猫かぶり御曹司とニセモノ令嬢 心と身体と想いの丈 前編 夕飯の片づけを終えてリビングへ戻ると、ソファに座った啓也がニコニコしながら私を見上げた。 期待の篭もったまなざし。 彼が何を望んでいるのかなんて、考えなくてもわかっていたけど、わざと無視してラグへ座った。 おもむろにテレビのリモコンへ手を伸ばす。別に見たい番組があるわけじゃないけれど、啓也を煙に巻くには何か別の話題が必要だ。できれば旅行番組とか、スポーツ中継とか。 彼の興味を引くものが放送されていますように、と祈りながら電源のボタンへ指をかけたところで、手を押さえられる。 あっ、と思った時には、後ろから抱き込まれていた。 「しーおり」 耳にかかる吐息が熱くて、変にゾクゾクする。私が感じていることを悟られたくなくて、首を振った。 「く、くすぐったいよ。離れて」 本当は、くすぐったいのとは違うけど、とにかく少しでも距離を開けたくて適当なことを言う。 啓也はちょっと考える素振りを見せたものの、逆に私を抱く腕の力を強めた。 「無理。今、汐里欠乏症凄いから」 「だから、何よそれ」 「だってもう二週間もえっちしてないんだよ? 汐里が足りなすぎて死にそう」 その二週のうち五日間は『できない日』だったのだから、いつもより十日多く我慢しているだけなのに、啓也は物凄い禁欲生活を強いられているような言い方をする。 まあ……彼にとっては苦行なんだろうけど。 「足りないって、いつも一緒にいるじゃない。それに私のペースに合わせるからって言ってたし」 ぼそぼそと言い訳をする。 啓也は私の首にキスしながら、低く唸った。 「うーん、これが本当に汐里のペースなら、合わせるけどさぁ。えっちしようって言い出すのが恥ずかしくて、ごまかしてるようにしか思えないんだよねー」 ギクッと肩が震える。 「そ、そんなこと、ないし」 「ほんとに?」 わざわざ振り返らなくても、あからさまに疑っているのがわかった。 首筋に当てた唇は離さないまま、啓也が溜息をつく。 肌を撫でる吐息に背中が震えた。 「ほ、本当。だから離して」 なんとかして彼の腕から逃れようと身じろぎをする。けど、ますます強く抱き締められた。 「それはダメ。大体なんでくっつくのも嫌がるの? やらしいことしてるわけでもないのに。本当はしたくなるからじゃないの?」 鋭い指摘に、何も言えなくなる。 黙りこんだまま、そわそわと視線をさまよわせていると、唇を離した啓也がふっと笑った。 「ま、いいや。とりあえず一緒に風呂入ろう。俺からえっちなことしなきゃいいんでしょ?」 「え……えっ!?」 驚いて振り返った瞬間、待ちかまえていたらしい彼にキスされた。拒否しようとした言葉ごと、口をふさがれる。 結局、長いキスでぼーっとした私は、まんまと彼にかかえ上げられた。 本当は逃げてしまいたかったけど、オロオロしているうちに手早く服をはぎ取られ、バスルームへ連れ込まれた。 ざっとシャワーをかけられたあと浴槽に下ろされた私は、彼の身体を直視できなくて、ゆれるお湯へ視線を落とした。 啓也が張ってくれたお湯には、私が気に入っているオーガニックのバスソルトが溶かしてある。ハーブのほのかな香りのおかげで、緊張が少しほぐれた。 まだ洗い場にいる啓也は、出窓のふちから何かを取り上げて浴槽へ入れている。目を向けると、手のひらに乗るくらいの卵型をしたキャンドルが浮かんでいた。 色とりどり、淡いパステルカラーのキャンドルが六個。お湯にゆられて近づいたり、離れたりしている。 「風呂用のフローティングキャンドルなんだってさ。これつけて、電気を消したら綺麗かなって」 私の疑問を先まわりするように、洗い場にしゃがんだ啓也が教えてくれた。 彼の手にはロングタイプのライターが握られている。私はひとつひとつキャンドルに火が灯されていくのを、ぼんやりと見つめた。 全てのキャンドルをつけた啓也が、一度洗面所へ戻って照明を落とす。 暗くなったバスルームに浮かび上がるキャンドルの炎。ゆらめく明かりが何か特別なものみたいに見える。わざとお湯をゆらしてみると、炎を反射しキラキラと光った。 「……ほんとだ。凄く綺麗」 思わずこぼれたつぶやきに、洗面所から戻った啓也がふと笑う。 「良かった」 浴槽には入らず、また洗い場にしゃがみ込んだ啓也を見つめる。キャンドルの明かりに照らされた彼に、ドキッとした。 「啓也は入らないの?」 「ん。後にする」 もともと二人用の浴槽だから、一緒に入ったって狭いことはない。不思議に思ったけれど、できるだけ触れ合いたくない私は、それ以上の追及を止めた。 浴槽のふちに啓也が肘を乗せる。そのまま、覗き込むように近づいた唇が重なって離れた。 「汐里は、何でそんなに恥ずかしがりやさんなの?」 「え?」 「まあ、恥ずかしがってるところも可愛いんだけどさ。もうちょっとこういうことに慣れてくれてもいいのになーって。積極的になれとまでは言わないけど」 また口ごもった私は、浴槽の中で膝をかかえ、縮こまった。 啓也の言う「こういうこと」が何を指すのかはわかってる。でも、生まれ持った感覚はどうにもならない。自分でもやっかいだとは思うけど。 何も答えられない私の頬を、彼の指がそっと撫でた。 「俺は汐里のことを凄く好きだなって思った時に、えっちしたくなるんだよね。もっと近づきたくなるっていうのかな。とにかくぴったりくっついて、全部で汐里のこと感じたい。だから別に恥ずかしいとも思わないし……汐里はそういうことってないの?」 向けられた質問に、きょとんと彼を見返す。今までは、恥ずかしくてドキドキするばかりで、そこまで考えたことがなかった。 「よく、わからない」 正直に答えると、啓也は淡く苦笑いをした。 「まあ強引に色々しちゃう俺も悪いんだけど」 とっさに「そんなことない」とフォローしようとしたけど、なくもないのかなと思い直し、留まった。 隙あらばヘンタイっぽいことを強要されるから、無意識にえっちなことがしたいだけなんじゃないかと疑っていたかもしれない。頻繁に手を出されて、確認したり考えたりする余裕もなかったせいで、すっかり忘れてた。愛情表現のひとつだってことを。 「……啓也のバカ」 つい憎まれ口が出る。ぎょっとした啓也が何かを言う前にキスをした。そのまま舌をすべり込ませると、彼の肩がビクッと震えたのがわかった。 自分から深いキスを仕掛けるのは、やっぱり抵抗がある。でも想いを伝える為にしていると考えれば、いくらか心が軽くなった。 ひとしきり唇を合わせて、彼を見つめた。濡れた瞳が凄く色っぽい。 「汐里、これ以上したら、我慢できなくなる……」 溜息と一緒にこぼれたささやきに、胸の奥がはねた。ドキドキしすぎて苦しいくらい。覚悟を決めた私は、大きく息を吸って吐いた。 「いい、よ。して。啓也が好きだから」 「汐里」 ハッと目を見開いた彼の視線を避けるように、顔をそらす。内側から湧き上がる熱で身体が熱くなった。 → 後編 |