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 モノトーン・ベア

 前編

 ある日曜の午後、支度をして階段を下りた私は、丁度キッチンから出てきたお母さんと鉢合わせた。
「あら、出かけるの」
「あー……うん」
 まぁ目的はどうあれ出かけることには違いない。
 歯切れの悪い私を、お母さんは頭からつま先までじっくりと眺め、にやりと口を曲げた。
 ……うわー、嫌な感じ。不思議の国のアリスに出てくる、あほっぽい顔した猫そっくり。
 何を考えているのかなんて聞かなくても判るし、聞きたくも無いから、無視して玄関に向かった。
「帰りは送って貰うんでしょ?」
「うん」
 追いかけてきた声に頷く。
 誰に会って送って貰うのか、名前を出さないあたりが、またやらしい。
「遅くなっ……ても良いわよ」
 履き慣れないエナメルスニーカーの紐を結んだところで聞こえてきた冗談に、心の底からげんなりした。
 出かける理由を詳しく説明したところで、照れ隠しか何かだと思って信じないんだろうけど、勝手に下世話な想像を働かせるのは止めて欲しい。
 立ち上がりドアノブに手をかける。
「夕飯前に帰ってくるよ」
 捨て台詞みたいに言い置いた私は、お母さんの返事も聞かずに外へ出た。

「ごめん、遅れた」
 待ち合わせは駅前のデパート入り口横。
 既に着いていたマサオを見上げると、にっと満面の笑みを返された。
「いや、俺が早く来すぎただけだ」
「……眩しい」
 ていうか、むしろ暑苦しい。笑顔が。
「え?」
「何でもない」
 不思議そうなマサオを無視して歩き出した。
 デパートに入ってエスカレーターへ。そしてそのまま8階まで。わざわざ聞かなくても行くところはいつも決まっていた。
 すぐ後ろをついてくるマサオは、ウキウキで私を見てる。
「今日も絵衣(えい)は、可愛いなあ」
 聞こえてきた呟きに、悪い意味で鳥肌が立った。
 何このバカップルデートシチュ。恥ずかしい。声大きいし。
「これはマサオが土下座して頼むから、着てあげてるんですけど?」
 腹立ちまぎれにギリッと睨んでやると、ごまかし笑いをしたマサオが肩を竦めた。
 エレベーターの横のガラスに自分の姿が映りこんでる。
 上着の綿シャツの下から覗くピンクのキャミ。ガーリーな赤チェックのフリルミニスカートと、白のニーソ。全然趣味じゃない格好に、見なければ良かったと後悔した。
 後ろに立つマサオは普通のTシャツにジーンズだけど、とにかく身体が大きくて人目を引く。2段下に立ってるくせに私より高い位置に頭があるし、職業柄、普段から鍛えててムキムキだ。服を着て二足歩行してる毛の薄いクマ。そんな感じ。
 前を向いて、マサオに気付かれないように、こっそり溜息をつく。
 他人から見たら、私たちはどういう風に見えるんだろう。普通のカップルに見えなくも無いけど、妹の買物に付き合ってあげてる良いお兄ちゃんって所が妥当かな……実際は逆だけど。
 上へ上へと乗り換えて行って、7階を過ぎたところでマサオが目を輝かせた。
 8階はフロア全てが、文具、玩具、雑貨コーナーになっている。マサオのお目当ては、エスカレーターを降りた真正面にあるテナントショップ。
 エスカレーターの終点の向こうにショップの入り口が見えた。上から下までパステルカラー。雑貨やお菓子の並んだ店の一番手前には、私の身長とそう変わらない大きさの、とぼけた顔をしたクマのぬいぐるみが置いてあった。

