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 彼の名も知らない

 3
 ソファに座った状態で手を拘束され、視界を奪われたミヅキは、身動きできずにただじっとハルを待つ。今まで妄想で済ませていた事が現実に行われていると認識し、眩暈を感じた。
 ハルが誰とも知れない赤の他人だという事や、自分の身が危険に晒されているかも知れないという意識は、身体の奥底から沸きあがる興奮と震えによって吹き飛んだ。
 ただ縛られているだけなのに、だらしなく喘ぐ自分は彼にどう見えているのだろう。そう考えるだけで、また熱が上がる。確認する術は無いが、身体の中心が既にぬかるんでいる事はとうに気付いていた。
 おもむろに伸びたハルの手が太ももにあてがわれ、足を曲げるように促された。そのまま片方ずつ、ソファの肘掛けに載せられる。体勢の苦しさから自然に足は開き、臀部を突き出すような形になってしまった。
「いい眺め」
 満足そうなハルの声が響く。
 タイトとまではいかないものの、広がりの少ないスカートはすっかり捲れ上がっているはずで、濡れた下着を彼に晒している事にミヅキはまた声を上げた。
「……ふ、あぁ……」
「なんだ、もう、ぐしょぐしょじゃないか」
 くぐもった声と共に、太ももに当たる吐息。ハルが間近で覗き込んでいるのを悟ったミヅキは、大きく震える。
「あ、やっ! み、見な……」
 思わず口にした拒否の言葉は、唇に当てられたハルの指によって遮られた。
「嘘はダメ。見て欲しいんだろ?」
「あ……んん」
 羞恥に震えながら、ミヅキは首を縦に動かす。
 喉の奥で低く笑ったハルは、下着のクロッチに指をかけ横にずらした。
「ああ、いやらしいな。こんなに濡れて、ひくひくしてる……触って、欲しい?」
 下腹の奥の方が熱を持ち、痛みと間違いそうな程強く脈打っている。ハルを欲する身体が命ずるまま、ミヅキは懇願の言葉を口にした。
「はっ……、さ、触って……下さ、い」
 しかし聞こえていたはずのハルは「まだダメ」と意地悪く言った。
 望んでいるものが与えられないと知ったミヅキはたまらず身を捩る。焦らされる事がこんなに辛く気持ちいいだなんて、知らなかった。
 息が切れるほど感じているミヅキにはお構いなしといった様子のハルは、手早く濡れた下着とスカートを取り去り、元のように足を肘掛けに載せると、ブラウスのボタンを途中まで外して乱暴に下着を引き上げ、胸を露わにした。
「いいね、綺麗だよミヅキ。このまま写真に残しておこうか?」
「あ、あぁ……っ」
 否定も肯定もできずに首を振る。身体が熱くて熱くて、何も考えられない。脳が痺れるような錯覚を覚えた。
 ソファが僅かに軋むのと同時に、彼の体温を感じる。覆い被さるように近付いたハルは、ミヅキの耳に舌を挿し入れながら、胸の膨らみに手を伸ばした。
 待ち兼ねていた刺激にミヅキが仰け反ると、ハルは口にしていた耳朶を少し強めに噛む。鋭い痛みと胸からの快感が背中を駆け抜け、息を呑んだ。
「ねぇミヅキ。見ず知らずの俺に縛られて、オモチャにされてるの気付いてる? それなのに、こんなに固くして」
 嘲りを含んだ言葉が、じわりと内側に染みていく。尖った胸の頂きを指で捻られながら、先端を爪で引っ掻かれた。
「ん、くぅっ!」
 びくんと身体が跳ねた。ぎゅっと瞑った瞳から零れた涙は、瞼に巻きつけられたベルトに吸い込まれていく。
 片方の膨らみを指で、もう片方を舌で刺激され、ミヅキは途切れ途切れに短い悲鳴を上げる。無意識に身体が強張り、腰がガクガク震えた。
 何か得体の知れないものがせり上がってくる感覚に唇を噛む。突然何の前触れも無く、下腹部に回された指が一気に奥まで突き入れられ、ミヅキは声にならない声で叫んだ。
「ほら、もう中が震えてる。ミヅキは感じやすいんだな。良すぎて、いきそうなんだよ」
「……い、く……?」
(これが?)
 必死で呼吸をしながら、やっとの事で聞き返す。これまでの経験で感じた事がないせいで、ミヅキは具体的にどうなるのかが判らなかった。
「俺も女じゃないから判らないけど、一人でするより何倍も良いらしいな」
 期待に鳥肌が立つ。ミヅキがこくっと喉を鳴らしたのを合図に、入ったままの指が抜き挿しされた。ハルの太くて骨ばった指が出入りする度に、強い痺れが頭まで突き抜け、汗が噴き出した。
「あ! はっ……あぁ、あっ、あ……んんっ!」
 リズミカルな動きに合わせて声が漏れる。過去の男との情事では半ば演技していたミヅキにとって、こんな風に声が抑えられない事は初めてだった。
 本能的にハルの動きを助け、自ら腰を揺らす。拘束されたままの不自由な体勢では思うように動けないが、更に強い快楽を得ようとする身体が勝手に反応していた。
「凄いな、どろどろだ……」
 ハルの呟きと共に、固く膨らんだ蕾が舌で撫でられる。そのすぐ奥を出入りする指はいつの間にか増やされていて、滑った水音が部屋に響いていた。中を掻き回し、くじる感覚と、敏感な蕾をざらざらしたもので擦られる感覚が合わされ、ミヅキは半狂乱で喚く。
 目隠しをされ、自分でも目を瞑っているのに、瞼の向こうが眩しく点滅している気がした。
「ああっ、あ……や、ぁっ! あぐっ、う、だ、だめえぇっ……!」
 ぐうっと下腹に力が入る。目の前の光の明滅はどんどん早く強くなり、やがて痙攣する身体が一際大きく跳ねたのに合わせて爆発した。

