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 もう一度キスを  携帯サイト「どこでも読書」さま主催 冬のエタニティフェア2013寄稿作品

 とある休日の、朝とも昼とも言えないような中途半端な時間。新居のリビングのソファに座って、ぼんやりとテレビを眺めながら私はコーヒーを飲んでいた。
 すぐ隣にはマグカップを手にした一樹さんがいて、同じようにテレビへ目を向けている。
 ほとんどくっつくようにして身を寄せ合うのは少し窮屈だけど、木枯らしの吹く今の季節はそのぬくもりが嬉しい。
 サイドテーブルにカップを置いて、一樹さんの肩に頬を寄せる。振り向いた彼が不思議そうに眉を上げた。
「どうした?」
 一樹さんの言葉に、なんでもないと頭を振って答える。
「……ちょっとだけ甘えたい気分なんです」
「ふうん?」
 彼は曖昧なあいづちを打って、右手で私の肩を抱き寄せた。
 ますます近づいた距離に嬉しくなり、手を伸ばしてギュッとしがみつくと、呆れ混じりに苦笑いされた。
「変なやつ」
 からかいを含んだ言葉に、口を尖らせる。近づいてきた彼の唇が、私をなだめるようにそっと重ねられた。
 今から半年以上前。山奥の別荘に引き篭もっていた一樹さんに、私は雇われた。期間限定のメイドとして。
 当時の一樹さんは、由緒正しい資産家の子息だと思えないくらい怠惰な生活をしていた。
 態度も口調もぞんざいで、仕事をしているのかも定かじゃなく、その姿はまさに親の脛をかじる放蕩息子。
 偉そうで失礼な彼にムッとしていた私は、一樹さんが才能ある作曲家で、優しく情熱的であるがゆえに深く傷ついていたとは思いもしなかった。
 まして彼の事情に首をつっこみ、想いを寄せるようになるなんて……
 一樹さんへの想いが通じて、今こうして一緒に暮らしていても、なんだか夢を見ているみたい。
 ぼんやりしながら彼を見つめると、少し心配そうな声で名前を呼ばれた。
「真琴?」
 平気だという意味を込めて、もう一度首を横に振り、微笑んだ。
「一樹さん、大好き」
 唐突な告白に面食らったのか、一樹さんがきょとんとする。続けて頬にキスをすると、彼の目元が少しだけ赤くなった。
「なんだよ、急に。誘っているのか?」
「えっ! そういうわけじゃ……」
 思ってもいなかったことを言われ、とっさに身を引いた。
 左手に持っていたカップを素早くテーブルに置いた一樹さんは、仰け反る私をソファに倒して、覆いかぶさってくる。
「ちょ、ちょっと、一樹さん!?」
「さりげなく迫るとか、真琴も随分と成長したもんだな」
「だから、違いますっ」
 私の否定を無視して、一樹さんは感心したように、うんうんとうなずいている。
 なんとかして逃れようと手足をばたつかせたけど、しっかり押さえ込まれてしまった。
「最初の頃は何をするにもビクビクしてたし、別荘のリビングでした時なんて、キスだけで慌てていたのに」
 当時の情景がパッと脳裏に蘇る。
 お互いの想いを打ち明けたあと、別荘のソファで初めて彼と触れ合った時のことが。
 自然に頬が熱を持つ。恥ずかしくて顔を背けた。
「あ、当たり前じゃないですか……二回目で、キスに慣れるわけないでしょ……」
 思わず声がかすれる。
 あの数日前に寝惚けた一樹さんから無理矢理キスされるというハプニングがあったけど、ちょっと怖かったし、抵抗するしかなかった。あれで慣れるなんてことはありえない。
 そっぽを向いた私の頬が、一樹さんの両手に包まれる。次の瞬間、強引に顔を正面に向けさせられた。
 首の関節がグキッと嫌な音を立て、鈍い痛みが走った。
「痛っ! ちょっと、何す」
「おい。二回目ってどういうことだよ」
 地の底を這うような一樹さんの低い声で、私の抗議が遮られる。見上げた先の彼は眉間にくっきりと皺を刻み、それはもう恐ろしい顔をしていた。
「え……」
 なんか、凄く、怒ってる……?
 背筋に嫌な震えを感じて、息を詰める。暑くもないのに汗が浮いた。
 一樹さんは半眼で、じっと私を見下ろしてくる。その奥にある瞳は冷たい光を放っていた。
「お前、あの時が初めてだって言ってただろ。嘘だったのか?」
「へ? 違います。えーと、その……えっちなことは初めてで……キスは二回目、です」
 彼は何か勘違いをしていたらしい。
 恥ずかしさを必死で堪えて説明した。けど、一樹さんはますます気に入らなそうに顔をしかめ、ふんと鼻を鳴らした。
「最初の相手は誰だよ。幼馴染のあいつか?」
「はい? 敬士は関係ないです」
 どうしてここで、私の幼馴染が出てくるんだろう。内心で首をひねると、一樹さんはイライラした様子でぐっと歯を噛み締めた。
「じゃあ別の男か。でも、俺の前に付き合っていたやつはいないんだろ。どういうことだよ?」
「もう、何を言ってるんですか。キスしたのも、その先も、一樹さんとだけですっ」
 私の言葉を聞いた一樹さんが、ピタッと動きを止める。そのまま何度かまばたきをしたあと、彼は難しい表情を浮かべ、視線をそらした。
「いや、待てよ。俺としかキスしたことがないのに、あの時で二回目……?」
 ふうっと溜息をついて、一樹さんを見つめる。
 初めてキスをした時も、今と同じように押し倒されたことを思い出した。場所はソファじゃなくて、ベッドだったけど。
