猫かぶり御曹司とニセモノ令嬢 土曜日のお客様 後編 空が淡い藍色に染まり始める時間。啓也の運転する車は、守崎家へ向かって走っていた。 綺麗だけど少し寂しさを感じる空を、助手席の窓から眺める。楽しかったお出かけが終わってしまうことを切なく思いながら息を吐いたところで、車が大きく揺れた。 見れば、車は橋の上に差しかかっていた。アスファルトと橋の継ぎ目のせいで、強い振動が伝わったらしい。 少し心配になって後部座席を振り返ると、真人くんと秀哉くんは揺れたことなんて全然気づかずに、ぐっすりと眠っていた。 「良かった。よく寝てる」 ほっとした気持ちを声に出す。啓也が前を向いたまま、ふっと笑った。 「そりゃ、あれだけ、はしゃいでいたら疲れるよ。家に着くまで起きないだろうね」 「うん。二人が喜んでくれて良かった」 顔を前に戻して私も微笑む。お兄さんに真人くんと秀哉くんを預かると連絡したあと、すぐにマンションを出た私たちは、あたりが夕焼けに染まるまで遊園地で過ごした。 土曜だからヒーローショーや、スタンプラリーが開催されていて、秀哉くんが大喜びしていた。 真人くんは戦隊ヒーローには興味がなさそうだったけど、啓也と一緒に何度も絶叫マシンに乗っていた。 二人の弾けるような笑顔を思い浮かべて嬉しくなる。年甲斐もなく一緒になって遊んだせいで、身体は疲れていたけど、それさえも心地良いと感じた。 「でも、ごめん。うちの面倒に付き合わせて」 急に沈んだ啓也の声を聞き、眉を上げる。変な責任を感じているらしい彼を笑い飛ばした。 「もう、何を言ってるの。遊園地に行こうって言い出したのは私だよ。久しぶりに行ったから凄く新鮮だったし、啓也も楽しかったでしょ?」 アスレチックのエリアで二人に負けじと張りきっていた啓也を思い出す。大人げないと思いつつ、夢中で駆ける彼を可愛いと思ってしまった。 「……ああ。もし俺たちに子供ができたら、こんな感じかなって思った」 「うん、そうだね」 ふわりと心が優しい温もりに包まれる。いつか……できればそう遠くない未来に、彼の子供をこの手に抱いてみたい。今まではおぼろげだった願いが、目の前で形になった気がした。 また後ろを振り返る。シートベルトをしていても、二人は寄り添うようにして眠っていた。秀哉くんはもちろんのこと、真人くんの寝顔もあどけなく、起きている時よりもずっと幼く見えた。 お兄ちゃん然としていて背も高い方らしいから、大人っぽいイメージだけど、真人くんだって普通の十歳の男の子だ。そんな真人くんが弟を連れて遊園地へ行こうとしていたことを思うと、少し胸が痛んだ。 「しかたないけど、ちょっとだけ可哀相だね」 「ん?」 「ほら、赤ちゃんが産まれるから、真人くんと秀哉くんは色々と我慢しなきゃいけないでしょ。大人はどうしても下の子を優先してしまうし」 また過去の私と菜摘ちゃんの姿が思い浮かぶ。私は一人っ子だけど、菜摘ちゃんが近くにいたおかげで「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われるつらさが身に沁みていた。 私の話に啓也はふうっと息を吐いて、苦笑いを浮かべた。 「まあ、兄貴がああだから、マサとシュウは今まで凄く我慢してきたんだと思うよ。今日、家を勝手に出てきたのも、本当は反抗するのが目的だろうし」 「え?」 「兄貴が約束を破ったから、わざと黙って出て、心配をかけたかったんでしょ。普段、持たされてる携帯を置いてきたのもおかしいし、そもそもマサが電車を乗り違えるなんてありえないよ。あいつ、電車とか路線図とか大好きだから」 「じゃあ、うちにきたのは……」 私の言葉を継ぐように、啓也はうなずく。 「偶然じゃなくて、最初からそのつもりだったんだろうね。義姉さんの実家は近すぎて、すぐに連れ戻されてしまうし、家には帰れない。うちが適度に離れていてちょうど良かったってところかな」 「そうだったの」 「怒る?」 交差点で車が停まったのを見計らい、啓也が私に視線をよこす。私は目を伏せて、静かに首を横に振った。 本当の理由を聞いても、腹は立たない。ただ一層、二人が不憫に思えてしまう。 信号が青に変わり、車がまた動き出したのに合わせて、シートに座り直した。 「……叱られるかしら。真人くんと秀哉くん」 「まあ、勝手に家を出たのを良いことにはできないから、もうしないように注意はされるだろうけど、頭ごなしに叱られることはないんじゃない。今回のことは兄貴も反省してるみたいだしね」 「そう」 思わず、ほうっと息を吐く。二人がしたことは正しくないけど、家出してしまった理由を抜きにして責められるのは可哀相だ。 