 それからどれくらい朦朧としていたのか、うっすらと瞳を開けたミヅキは、ハルが自分を覗き込んでいることに気付いた。
「……気がついた?」
「あ、はい……」
 返事をしながら、ハルの顔が見える事に違和感を覚える。相変わらず腕は縛られたままだし、足も肘掛けの上だ。今更ながら、そのあられもない格好を視界に入れたミヅキは、目を反らして息を吐いた。
 その様子を見たハルが、目隠しに使っていたベルトを弄びながら面白そうにくすくす笑う。
「緩く結んだせいか、タオルだったせいか判らないけど、取れてしまったんだ。でも……ミヅキには目隠ししないで見せながらした方が、楽しかったかな?」
 無邪気だった笑みが、次第に意地悪いものに変化していく。
 つい先ほどまで、彼に命令され弄ばれていたのだと意識したミヅキは、激しく訪れた甘美な感覚を思い出し、ぶるりと震えた。
「どう、噂通りに良かった?」
 心を見透かしたような質問に、ミヅキはかすかに頷く。
「は、い……」
「まぁ、あんなに濡らして啼いてりゃ判るけどな」
 ハルの言葉が、ふと心の琴線に触れた。
 過去の男に「不感症じゃないか」と言われた事もあるほど、ミヅキの身体はこれまで、どんな愛撫を受けようとも常に冷めていた。そんな自分があんなに乱れた事が信じられない。しかも最後までした訳でも無いのに……。
 自分だけが一人で上り詰めたという事に思い当たったミヅキは、なぜか例え様も無い空しさを感じた。初めて味わった絶頂は素晴らしいものだったし、こんな自分に触れてくれるハルに感謝もしている。だが足りない。ミヅキの身体は本能から、ハル自身を欲していた。
 そっとハルを見つめる。ミヅキの視線に気付いた彼は、わざとらしく眉を上げ「なに?」と聞いた。
 不自然な程の大げさな反応に、自分が何を望んでいるのか、彼には悟られていると確信した。しかし気付いているからこそ、言わせたいのだろう。にやにやと笑うハルから顔が見えないように俯いて、ミヅキは言葉を搾り出した。
「……は、ハルが欲しい、です。い、入れて、下さい……」
 一度達した事で下火になっていた内側の炎が、自ら発した言葉によってまた燃え上がる。彼を待ちわびる身体が小刻みに震えだした。
「ふぅん。おねだりするくらい欲しいんだ? ……いいけど、その前に俺も気持ち良くしてよ」
 言われた意味が判らずに、目を瞬く。いつの間にか下着を脱いでいたハルは、力強く存在を主張する自身をミヅキの脛に擦りつけた後、わざと眼前に晒した。
「……っ!」
 ミヅキは顔を背ける事もできずに、それを見つめ頬を紅潮させた。
 もちろん初めて見たという訳では無い。ただ、間近で直視した経験が数えるほどしか無いせいで、驚いてしまった。
「口でしたこと、ある?」
「あ……何度か、は……」
 有るか無いかで言えば、ある。大学時代に付き合っていた男に頼まれて数回試してみた事はあるのだが、ミヅキが下手だったせいか、それきりになってしまっていた。
 歯切れの悪い物言いに何かを感じたらしいハルは、少し考えてから、にやりと微笑んだ。
「何度か……ね。まぁ今日は噛まないでくれたらいいよ。後は勝手にやるから。そこまで無茶はしないつもりだけど、吐きそうだったら足で蹴って」
