イノセント
おまけ の その後
(で、どうしてすぐこういうことになるのだろう……?)
調子に乗ってキスした事を反省すればいいのか、千章の奔放な性格を諦めればいいのか、ワンルームという部屋の作りを恨めばいいのか。
おそらくはその全てが要因なのだと、池田は内心項垂れた。
愛しの君はベッドに押し倒した池田に馬乗りになって、至極楽しそうに服のボタンを外している。
こんな状況に慣れてしまった自分もおかしいと思いつつ、千章には余韻というものが無いのかと呆れた。
上着代わりに着ていた長袖のシャツを肌蹴られ、インナーに手がかかった所で制止する。両手を上から押さえられた千章は眉をひそめた。
「なに?」
「……シャワーを浴びたいです」
こういう事は普通、女性が気にするものでは無いのだろうか。
最近やっと流れが判ってきたとはいえ、いつも突発的に事に及ばれるので、身体を清めるのは後回しになっていた。不衛生だし、生理的にも、予防医学的にも望ましく無いからと何度か提案したが、一度スイッチの入った千章を止められず今に至っている。
それでも、これまでは刹那的な関係と思っていたので諦めてきたが、きちんと付き合う以上そうはいかない。事前にシャワーを浴びる習慣くらいは持ちたかった。
「えぇー」
案の定、千章は唇を尖らせて渋る。
欲情し濡れている瞳に見つめられ、流されそうになったが、顎に力を込めて踏みとどまった。
「お願い、します」
重ねて言うと、千章の視線が揺れる。池田に跨ったまま少しの間思案した彼女は、ハッとしてからにっこり笑った。
……嫌な予感。
「一緒に入ってくれるなら、いいよ」
「えっ!」
目を剥いた池田は、したり顔の千章を見て、自身の敗北を知った。
いくら風呂とトイレが分かれている作りとはいえ、所詮は単身者用のユニットバスだから狭い。しかし、狭すぎて成人2人は入れないという池田の意見は即却下された。
おたおたしているうちに服を剥ぎ取られ、風呂場に放り込まれる。まるで自分の家にいるかのように堂々とした千章は、さっさと温度を調節して、湯船の方の蛇口を捻った。
「お湯、張るんですか?」
シャワーだけでも良いというニュアンスを込めて言うと、楽しそうな含み笑いが聞こえた。
「せっかくだから、お風呂も入ろうよ」
「……はぁ」
気の無い返事をして、視線を逸らす。もちろん眼鏡を外しているから、千章の身体ははっきりは見えないのだが、輪郭を認識するだけで落ち着かなかった。
そっと手を引かれ、湯船に入るように促される。溜め始めたばかりの湯はまだ足首にも届かないが、そのまま座った。
まだ暖まっていない湯船の内側が背中に触れ、その冷たさに驚く。一度ぶるっと震えると、向かい側に滑り込んだ千章が抱きついた。
唐突に合わされた柔らかく暖かい感触にまた震える。千章はくすくす笑いながら池田の耳の下にキスをした。
「寒い?」
「えっ、いえ……」
背中を駆け上がる快感のせいで、寒さなど吹き飛んだ。
「お湯溜まるまで、こうしてよう?」
千章はそう言って、目の前の鎖骨を舐める。目を瞑った池田は、そこから広がる甘い刺激をやり過ごす為に短く息を吐き、ゆっくり首を振った。
「ダメ、です。身体を洗いたいし……」
「あ、そうね」
このままでは身体も洗わせてくれなそうだと思い進言すると、千章はあっさり肯定して立ち上がった。
急に離れた千章に驚いた池田が顔を上げる。洗い場に置いてあるバスラックに手を伸ばした彼女は、湯船のふちにボディソープのボトルをドンと置いた。
「あの?」
……物凄く嫌な予感。
千章は自分の手にボディソープを落とすと、無言で泡立て始めた。何かコツでもあるのか、みるみるふわふわになった泡を、池田の胸に載せる。
「綺麗にしてあげるから、大人しくしててね」