横から伸びてきた手が、ぽんと頭に乗せられる。 「大丈夫だよ」 優しく撫でてくれる啓也の手の温もりを感じながら、私はゆっくりとうなずいた。 到着した守崎家の前には、お兄さんと、お父さんが待っていた。あらかじめ啓也が着く時間を伝えておいたらしい。 真人くんと秀哉くんが眠っているのを伝えると、無理に起こして話をしても理解できないだろうとお父さんが言い、とりあえず母屋の方で寝かせておくことになった。 真奈さんの調子が良くないと聞いていたから、二人を送り届けたあと、すぐに失礼するつもりでいたのだけど、お兄さんからどうしてもと乞われて、私たちは増築した方のお家へ招かれた。 それぞれの生活スペースは渡り廊下で仕切られているだけで、家の中では繋がっているそうだけど、玄関は別になっているらしい。 結婚をする時に「生活空間と玄関は母屋と絶対に分ける」とお兄さんが言い張ったことを、啓也がこっそり教えてくれた。もちろん、親の目があると真奈さんといちゃつけないから、という理由で。 やたらとベタベタしたがるところは兄弟そっくりだと内心で思ったけど、あとが怖いから言わないでおいた。 お兄さんに促され、リビングへ通される。建て増した方の家は、純和風な母屋とは対照的にモダンな造りで、明るく広いフローリング敷きの部屋に大きなソファと、カントリー風の家具が揃えてあった。 ソファに座り私たちを待っていた真奈さんが、優しい笑みをたたえて迎えてくれた。 「いらっしゃい。今日は本当にごめんなさいね」 立ち上がろうとする真奈さんを、すかさず駆け寄ったお兄さんが支える。私は慌てて首を横に振った。 「そんな、いいんです。私たちも楽しかったし。ね、啓也?」 「うん。マサもシュウも、わがままを言わずに聞きわけよくしていたよ。遊園地なんてしばらく行ってないから、俺たちも楽しんできたし、気にしなくていい」 「そう。良かった」 真奈さんはほうっと息を吐いて、表情をゆるめる。まだ悪阻がおさまっていないせいか、以前より痩せて頬が細くなり、顔色もあまり良くない。それでも赤ちゃんは健やかに成長しているらしく、ゆったりしたワンピースの上からでも、膨らんだお腹が目立つようになっていた。 「お茶の用意は俺がするから、真奈は座っていなさい」 「ありがとう、栄太さん」 微笑む真奈さんをまたソファに座らせたお兄さんは、カウンターの向こうにあるらしいキッチンへと向かう。 お兄さんの背に向かって、すぐにお暇するつもりだと声をかけたけど、気にせずにゆっくりしていってほしいと笑顔を返されてしまった。 絵に描いたような良い男っぷりに内心で感嘆する。背が高くてスタイルが良いし、精悍な顔つきに、爽やかで甘い笑顔。いつだったか、学生の頃のお兄さんが凄くモテていたという話を聞いたことがあったけど、確かに女性が放っておかないだろうと思えた。 ちらりと隣の啓也を見る。彼も格好良いけど、どちらかといえば中性的で実際よりも若く見えるし、あまり男くささは感じない。髪も目も黒いお兄さんと比べて、色素が薄く、似ているとは言えなかった。 啓也はお父さん似だけど、お兄さんは誰に似ているんだろう? お兄さんと見比べられていることに気づいたのか、啓也が居心地悪そうに眉を寄せる。しつこく見続けて機嫌を悪くされたらかなわないから、私は真奈さんに赤ちゃんのことを尋ねて、その場を取り繕った。 お茶を淹れて戻ってきたお兄さんは、真奈さんの隣に座るなり、私と啓也に向けて深く頭を下げた。 「汐里さん、今日は本当にご面倒をおかけして、申し訳ありませんでした。啓也もありがとう、すまなかったな」 真正面から謝罪をされてしまい、オロオロしながら啓也を見つめる。彼は苦笑いをして、肩をすくめた。 「いいよ、別に。さっきも言ったけど、俺たちも楽しかったし。それに、謝るならマサとシュウにしてやれよ。あいつらだって、したくて反抗してるわけじゃないんだからさ」 啓也の意見に、お兄さんは顔を上げ、そっと目を伏せた。 「……ああ。今回のことは俺が悪い。真人と秀哉に可哀相な思いをさせてしまった」 「栄太さん……」 手を伸ばした真奈さんが、お兄さんの腕に優しく触れる。僅かな時間、二人は見つめ合い、小さくうなずいた。 ドアの掛け金が外れるかすかな音に続いて、リビングの扉が静かに開いた。開いた隙間から秀哉くんが顔を覗かせる。どうやら、起きて母屋から戻ってきたらしい。 「お父さん、お母さん……」 今にも泣きそうな表情で、声も震えている。叱られるかもしれないことに怯えているのかと思ったけど、秀哉くんはドアを掴んだまま気遣わしそうに背後へ目を向けた。 お兄さんが立ち上がり、秀哉くんへ手を伸ばした。 