた。答える暇もなく絡まる舌。
思わず瞑った瞳の中には、無数の星が瞬いている。
のぼせてしまったのか、何なのか、朦朧としたランには判らなかった。ただ、シュウの感触だけがそこにあった。
シュウの口付けは媚薬のようだと思う。
触れた瞬間に身体が痺れ、言う事を聞かなくなる。やがて口から注ぎ込まれる熱で思考が溶解し、身を投げ出してしまうのだ。
浴槽のふちに座るシュウに、立ち上がったランが覆いかぶさるような格好でキスを交わす。いつも背の高いシュウを見上げているランには、何とも不思議な感じがした。
一度離れて目を開くと、ランの身体や髪から滴り落ちる水滴がシュウを濡らしている。
たちこめる湯気の中、2人は一時見つめあった。
「……ラン、いい?」
少しかすれたシュウの声を聞き、ランは視線を外すとそっと目を伏せた。
沈黙は肯定。
こうなってしまう予感が無かったとは言えない。頭では否定しても、身体がそれを望んでいるのは判っていた。ランは自分を恥じながらも次を期待して頬を染める。
シュウはもう一度ランの唇に触れると、おもむろに胸の膨らみに手を伸ばした。
「んっ……」
快楽を得ることに慣れ、反射的に漏れ出た声に羞恥を覚える。
そんな事すらお見通しのシュウは、ランの口内を嬲る舌と、指の動きを連動させて、更にランを追い詰めていく。
浴場内には流れ落ちる水音が響いているはずなのに、絡まる舌から発せられる音と、自分の荒い息遣いだけが耳にこだましていた。
息苦しさと快感にたまらず顔を背けると、シュウは仰け反ったランの身体を引き寄せ胸の頂に吸い付いた。
「あっ、ああ!」
湯浴みで温まった身体にシュウのひやりとした舌が触れるのは、いつも以上に興奮する。
シュウの触れている場所からじわじわと広がる波は、やがてランの中心へと集まり、そこを熱くたぎらせた。
ふらつく身体を支えるためにシュウの肩に置いた手が、知らない内に爪を立てている。
シュウは口を離すと、変わらず指で胸を弄びながらランを見上げた。
「ランって、胸弱いよね」
熱に浮かされたまま何も考えずに声のする方を見下ろしたランの視線の先で、シュウがニヤリと笑う。はっとした次の瞬間、わざと見えるように先端を舐められ、ランは激しく身体を震わせた。
「ひっ! あ、あぅっ」
咄嗟にきゅっと目を瞑ったが、今しがた見た光景が瞼の裏にしっかり焼きついて、たまらず首を振った。
間髪入れずにシュウはランの中心へと手を這わせる。
「ほら、こんなになってる。自分でも判るよね?」
ぴったりと合わせた足の間に容易くシュウの指が入り込んでいく。そこが明らかに湯では無いもので濡れている事は、言われなくても判っていた。
足に力を入れ、ささやかな抵抗を試みるも、水よりも遥かに滑りの良い液体がシュウの動きを助けてしまう。直接、蕾を転がされ、ランは苦しそうに喘いだ。
「やぁっ! あぁ……あっ、う、んんっ!」
ランの弱いところを知り尽くしているシュウの手は、次々と新しい熱を生み出し、翻弄されるランはただ声を上げることしかできない。
がくがくと震える足からは力が抜けて、ランはシュウへとしな垂れかかった。抱きつくように腕をまわし肩に頭を乗せる。
シュウはお構いなしで胸と中心を刺激しながら、ふふっと笑った。
「……それとも、こうされるの期待してた?」
「っ!」
びくりと身体が震える。否定しようとした言葉は声にならない。弱々しく頭を振ると、シュウはくくっと喉を鳴らした。
そのままランの肩口に舌を這わせる。敏感になった身体にはそれすら気持ちいい。
「このまま、しようか」
シュウの言う意味が判らなくて、ゆるゆると顔を上げると身体を苛んでいた手が離れた。突然全ての刺激が取りさられて、また身体が震えた。
「ふ、ぅん」
もっと。と身体が求めているのが判る。