 マサオは身体が大きい。イケてはいないけど顔も凛々しい。でもって名前が真雄。私より8歳年上の幼馴染で、警察官。
 ……でも、おたくだ。しかも、ファンシーおたく。
 ピンクでふわふわしたウサギとか、目の離れたナマズっぽい顔したカエルとか、瞳孔開いちゃってるクマとか、点目のアヒルとかのキャラに目が無い。
 今もほら、私の横で今月新入荷のキャラストラップを、ほっぺた赤くしながらガン見中。
 パッと見は「妹に付き合わされて来店したけど、恥ずかしくて居たたまれない兄」だけど、実際は「ストラップについてる寝そべった二連のクマに大興奮して、何個買うべきか迷ってそわそわしている」んだって私は知っている。
 そんなマサオを冷ややかに見つめた。
 別にどういう趣味を持ってようが構わないけど、鼻息荒くするのだけは止めて欲しい。軽く変態だ。
「それ、買うの?」
 買わないっていう選択肢は無いんだけど、あえて聞いてみる。
 私が隣にいる事を忘れていたらしいマサオは、ハッと顔を上げた。
「……お揃いにしようか?」
「お断りだけど、そういう事にして2個欲しいんでしょ」
「うん」
 あほくさ。
 勝手にしろという意味を込めて、2つ掴み取ると、マサオの持っているカゴへ落とした。

 もともと可愛い好きな要素はあったらしい。ただ、マサオの家は兄弟が男ばっかりだから、女の子向けのものに触れる機会が少なく、本人も気付いていなかった。
 ところが8歳になった時、隣の家に私が産まれた。
 歳の差はあるけど末っ子のマサオは、私を妹みたいに可愛がってくれた。
 マサオの家には無かった女の子用のおもちゃや、キャラグッズ。それらに段々と心惹かれていったマサオは、私の5歳の誕生日にクマのぬいぐるみを買いに行った事で、趣味を自覚してしまった。
 それからのマサオは、完全なファンシーおたくと化した。
 私へのプレゼントを買うついでに、自分用のグッズを買い、女の子向けのキャラ雑誌を集めた。実家に自分の部屋というものが無かったマサオは、代わりに私の部屋をキャラ物でデコり、着せ替え人形のごとく私に可愛い服を着せたりしていた。
 私の方もその頃はまだ幼くて可愛い物が好きだったし、どんどん新しい物を買ってくれるから、ラッキーて位にしか思っていなかった。
 でも、私だって成長する。中学に入った年に、私はキャラ物を卒業する事にした。
 マサオはちょっと行き過ぎっぽいおたくだけど、私に趣味をごり押しするほど図々しくは無い。それまでも私が喜ぶからやっていただけ。だから私や部屋を飾るのも、すぐに止めてくれた。
 といっても、マサオのファンシーへの情熱が冷めるはずも無かった。一本気な性格のマサオは一度好きになると、しつこいのだ。
 私に拒否されたマサオは、代わりに当時住んでいた部屋を飾り始めた。
 マサオがお巡りさんになる前は知らなかったんだけど、警察ってほとんど全寮制なんだって。社会人なのに。しかも個室じゃないらしい。
 結局、マサオは同僚にファンシー好きがばれてドン引きされた。しかも、当時付き合っていた彼女にもばれて振られた。
 その程度の事で別れるとか言う女もどうよって私は思ったんだけど、マサオは自分の好みが相当おかしいんだと思い込んだっぽい。それから趣味をひた隠しするようになった。
 ちょうどよく勤務先が移動になったのに合わせて、強引に官舎を出て一人暮らしを始め、キャラ雑誌は通販で定期購読している。
 雑貨屋めぐりをする時は、あの手この手で私を付き合わせてダシにしていた。しかも「店で浮かないように可愛い格好をする」という約束まで取り付けて。

 今日も「カフェラウンジのケーキバイキング」につられて付き合っている私は、カゴいっぱいにグッズを詰めてほっくほくのマサオを見上げた。
 ……超幸せそう。
 見返り目当ての私でも、マサオのこんな顔を見れば、嬉しくなる。
 前に付き合っていた彼女は、何で別れちゃったんだろう。
 大きくて、がっちりしてて、柔道やってる男くさい感じのマサオに、キュートなこぐまは全然似合ってないけど、好きなものは好きなんだから、それで良いんじゃないのかな。
 見た目に似合うものしか認めないなんて、おかしい。
 まあ可愛い服を強要されるのだけはむかつくから、私が彼女なら、そこだけは断固として拒否するけど。
 そこまで考えた私は、ハッとして俯く。
 彼女だなんて何を想像しちゃってるんだろう。私とマサオは、お互い都合が良いから、こうやって出かけているだけなのに……。
「絵衣、何か欲しい物あるか?」
「ううん」
 上から降ってきた声に首を振った。
「じゃあ、こんなもんで良いか」
 買う物を全て決めたらしいマサオの後ろをついていく。
 大きな背中にすっぽり隠れた私は、下を向いたまま、何にとも無く苦笑いをした。