「わかり、ました」
 やんわりと空恐ろしい事を言われたが、ミヅキにはそれすら嬉しい。
(……勝手に、されるんだ……)
 自分の口がハルのもので蹂躙されるのを想像したミヅキは、期待でとろりと濁った瞳を彼に向けた。
 薄く笑った後、ハルは大きな手でミヅキの頭を抱え、自分の方に寄せる。
「最初は舐めて。それくらいならできるだろ? あ、目は開けたままでね」
 促された通りに舌を這わせた。僅かに感じた生理的な抵抗感は、あっという間に快感にすり替わる。直に触れた彼は、その興奮を如実に表していた。
「……んぅ、ん」
 自分でもたどたどしいと気付きながら、ミヅキは一心不乱に舌と首を動かす。時折、上から聞こえる短い吐息に、僅かでも彼が感じてくれていると知り嬉しくなった。
 縛られ蔑まれる事で快楽を得ている自分と、それを許す彼。「証明する」と言った通り、普通で無い性癖の女との普通で無い情事にも、ハルは興奮している。その事は、自らにも恋人にも肯定されなかったミヅキの心を軽くした。
 舐めているうちに、もっと深く彼を感じたいと思ったミヅキは、無意識に首を伸ばし先端を口に含む。そのまま中でぐるりと舌を回すと、密かなハルの呻き声と共に、遠い昔に覚えた味を思い出した。
「……は……経験、浅いくせに……何でそんな、上手いんだよ……」
「?」
(上手い……?)
 ミヅキはハルの意外な言葉に、内心首を捻る。初めてこういう事をした恋人から何も言われなかったし、いつも早々に「もういい」と言われていたから、して貰いたく無いくらい下手なのだろうと思っていた。
 不思議に思って見上げると、熱っぽい彼の視線と真正面からぶつかった。苦しそうに眉を寄せた彼の瞳が、ぎらりと光る。ミヅキは息を呑む間も無く頭を強く固定され、次の瞬間には彼自身を深く突き込まれていた。
「くっそ……我慢できね……!」
 驚きと苦しさでぎゅっと瞑った瞳から、涙が零れる。余裕の無いらしいハルは、ミヅキを気遣う事無く激しい抽送を繰り返した。
「んぐっ……ぅ」
 口腔内を彼のもので隙無く嬲られる。どちらのものか判らない液体が抜き差しに合わせて零れ、ミヅキの口元と胸を濡らした。
 規則的な動きと荒くなる彼の吐息。舌の上で跳ねるものが震えているのを感じたミヅキは、ほとんど初めてながら彼の限界を知り、瞼を上げた。
 一度大きく身を引いたハルが、こちらを覗き込み目を合わせる。浮いた涙のせいでぶれる視界の中、ミヅキはじっと彼を見つめた。
「……ああ、凄い。最高。このまま、いきたい……いい?」
 うわ言のようなハルの呟きに、胸が熱くなる。
 口を塞がれ頷く事もできないミヅキは、肯定を伝えるために埋められたままの彼を舌で撫でた。
 それで伝わったのか、ハルはまた動き出す。
 容赦の無い動きと共に響く水音。内と外から聞こえる音に、頭の中まで犯されている気がした。
 ミヅキは込み上げる吐き気をやり過ごしながら、必死で応える。やがて、ぴたりと動きを止めたハルが低く唸ったのと同時に、熱いものが口に広がった。
(……あ、口に……)
 初めてであっても、それが彼の絶頂の証だという事は判る。
 眉を寄せ大きく息を吐きながら、辛そうにこちらを見たハルに視線を返し、ミヅキは静かにそれを嚥下した。