シュウは一方の手でランの腰を更に引き寄せ、もう一方の手を太ももの裏にまわして持ち上げるようなそぶりをした。
「……こうやって、床に足をついて」
何も考えられないランは言われるがまま、シュウの座っている脇に片膝を乗せる。
「こっちも」
反対の足も乗せるように言われるが、ランは力なく首を振った。
「や、できな……」
快感が削がれて、うっすらと状況を把握したランは、シュウの思惑を理解して身体を引こうとした。激しい羞恥心が沸きあがる。それに何よりも腰と足に力が入らなくてこれ以上は何もできない。
「できるよ。大丈夫、怖くない。……ランも気持ちよくなりたいだろ?」
「あ、あ……」
浴場に響くシュウの声は毒のようにランの中に沁みて、溶けていく。無理だと思い込んでいた足はあっさりと動いてシュウの言う位置へと膝を下ろした。
「よくできました」
やや下から聞こえる声に視線を下ろして、ランは目の前がぐらりと歪むのを感じた。
浴槽のふちに腰掛けているシュウを跨ぐように膝立ちした自分……。
脇に手が当てられ、腰を落とすように促される。抗いたくても身体が言う事を聞かない。入り口にシュウが触れ、ランは鋭く息を呑んだ。
シュウは固く目を閉じたランを見てふっと笑う。
続いて、ゆっくりと開かれていく身体。
「あ、はっ! あ、あっ」
圧倒的な質量と快感にランが仰け反る。と、シュウが脇から手を離した。
力の入らないランの身体は重力に逆らわず、一気にシュウの上へと落ちる。結果、いきなり最奥まで突き入れられたランは目の前が真っ白になり、身体を硬直させた。
「ひぅっ! ……っ!」
向かい合う形で抱き締められながら、ランはほとばしる甘い痺れにしばし呆然とする。
ややおいて、シュウの手がまた、あちこちを撫で始めた。
「は、あぁ! あんっ、あ、やめっ……!」
繋がったまま受ける愛撫は、感覚を逃がせない分、際立って強く感じる。
響く声と吐息、水音。そして浴場で座ったままシュウと繋がる自分。その状況を思い知るたびにランの興奮は高まり一層、快感を呼んだ。
「……ラン、自分で、動いて?」
一瞬、抵抗を感じる。しかし、切なそうに眉を寄せるシュウを見てランはこくっと喉を鳴らした。
いつも飄々として、軽口と皮肉っぽい笑みがトレードマークのようなシュウが、自分と交わる時に見せる表情はランの心を縛り付ける。
辛そうな、それでいて強い光をたたえた瞳でランを見つめ、時折短く息を吐くシュウは酷く艶っぽい。それを見るとランは何とも言えない気持ちになるのだった。
(……愛しい、というのは、これなのかも知れない)
シュウのその顔が、もっと見たい。
ランは足に力を込めて、ゆるゆると腰を上げた。
「ん、ふっ、う……」
漏れ出る声を必死で抑えながら、シュウと離れるぎりぎりでまた腰を落とす。
ゆっくりだが何度か繰り返すうちに羞恥心は麻痺し、ただ快楽を求めて動いていた。
「……凄く、いいよ」
「あ、あ、シュ……ウ……!」
事の最中は名前を呼ぶように何度も言われたせいで、ランは反射的にシュウの名を口にした。
いつの間にかシュウの手が腰に添えられ、次第に動きが速まっていく。
動きが激しさを増すにつれて、シュウを受け止めている場所に溜まった熱がぎゅうっと収縮し、ランはたまらず声を上げた。
目の前にちかちかと光が瞬く。
「やっ! ああぁっ、だ、だめっ、も……!」
「ラン、いっしょ、に……」
仰け反ってきつく閉じた瞳から涙がこぼれた。
これ以上は無理だと本能的に動きを止めてしまったランを、シュウが持ち上げ揺さぶる。
「ひあっ! あ、はっ、くぅ、ああぁー……っ!!」
「っ」
自分の鼓動が一際大きく聞こえた刹那、瞬いていた光と体内の熱が同時に弾け、ランとシュウは高みの境地へと上り詰めた。
隙なくぴったりと重なり合った2人は、互いを抱き締めながら、ただ荒い呼吸を繰り返していた。