 いつも通りデパートの最上階にあるカフェラウンジのケーキバイキングは良かった。
 値段はちょっと張るけど、この辺じゃダントツ種類が多いし制限時間も長い。何より味が濃すぎないのが私好みだった。
「うー苦しい。でも美味しかった……」
 なんだか喉のすぐ下までケーキが詰まってる感じがする。胸の苦しさをごまかす為に息を吐くと、運転席のマサオに笑われた。
「食べ過ぎだろ」
「だってさー、新作のオレンジムースが美味しくって。どうしても3つはいきたかったし」
「絵衣のちっさい身体のどこに、そんなに入るのか、いっつも不思議」
「ベツバラ、ベツバラ」
 お約束のセリフを口にしてカラカラ笑う。
 マサオは運転しながらも「別腹なんてねーし」と小声でつっこみを入れた。
 こうやって買物に行った帰りは、必ずマサオが車で送ってくれる。本当は迎えにも来たいらしいけど、お母さんと、マサオの家族にますます誤解を与えそうだから、私が拒否していた。
 車は表通りをそれて高台の住宅街へ。見慣れた通学路。何度と無くマサオに送ってもらった道。
「絵衣、勉強はかどってるか?」
「うわ。それって受験生には禁句じゃない?」
「そうなのか?」
 高校を出てすぐに警察学校へ行ったマサオには判らないらしく、首を捻っている。
「まぁ、ぼちぼちやってるよ」
「うん。頑張れ」
 嫌味なんてこれっぽっちも無い、まっすぐな応援に頷いた。
 角を曲がると視界の端にウチとマサオの家が映る。
 ハンドルを切ったマサオは、かすかに溜息をついた……ような……気のせい?
「……こうやって買物誘うのも我慢すっからさ」
「え?」
 意外な言葉に振り向く。
 マサオは前を向いたまま、淡く苦笑した。
「今からどんどん忙しくなるだろ。予備校だって行くんだし。俺に付き合わせて大学行けなくなったら大変だ」
 確かに夏休みに入ったら予備校の夏期講習に、高校の進学補講も出なきゃいけない。三日間だけど受験合宿もある。
 でも……。
「月一くらいなら、いいよ」
「絵衣」
「ケーキバイキングの新作も気になるし」
「……そっちかよ」
 まさにガックリって感じのマサオの声に、思わず笑ってしまった。
 私を乗せた車がウチまで数メートルのところで停車した。道幅が狭いどん詰まりだから、これ以上進むと出すのが大変になる。
「じゃ、また来月?」
「かな」
「了解。今日はごちそうさまでした」
 足元に置いてたバッグを取り上げて、ぺこんと頭を下げた。ギブアンドテイクでも、お礼は大切だ。
「……」
 いつもだったらすぐにマサオもお礼を言い返してくれるんだけど、なぜか黙り込んでいる。
「マサオ?」
 不思議に思って見上げると、突然バッグを持っていた手を上から掴まれた。
 どくっと強く心臓が跳ねる。
「この間の話、どうしてもダメか?」
 きゅっと喉が貼り付いて、声が出せない。重なった手が凄いドキドキしてる……多分、お互いの。
「歳の事とかあるの判ってるけど、俺、絵衣が……」
「無理だから!」
 マサオの言葉を遮って声を張り上げた。
 ぎくりとマサオが強張ったのが判る。
 動かない喉を無理矢理開いて声を出したせいで、自分でもびっくりするくらい冷たい音が出た。
「そういう風に見てないから」
 マサオが。
「このままの方がいい」
 今は。
 ううん、もしかしたら、ずっと……。
 私の拒絶をマサオがどう受け取ったのかは判らない。でも、ただ静かに「そうか」と呟いた。
 マサオは掴んでいた手を離して、そのまま私の頭を撫でた。
「変な気つかわせた。ごめんな」
 見た目に合わない優しい言葉と仕草に何も言えなくて、ただ首を振る。本当に大事にされているような気がして、凄く泣きたくなった。

   

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