 結局それから、ハルは朝までミヅキを離す事が無かった。記憶が飛ぶほど何度も抱かれ、そこに愛が存在するのでは無いかと錯覚するほど、甘美な興奮を味わった。
 しかし、どんな夜にも朝は訪れる。互いに名前さえ知らない二人は、最初の約束通りに何一つ詮索する事無く別れた。
 ……ミヅキの手首についた薄紅い痣を残して。

 月曜日。いつもより気だるい身体を何とか起こして、ミヅキは仕事へ向かった。
 三十間近の身体に、あんな激しいセックスは酷であったらしい。土日をまるまる寝て過ごしても、まだ疲れが残っていた。しかしその疲れが、心地良い。自分のような女でも良いと言ってくれる男がいるというだけで、世界が違って見えた。
 ミヅキは顔を上げ、颯爽と自社ビルのドアをくぐる。入り口に立つ警備員と、受付嬢に声を掛け、エレベーターへと向かった。
「……あ、ちょっとお待ち下さい」
 後ろから届いた声に振り返る。見れば、警備員の一人がこちらに向かって小走りで近付いて来ていた。
 何かを落としたのだろうかと思ったミヅキは、とっさに自分の姿を見下ろす。が、全く判らなかった。
「えっと、私、何か落としました?」
「いえ、手首に何か……」
 ぎくりと身を強張らせたミヅキは、抗う暇もなく警備員に手を取られた。大分薄くなったものの、あの夜、縛られた両手首はまだ赤い。
「あ、あの、これは何でも無くって」
 思わず引こうとした手を驚くほど力強く握った警備員は、俯いたまま微かに笑い、ミヅキの耳元に口を寄せた。
「……酷くなっていなくて良かった。きつく締めすぎたかと思って心配だったんだ」
 言われた意味が理解できずに、瞳を瞬く。彼を見上げたミヅキは、目深に被った警備員用の制帽の下から覗く見知った瞳に息を呑んだ。
「ハ……!」
 二人にしか判らない彼の名を呼びそうになったミヅキは、ここが社屋であると思い出し慌てて言葉を抑える。
 その様子に口の端を上げた彼は、帽子のつばを持ち上げ何事も無かったように会釈した。
「失礼致しました」
「あ……」
 呆然とするミヅキを残し、ハルはまた社屋の入り口へと戻っていく。凛とした彼の後姿に、あの夜の背中を思い出したミヅキは、胸の前でぎゅっと手を握った。
(……これから……どうなってしまうの……?)
 いつの間にか到着していたエレベーターにも気付かないまま、ミヅキはその場に立ち尽くしていた。

                                             END

   

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