ほうっと息をついて、ランはシュウの寝台の上で寝返りを打った。
湯浴みの途中であんな事になったため、軽いのぼせと疲労で動けなくなったランは、シュウの寝台を借りて休んでいた。
寝台のふちに座ってこちらを見ているシュウを、ぼんやりと見上げる。
(……きれい……)
大きな出窓からは月光が差し込んで、シュウを照らし出している。もともと美丈夫な人だが月明かりの中では神秘的な雰囲気を纏っていた。
シュウは、ランが見つめていることに気付いたらしく、かすかに眉を上げて微笑んだ。
「ラン、凄く綺麗」
「?」
自分が思っていた事を逆に言われて、ランは目を瞬く。
「月明かりが姿を映し出してね、とても美しい」
真正面から言われたので、かわすこともできずにランは頬を染めた。治まりかけた鼓動がまた速くなる。
「へ、陛下の方が、よほどお美しいと思いますが……」
素直にそう返すと、シュウはくっと笑った。
「まぁ自分でも不細工な方では無いと思うけど……ランはもうちょっと自分を知った方がいいね」
「自分を、でございますか?」
横になったまま不思議な面持ちで見つめる。シュウはすっと目を細め、寝具に広がっているランの髪を1房持ち上げて口付けた。
「自分の容姿や、魅力をね。どれほど俺を惹きつけて狂わせているか、も、知ってほしいかな」
手にしたままの髪を弄びながら、冗談めかして言う。
いつもの軽口とは調子が違う気がして、ランはどぎまぎした。
「……またそのような、お戯れを」
「まさか。ランには嘘なんて言わないよ。全部、本当。本気。だから俺と結婚するって約束して?」
「……」
何とかはぐらかそうとしたものの、シュウの真剣な視線を感じて押し黙る。
正直に言うと、ランはこれまで異性を異性と認識した事が無い。子供の頃から男に混じり同様に育てられた為、女として誰かを愛したことが無いのだ。
だからシュウに愛していると告げられても、とまどうし、同じように愛して欲しいと言われても方法が判らない。
身体の繋がりだけでいいのなら簡単だが、シュウはどうやらランの心が欲しいらしい。
思案しても何と答えていいのか判らずに、困惑した視線を向けると、シュウは首をかしげて苦笑した。
「じゃあさ、4年後にランが俺を愛してたら結婚するって約束して? ……俺、ランを振り向かせる自信あるから」
「そんな約束で宜しいのですか?」
根拠の無い自信にも驚いたが、そんな自分に都合のいい約束でも良いのかと目を丸くする。
シュウは横向きのランの頬にキスを落とすと、そのまま耳元で低く囁いた。
「いいよ……身体はもう頂いちゃったから」
「へ、陛下っ」
口付けされた頬を押さえながら慌てて起き上がると、シュウはいつものようにくすくすと笑った。それからランに左手を伸べて
「右手だして」
と言った。
訝しみながらも、おずおず右手を出すと、シュウは部屋着のポケットから銀の指輪を1つ出してランの中指にはめる。
「……これは?」
「俺とランの婚約……じゃなくて婚約前提の証。ランフェリア、もし4年後に俺を愛していたら結婚してくれますか?」
シュウの真剣な言葉にランは顔を上げると、真正面から見つめ合った。
「はい。お約束致します」
満足そうに笑ったシュウは、もう1つ指輪を出すと自分の左手の中指に着け、それからランの右手と重ね合わせて、何か短い呪文を唱える。
2人の手を中心に、淡く優しい光が生まれ、やがてそれぞれの指輪に吸い込まれるように消えた。
一体何をしたのかとシュウを見ると、指輪をした手を絡めたままランを引き寄せ、膝の上に乗せた。
「ただの誓約だよ。精霊と言霊に誓うってやつ。といっても強制力はあんまり無いけどね。ま……俺の自己満足」
「はぁ」
いまいちそっち方面に詳しくないランは、曖昧に返事をする。結婚の時の宣誓ようなものだろうか。
