猫かぶり御曹司とニセモノ令嬢 ジュエル・キャンディ 前編 今週に入ってから啓也の様子がおかしい。 妙にそわそわしているし、考えごとをしているらしく、話しかけたのにぼんやりして返事がないことも一度や二度じゃなかった。 大丈夫か訊ねても「なんでもないよ」と返される。薄々、理由がわかっていたから追及する訳にもいかず、今日を迎えた。 ……三月十四日。ホワイトデー。 本命とか義理とか理由は色々あるだろうけど、バレンタインにチョコをくれた人へ、お返しをする日。 日本では、男性から女性へ渡すことが多いせいか、バレンタインほどの盛り上がりもなく過ぎていくイベント……だと思っていた。去年までは。 基本的に記念日好きというか、サプライズ好きな啓也が、何かを計画していることは間違いない。 定時まで仕事をこなし帰宅した私は、うちの窓の明かりが灯っていることに気づいてドキドキした。いつもは私より一時間遅く帰ってくる啓也が、もう家にいるらしい。嬉しさに少し怖さの混じった、おかしな気持ちでドアを開けた。 「ただいまー」 「おかえり」 リビングから声がかかる。普段と変わらない様子にほっとしながら廊下を抜けたところで、見慣れない家具に気づいた。 何もなかったはずの窓際に、二人掛けの小さなテーブルセットが置いてある。真っ白のクロスがかけられた上には、愛らしいアレンジのテーブルフラワーとワインクーラー。雰囲気に合わせたのか、カーテンも白に替えられていた。 「どうしたの、これ」 驚く私の質問には答えずに、啓也は窓際を手で示す。 「いいから座って。今日は俺が夕飯作ったんだ」 「……あ、うん。ありがと」 少しとまどいながら席につく。花のものか、かすかな甘い香りを感じた。 何かホワイトデーに合わせたものを用意をしているんだろうとは思っていたけれど、部屋の内装まで変えるなんて予想外だった。見知らぬ場所へ来たように、くるくるまわりを見渡していると、近づいた啓也に笑われた。 「ごめん。びっくりした?」 「うん。素敵すぎて……」 「それなら良かった」 嬉しそうな彼につられて私も微笑む。見上げた瞼に口付けられた。 次々と料理が運ばれてくる。小さなテーブルはあっという間に皿とグラスでいっぱいになった。 シーフードのシチューにショートパスタ。サラダと白身魚のフリット、冷えた白ワイン。そして……薔薇をかたどったクッキー。 ハッとして見つめる。バレンタインの時「お返しにクッキーを焼いてもいい」と言っていた彼の姿が浮かんだ。 「本当にクッキー焼いたの?」 ソムリエナイフを器用に扱いながら、啓也はニッコリ笑う。 「ただの型抜きクッキーだけどね。ホワイトデーに何をしたらいいか迷ったから、とりあえず全部やってみることにしたんだ」 さらりと告げられたセリフに目を瞠った。 内装に料理にお菓子、どれを上げてもバレンタインデーより凝っている。ここまでしてくれることを嬉しいと思うのに、同じくらい申し訳なくなった。 思わずうつむいてしまう。私の様子に気づいた啓也が首をかしげた。 「汐里?」 「あ、ごめんね。凄く嬉しくて。でも私、バレンタインの時こんなに色々してあげなかったから……」 わずかな沈黙のあと、彼の忍び笑いが届いた。不思議に思って目線を上げると、優しい眼差しに捕らわれる。 「充分すぎるくらい貰ってるよ。それに、今回手作りしようって思ったのも、汐里のおかげだし」 「え?」 意味がわからずにぽかんとする私の目の前で、啓也はグラスにワインを注いだ。 「実は俺、汐里と逢うまで手作りの物貰うの苦手でさ。ちょっと重いっていうか。取り入ろうとする計算が見えるのもだけど、純粋な好意とかでも、返せないから困るし」 「あ……」 付き合い出してからの執着っぷりに驚いて忘れかけていたけど、啓也は少し前まで筋金入りの女性不信だった。過去の本人曰く、見た目や七光りで相当モテていたらしいから、手作りのプレゼントを渡され辟易していたのは想像に難くない。 そっと伸ばされた手が私の頬に触れる。指先でゆっくりと輪郭をなぞった啓也は、まぶしいものを見るように目を細めた。 「汐里が教えてくれたんだ。想いの篭もった物を貰う喜びと、幸せをね」 バレンタインの時は、できないなりに頑張ったとは思う。智絵にも協力してもらったし。でも、そこまで感謝されるようなことはしていない。過大評価というか、オーバーに受け取りすぎだと思った。 