「どうした? おいで」 「……でも、お兄ちゃんが」 「真人がどうかしたのか?」 動こうとしない秀哉くんを、お兄さんが迎えに行く。リビングのドアを大きく開けると、秀哉くんの後ろに真人くんが立っていた。その両目から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちている。 「真人……」 お兄さんが目を瞠るのと同時に、真人くんが大きくしゃくり上げた。 「お父さん、ごめんなさい……俺が兄貴なんだから、しっかりしなきゃ、いけなかったのに……っ」 途切れ途切れの悲痛な声が耳に届く。床に膝をついたお兄さんが、真人くんをきつく抱き締めた。 「いいんだ、真人。わかってる。今朝のことはお父さんが悪かったんだ、お前のせいじゃない……でも、二人とも無事で良かった」 不安げな表情で震えていた秀哉くんが、つられたように泣き出す。お兄さんが左腕を大きく伸ばして、秀哉くんも抱き寄せた。 お兄さんの腕の中で、秀哉くんは顔を上に向け、わんわんと泣き声を上げる。ふと前に目線を戻せば、真奈さんが泣き笑いをしながら、お腹をゆっくりと撫でていた。 思わず貰い泣きしそうになって、うつむく。浮いた涙がこぼれないようにまばたきをしていると、膝の上に置いた手に啓也の手のひらが重ねられた。 「ね。だから、大丈夫って言ったでしょ」 私にしか聞こえないように伝えられた、ささやき。目を向けた先では、啓也が柔らかく微笑んでいた。 お兄さんのご家族に見送られて守崎家を出た私は、車の助手席から、段々と離れていくお家を見つめ、溜息をついた。 「疲れちゃった?」 啓也は車を運転しながら、私の吐息に気づいたらしい。彼の問いかけに頭を振り、前に向き直った。 「ううん、そうじゃなくて。家族ってやっぱり素敵だなって思ってね」 泣きながら抱き合っていた子供たちと、お兄さん。そして優しいまなざしをしていた真奈さんを思い浮かべる。それぞれの想いが行き違ってしまったりもするけど、温かい理想の家族の姿がそこにはあった。 「ああ、うん。……まあ、子供は自然に任せるとして。俺も早く正式に汐里と家族になりたいな」 軽く言っているけど、彼が本心からそう思ってくれているのがわかって、嬉しくなる。 今までは、籍を入れたって二人の生活が特別変わることはないだろうと思っていた。私の名字が羽深から守崎になったとしても、外で呼ばれる時に慣れなかったり、気恥ずかしかったりするだけで、私たちの関係が変わるわけじゃない、と。 もちろん、権利や法的なことは大きく違ってくる。けど、それ以上に意識が変わるんだと、お兄さんのご家族を見ていて気がついた。 啓也の奥さんとして、彼の家族になり、一生を共に歩んでいくということ。 守崎家の一人として、彼のご両親やお兄さんたちとも家族になるということ。……そして、その覚悟を持つということに。 そっと彼の横顔を見つめる。少し童顔で、お兄さんのように凛々しくはないけど、私の中では誰よりも格好良くて、素敵な人。 ……愛してる。 唐突に溢れそうになった想いを、まなざしに乗せて送る。まるで私の心の声が聞こえたように、啓也はパッと眉を上げた。 「なに?」 「ん、なんでもない。そういえば啓也とお兄さんて、あんまり似てないよね。啓也はお父さん似だけど、お兄さんは誰に似てるの?」 密かに想いを告げていたことは、照れくさいから内緒にしておく。違う話題を振ってごまかすと、啓也は少しだけ面白くなさそうに顔をしかめた。 「兄貴は母方の爺さんに似てるけど、なんでそんなことを訊くの。というか汐里、さっき兄貴に見惚れてたよね?」 「はあ?」 いきなり何を言い出すのかと、眉を寄せた。 「あー、くそ。兄貴に会わせないようにすれば良かった」 唖然とする私の前で、啓也はぶちぶちと文句を言っている。 最初から疎遠ならまだしも、これから近い親戚として付き合っていくのに、ずっと会わずにいるなんて無理な話だ。内心でつっこみを入れながら、私は今度こそ疲労を感じて溜息をついた。 まったく、どうしてこんなにやきもち焼きなんだろう。それだけ彼の愛情が深いということなのかもしれないけど、お兄さんにまで嫉妬するなんて呆れてしまう。 むくれてブーブー言っている啓也を尻目に、苦笑いをこぼした。 「もう。違うよ、啓也。あのね……」 一度は隠した想いを、全て言葉にしていく。胸の内をさらけ出すのはちょっと恥ずかしいけど、彼を宥めるためにはしかたないと諦めた。 素敵なところも、困ったところも、全てが愛おしい未来の旦那さまだから……ね。 END 前編 ← |
Copyright (C) chihiro sasa all rights reserved 書籍番外編集 index |