「あ、でも、別におまけはつけたよ?」
「お、おまけ?」
嫌な予感がして身構えたランの指輪をシュウがゆっくりと撫でた。月光に煌くそれは白銀の光を放っている。
「ランの月のものを止めちゃう、おまじない」
「え……」
ぎくりとして咄嗟にシュウを見つめた。
「いま、薬で止めてるでしょう。それ飲まなくても良いように。安全な薬だけど、お金もかかるし、副作用が無いとは言えないしね」
「何故それを……」
あえて隠していた訳でもないが、知られたくはなかった事実。
ランは近衛騎士になってから薬で月のものを止めていた。
月のものが来ている最中はどうしても身体が鈍るし、体調も悪い。それで仕事に差し支えるのも嫌だったし、月1の体調不良で周りから差別されるのも嫌だった。そして何より、女としての自分の身に何かあって、子供ができることを恐れていた。
「何故って、この一月ランの休みのたびに一緒に寝てるけど、拒んだことないし、実際きてないみたいだし?」
あけすけに言われて、かぁっと赤面する。
シュウは臆面も無くふっと笑うと、重ねた手を外してランをぎゅっと抱き締めた。息が詰まるほどの強さに、ランは驚き、瞳を瞬いた。
きつく回された腕に、ランは内心首を捻る。こんな剥きだしの感情をぶつけるようなやり方を、シュウがするとは思えなかった。
「陛下……?」
胸に押し付けられたままのランが、くぐもった声で呼び掛けると、シュウは溜息と共に言葉を紡いだ。
「……本当は騎士なんて辞めさせて、このまま閉じ込めておきたい。4年後じゃなくて、今すぐ。ずっと俺だけを見るように……」
低く辛そうな声音に気付き、ランは腕の中で僅かに目を伏せた。
シュウは対外的にうつけ者とされていても、ファイゴス王国の現国王だ。だから、望みのほとんどを叶える事ができる。
ランの事だって、その気になれば無理矢理召しかかえる事も可能だ。男装の近衛騎士という立場上、多少騒ぎになるかも知れないが、揉み消す事などシュウの手腕なら造作も無いだろう。
だが、それを実行すれば、ランの全てを踏みにじる事になる。
ランがシュウの妃なり妾なりになってしまったら、デュトイ家はファニーが当主を務めなければならなくなってしまう。ランとは違い貴族の娘として育てられたファニーには近衛騎士の職は無理だし、可能だとしてもやらせたくは無い。となれば、要職を解かれ、国のお荷物貴族と成り下がってしまう事は容易に想像できた。
家の為、妹たちの為、ランがこれまで費やし努力してきた全てを無にしてしまうと判っているからこそ、シュウは4年待つと決めたに違いない。
それだけシュウの気持ちが本気なのだと見せ付けられたランは、静かに頬を染めた。
異性に対する愛がどんな物かなんて、知らない。それでも、ぶつけられる想いに胸がざわめいた。
「……申し訳、ありません」
何に対する謝罪なのか自分でも判らないが、謝らずにはいられなかった。
ふと耳元に吐息がかかる。シュウが苦笑したのだと、雰囲気で察した。
「いいさ、決めたのは俺だよ。ランは何も悪くない。それに……楽しみを先延ばしにするのは、嫌いじゃないんだ」
……そういうものだろうか。
そうっと首を回してシュウの顔を見上げると、待ち構えていたように唇が重なった。
触れるだけの甘く優しいキス。向けられる愛情に、心が痛む。
4年後、与えられるのと同じだけの大きさと重さをもって、彼に想いを返すことができるだろうか。男のようでありたいと願う自分に、女の愛情を持つ事は可能なのだろうか。
ランは湧き上がる不安を言葉にせずに飲み込むと、静かに瞳を閉じる。
口付けながら、優しく髪を梳く指先の温かさに、なぜか泣きたくなった。
END
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