「……一樹さんが告白してくれた日の二日前に、ベッドで私の髪ゴムを拾ったのって覚えてますか?」
「ああ……って、あの時か?」
 あからさまにぎょっとしている彼に向けて、苦笑いをする。
 寝惚けていて、私にしたことをあまり覚えていないらしい一樹さんは「何もなかった」と言い張る私の言葉を、今まで信じていたんだろう。
 蒼褪め強張った彼の頬に、今度は私が触れた。
「あの、平気ですよ。確かにちょっとびっくりしたけど、一樹さんのことが好きだったから、キスしてもらえて嬉しかったんです」
「でも真琴は初めてだったんだろ。ひどいことをしたよな……悪い」
 一樹さんは、見ているこっちが困ってしまうくらい、しょげている。
 私は彼の頬に当てた手をすべらせるようにして、首に腕をまわした。
「ひどくはされていません。それに一樹さんがすることなら平気です。違う人だったら絶対に嫌だけど」
「いや、でも……ごめんな。あの時はお前のことが好きすぎて、色々と限界だったっていうか。何度も同じような夢を見ていて……」
 意外な一樹さんの言葉に目を瞠った。
 何度も夢を見るくらい前から、彼は私を想ってくれていたの?
「一樹さんって、私のことをいつからそういうふうに……その、好き、とか思っていたんですか?」
 彼に愛されているのは凄く嬉しいけど、口に出すのはちょっと恥ずかしい。
 つかえながら質問をすると、一樹さんは顎に手を当てて遠い目をした。
「……自分でわかっていなかっただけでかなり前からそうだったんだろうけど、はっきり気づいたのは、お前とあの幼馴染がコンビニでいちゃついているのを見た時だな」
 一樹さんがいつの話をしているのかは、もちろんわかっている。けど、見解が微妙に事実と異なっている気がした。
「偶然一緒にいただけで、別にいちゃついていたわけじゃ……」
 私に口ごたえされたのが気に入らないのか、彼は物凄く嫌そうに顔をしかめた。
「していただろ。近くにべったり寄り添って、頭とか肩とか触られてたくせに」
 吐き捨てるように言われ、口をつぐむ。
 一樹さんは苛立ちを隠さずに短く舌打ちした。
「はっきり言って、すげームカついた。俺が近づいたり、触ったりするとビクビクして逃げようとするのに、あいつはいいのかって」
「それは……」
 一樹さんの指摘に、顔を上げる。
 彼と近づくたびに緊張していたのは、逆に意識しすぎていたからだ。
 本当の理由を説明しようとしたけど、一樹さんは「わかっている」と言うように手をかざす。続けて苦笑いを浮かべた彼は、私の頭を優しく撫でてくれた。
「まあ今さらだし、それはいい。とにかくあれで、真琴のことが好きなんだって気づいたんだ。でも、そこからがやばかった。仕事に打ち込んで気持ちを抑えようとしたけど、しょっちゅう夢にお前が出てくるし。俺の願望を表してるのか、内容がどんどんアレになってくるし」
「アレ?」
 って、なんだろう。思わず聞き返すと、一樹さんが私の耳に口をつけた。
「こういうふうにお前を押し倒して、抱き締めて、もっと色々するような夢。だから、真琴にしたことを夢か現実か判断できなかった」
 一樹さんの言う意味を理解するのと同時に、頬がカッと熱くなる。
 そういえば無理矢理キスしてきた時、彼は抵抗する私に向かって「今日の真琴は可愛くない」とか言っていた。
「か、勝手に変な夢を見ないでください!」
「はあ? そんなの不可抗力だろ。自分で見る夢を選べるわけじゃないんだし」
 確かに一樹さんの言うとおりだけど、恥ずかしすぎて文句を言わずにはいられない。
 さらに不満を口にしようとしたところで、耳たぶを甘噛みされた。
 ゾクッとした震えが走り、息を詰める。そこから耳の下まで舐めた一樹さんは、肌に口をつけたまま、かすかに笑った。
「大丈夫だよ。そんなにすげーのを見たわけじゃないから。夢より実際の真琴の方が遥かに可愛いし積極的だし、やらしいしな」
「ちょ、何を言って……!」
 急に恥ずかしいことを言われ、ますます顔がほてる。首を振って彼の唇を引き離し、睨みつけると、予想外に優しいまなざしを返された。
「……なあ、真琴。最初のキス、今やり直してもいいか?」
 ハッとして一樹さんに目を合わせる。彼の瞳に真剣な光を見つけ、泣きたくなるほどの切なさを覚えた。
「一樹さん……」
 私を気遣ってくれる一樹さんの気持ちが心に沁みていく。
 彼があのキスを夢だと思い込んだのは、私が適当なことを言ってごまかしたせいでもあるのに、責任を感じてくれているらしい。
 付き合いはじめてから、もう回数を覚えていないくらい口づけを交わしているし、ファーストキスをやり直さなくたってきっと何も変わらない。
 それでも彼の思いやりが嬉しくて、私は強くうなずいた。
 一樹さんが近づいてくる気配を感じて、そっと瞼を閉じる。唇が合わさる直前、吐息に乗せて伝えられた彼の想いが耳に届いた。
 触れて、混じり合うぬくもり。
 私の目尻からは、彼への愛情の代わりに涙が溢れていた。


                                          End


   

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