気恥ずかしさに赤面すると、私の気持ちが読めるのか、啓也がふと苦笑した。 「まあ、とにかく、汐里が気にすることないよ。俺がしたくてしてるの。わかった?」 「……うん」 私の返事にうなずいた彼は、満足げな表情でグラスを持ち上げた。合わせて私もグラスを手に取る。 「バレンタインの贈り物、ありがとう。嬉しかった」 「ううん、私もありがとう。啓也」 お互いにお礼を言い合って、笑う。 薄いグラスのふちがぶつかり、心地良い音が響いた。 当たり前だけど、啓也が作ってくれた料理はとても美味しかった。もちろんクッキーも完璧。わざわざ午後休を取って用意したと知り、身体と一緒に心も温かくなった。 今日は何もしないでいいと言われるまま、出された食後のコーヒーを口にする。 ずっとニコニコしている啓也は、先にコーヒーを飲み終え、カーテンの陰から何かを取り出した。 たとえるなら、メイクボックスくらいの大きさの箱。ちょっとチープだけど、昔の海賊映画なんかに出てくる宝箱を模しているらしい。 「何?」 見慣れないものを前に首をひねると、啓也は何かを企むみたいにニヤリと笑った。 「何って、お宝の箱だよ。汐里のために俺が探し当てたの」 「ええ?」 冗談を言っているのはわかるけど、目的が読めない。不思議そうな私に気を良くしたらしい彼は、おもむろに留め金を外し蓋を開けた。 見た目よりもすんなりと開いた中には赤いビロードが敷かれ、色とりどりのジュエルキャンディが四つ立てられていた。 「どう? 綺麗でしょ」 「……うん、綺麗」 ダイヤカット型の大きなキャンディは、照明の光を受けてキラキラと輝いてる。でも、なんで急にジュエルキャンディが出てきたんだろう。しかも、こんなに手の込んだやり方で。 ぼんやり見つめる私と、どことなく嬉しそうな彼。 驚いたり、笑ったりした方がいいのか悩んでいるうちに、啓也が頭をカクッとかたむけた。 「あれ、驚かない?」 「驚いたし、懐かしいけど、なんでジュエルキャンディ?」 逆に訊くと、彼はわずかに目を見開く。 「え。汐里これ知ってるの?」 「うん。最近あんまり見ないけど、昔は縁日とかお祭りで売ってたよね」 まだ売っていたことを感慨深く思っていると、啓也は目に見えて蒼ざめ、ガックリと項垂れた。 「そう、なんだ……」 「啓也?」 いきなりどん底まで落ち込んだ彼に驚きオロオロする。多分、私がまずいことを言ったんだろうけど、何が良くなかったのか、さっぱりわからなかった。 原因が読めないから、どうフォローしていいのかもわからずに彼へ手を伸ばす。私の手が肩に触れたことに気づいた啓也は顔を上げ、決まりが悪そうに苦笑いした。 「ごめん、汐里。俺これが、そんなに昔からあるとは知らなかった。ホワイトデーの贈り物にしたら、面白いかと思ったんだけど」 あ…… デザートの手作りクッキーがお返しなんだと思っていたけれど、本当はこっちがメインだったらしい。全然、気づかなかった。 彼に申し訳なくて、思いきり首を振る。 「ううん。私も、ごめん」 「何で汐里が謝るの。知らなかった俺が悪いでしょ……でも、お祭りとは盲点だったなー」 肩をすくめた啓也は、箱から一つキャンディを取り出し、部屋の明かりに透かした。 彼の手に光る透き通ったキャンディ。どうしても欲しいと親にねだった、遠い夏の思い出が蘇る。 「出店の駄菓子屋さんにあってね。それ指にはめて、舐めながら花火見たよ」 気づくと、啓也の優しいまなざしがこちらへ向けられていた。 「ちょっと羨ましいな。俺は出店のあるところまで、行かせてもらえなかったから」 「そうなの?」 「うん。夏祭りの時は、親父の会社の屋上で花火見て終わり。見やすくてよかったけど、思い出としては微妙な感じ」 真夏の熱気のなか、ごちゃごちゃした人ごみを掻き分け、汗だくで場所取りをするのにうんざりしていたけれど、大変だった分、楽しかった思いも強く印象に残っている。 あの雰囲気を彼と共有できないことに、ほんの少し寂しさを感じた。 「……ねえ啓也。今年の夏、一緒にお祭り行こうよ」 身を乗り出した私にきょとんとした啓也は、次の瞬間、ふんわり笑った。 「ああ、いいね」 育った環境も場所も違うから、思い出が重ならないこともあるけれど、足りない分は新たに作っていけばいい。 まだ半年近くも先の約束なのに、楽しみすぎて待ち遠しく思った。 → 後編 |