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 猫かぶり御曹司とニセモノ令嬢  バースデー・ディナー

 休日の夕暮れ時。ダイニングカウンターに肘をついて、ぶすったれていた私の頬を、啓也の指がかすめた。
「どうしたの、そんな顔して」
 苦笑いしながら隣に座る彼を、半眼で睨んだ。
「だって。今日何もできなかったんだよ。せっかく色々考えて、用意してたのに……」
 今日は啓也の誕生日。年に一度のお祝いのために、私は前々から準備をしていた。
 バレンタインの時はクレープを作るだけで手一杯だったから、今回はディナーも気合を入れて、デザートもスポンジケーキから手作りするつもりだった。お菓子作りに不慣れな私は、当然「失敗知らずの超簡単レシピ」とかいうのを選んだけれど、それでも不安で、智絵の家を借りて三度も試作をした。
 それなのに……
 何がいけなかったのかと振り返れば、全部としか答えられない。プロポーズの返事をどう切り出していいのか判らないからと、婚姻届に署名してプレゼントへ忍ばせた事も。起きてすぐにびっくりさせたくて、枕元にプレゼントを置いた事も。〇時ぴったりにお祝いを言おうとした事も。それから……嬉しすぎて理性が飛ぶと、啓也のドSっぷりに磨きがかかるのを知らなかった事も。
 結果的に夜中から朝まで散々さいなまれ、あらぬところを酷使させられた私は、早めに帰宅した彼に起こされるまで泥のように眠った。
 おかげで誕生日の計画は全てダメになり、あちこち筋肉痛で動けない私は、逆に夕飯を作ってもらうハメになった。
 軽く唇を噛んで見下ろした先には、啓也が作ってくれた、うどんと温野菜サラダが湯気を立てている。朝も昼も食べていない私に合わせて、胃に優しいメニューなところが、また憎らしい。
 そっと頭に触れた手のひらが、優しく髪をすいた。
「ごめんね、汐里」
 まっすぐな謝罪に首を振る。
 誕生日なのに、彼をなじり、謝られているなんておかしいとは思うけれど、なぜかすっきりしない。
 まだうつむいている私の額にキスをした啓也は、なだめるようにゆっくりと背中を撫でた。
「とりあえず、夕飯食べよう?」
「……うん」
 いつまでも拗ねていたってしかたがない。うなずいた私は、小さく溜息をついて箸を手に取った。

 最初は少し気まずかったけれど、食べ終わる頃には気持ちもだいぶ落ち着いた。
 もしかすると、お腹がすいてイライラしていたのかもしれない。
 ちょっとだけ申し訳なく思いながら、食器を片づけて戻ってきた啓也を見上げると、嬉しそうな笑顔を返された。
「良かった。やっと普通にこっちを見てくれた」
「え?」
「さっきまでは、ずーっとここにしわが寄ってたからね。癖がついちゃうんじゃないかなってくらい」
 茶化すみたいな言葉に合わせて、眉間を撫でられる。くすぐったくて首をすくめた。
「ん……その、悔しかったっていうか。本当はもっといっぱいお祝いして、楽しんでもらおうと思ってたから。私の勝手な考えなんだけど」
 今さらながら自分の身勝手さを、恥ずかしく思った。秘密の計画がうまくいかなかったと責められた彼は、凄く困ったはず。
 今度は自己嫌悪でうつむきかけた頬を、両手で押さえられた。
「いや。嬉しいよ、ありがとう。予定ダメにして、ごめん。こんなに早く結婚の返事がもらえると思っていなかったから嬉しくて」
「啓也」
 近づいた彼の額が、私のとくっつく。人肌で熱を測る時みたいに。
 間近に啓也の気配を感じた私は、もっと温もりが欲しくて、スツールに座ったまま背中へ腕をまわした。
 わずかに強張る身体。くっと苦笑いした彼は、触れるだけのキスをして私の腕をゆっくり外した。
「だーめ。そうやって煽らないの。今朝の二の舞になるよ?」
「う……」
 それは困る。またベッドへ逆戻りなんて絶対に嫌。
 煽ったわけじゃないという反論は、また今度にして、身を引いた。
 夕飯を食べた時と同じに隣のスツールへ腰掛けた啓也は、カウンターに置いてある卓上カレンダーを引き寄せた。不思議に思って首をかしげると、横目でこちらを見てから、ニッと口の端を上げた。
「一年の中で、汐里が一番大切にしてる記念日っていつ?」
 質問の意図が判らずに、瞳をまたたかせる。
「え。今日、だけど」
 今の私にとって啓也の誕生日こそが、一番大切な日。
 よく判らないまま返した答えに、彼は少し難しい顔をした。
「んー、今日はちょっと無理だな。また一年待つのも嫌だし」
「なにが?」
 首をかしげると、啓也は私へ見せるようにしながら、カレンダーを指先でつついた。
「汐里の気が変わらないうちに、出しに行きたいと思って。昨夜もらったプレゼント」
 あ……
 日付が変わってすぐ渡すはめになってしまった婚姻届の事が、頭に浮かぶ。
 急にドキドキしてきた私は、落ち着きなく視線をさまよわせた。
「えと、気が変わったりはしないから、いつでもいいよ。あ、でも、会社に報告しなきゃいけないから、一ヶ月は待って欲しいかも……ごめんね」
 今まで散々待たせたのに、更に待っててと言うのは気が引けるけれど、こればかりはしかたがない。
 彼は私の謝罪にキュッと目を細め、首を振った。
「かまわないよ。一ヶ月なんてすぐだし、入籍する前に汐里のご両親へきちんと報告もしたいしね。それとも式を先にしたい?」
 突然、現実味を帯びてきた話に、少しぼうっとする。
 全く考えていなかったわけじゃないけれど、まずプロポーズの返事をしなきゃいけないと思っていたせいで、その先の事は私の中でまだ漠然としたままだった。
「あの、ごめん。まだ決めてない。あんまり希望がないっていうか……よく判らなくて」
 男性不信だったせいで結婚願望がなかったから、理想のウェディングスタイルや、こだわりも全然ない。
 困惑したまま答えると、啓也は気を悪くした風でもなく、ニッコリ笑った。
「それじゃ色々調べながら、一緒に決めていこうか。結婚式も、入籍する日も、一番いい形を探そう」
「……うん」
 優しい言葉に微笑む。目が合った瞬間、抱き締められた。
 お互いスツールに座ったままだから、上半身だけを寄せ合う。私の頭に頬を擦りつけた啓也は、深い溜息をついた。
「ああ、まだちょっと信じられない。汐里が俺の奥さんになるとか、夢みたいだ」
 大げさな彼に苦笑いした。
 もう一緒に暮らしている以上、結婚したところで生活に大きな変化はないはず。それでも苗字が同じになったり、戸籍が一緒になったりする事が重要なんだろう。子供ができても問題ないし。
 胸の奥のどこかが、トクンと震える。
 いつか、近い未来、彼の子供を宿せたら……
 私と彼と、子供たち。温かい家庭のイメージが目の前に広がった。
 もちろん想像通りになるかなんて、誰にも判らない。でも啓也と一緒なら、どんな形だって幸せだと思える。きっと。
「私も、啓也が旦那さんになるなんて、夢みたいだよ」
 一瞬きょとんとした彼が、続けて嬉しそうに笑う。合わせて笑いながら、唇を重ねた。
 ……これから一生、ずーっとずーっとよろしくね。
 心の中でそっと呟いて、形になりはじめた結婚のビジョンへ想いを馳せた。

                                             END

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