嬉しそうな声に、頭が真っ白になった。言うが早いか、胸の泡を伸ばし始めた手の感触にうろたえる。
「う、あ……。ちょ、そ、それは困りますっ」
思わず漏れそうになった声を抑え、身を捻って逃れようとすると、伸び上がった千章にキスされた。覆いかぶさるような口付けで、身動きが取れない。
それでも、押し返す為に腕を上げる。が、先んじた千章に手を掴まれ引かれた。導かれた先は、幾度触れても慣れる事の無い彼女の膨らみ。
手の平に伝わる感覚に目を見開く。一瞬で全身が粟立った。
千章はキスしたまま口角を上げ、言葉を紡ぐ。
「私も、綺麗にしてくれる?」
触れた場所から直接脳に響く声。浮かされた心と身体は、純粋に千章を求めた。
キスを続けているせいで見る事は叶わないが、彼女の喜ぶポイントは手指が知っている。池田は手を掴まれた時に着いた石鹸を広げるように胸を撫で上げ、先端に指を這わせた。
口腔内に挿し入れられた千章の舌が、一瞬動きを止め、僅かに震える。彼女が感じてくれていると知り、嬉しくなった。
気を良くした池田が指先に力を込めると、耐えかねた千章は顔を背け、喘ぎとも溜息ともつかない細い声を上げた。
立ち上る湯気の中、ほんのり紅く身体を染めた千章に微笑む。そんな池田に気付いた彼女が、少しだけ顔を強張らせた。プライドなのか負けず嫌いなのか、千章は自分だけが追い詰められるという状況を好まないらしい。
池田がそ知らぬ振りで手を動かし続けると、千章は僅かに震えながら、もう一度深く息を吐いて屈んだ。そのまま池田に寄りかかり、太ももをざらりと撫でる。先程からはっきりと存在を主張しているものに手の甲が触れて、池田は息を呑んだ。
「……っ」
「触って欲しい?」
耳元で囁かれる甘い言葉。池田はきゅっと目を瞑り、喉を鳴らした。
一瞬、躊躇する。せり上がる羞恥心を読んだ千章が、わざとらしく指先をつうっと走らせた。
「あっ……、はい」
「かわいい」
楽しそうな含み笑いと共に、冷たく滑らかなものに包まれた。裸眼の覚束ない視力では、直視したところで見える訳が無い。しかし彼女の綺麗な手が触れているのを想像するだけで興奮した。
的確な千章の攻めは、経験の浅い池田をあっという間に飲み込んでしまう。池田の意思などお構いなしで一点に集まっていく熱に、身を捩った。
「は……先輩……」
思わず千章の肩を強く掴むと、お返しとばかりに耳たぶを甘く噛まれた。
「出ちゃう? ……いいよ、いって。でも、後で同じ事してね?」
千章の優しくて、どこか残酷さを孕んだ声が耳にこだまする。
池田は荒い呼吸をしながら腕を伸ばすと、夢中で彼女の下腹部をまさぐり乱暴に指を突き入れた。
「あ、やだっ」
驚いた千章が手に力を込める。池田は伝わる痛みに呻いた。
「う……」
すでにしっかりと潤っていたそこは、池田の指を難なく飲み込んでしまう。そのまま勢いをつけて抜き差しを繰り返すと、仰け反った千章が大きくわなないた。
「や、ちょっとっ。後でっ、て……言った……ぁっ」
千章の不平は池田の耳には届かなかった。互いに慰め合っているという状況に、理性などどこかへ飛んでしまっていた。
前戯同然の入浴を終えた池田は、何とかベッドまで辿り着くと倒れるように転がった。身体が熱くて酷くだるい。少しのぼせたのかも知れなかった。
対して千章は疲れた様子も見せずに、裸のままキッチンへ歩いていく。経験の違いというより、単純に自身の体力が無さ過ぎるだけだと思い知った池田は、情けなくて落ち込んだ。
「お水、ちょうだいね」
「あ……冷蔵庫に……」
それだけで通じたらしい。勝手に冷蔵庫を開けた千章は、中からミネラルウォーターのボトルを取り出して戻ってきた。
ベッドサイドに座り一口飲むと、残りを池田によこす。
「おいし。みっちゃんも飲んだ方がいいよ。脱水症状になるから」
「……はい」
一瞬、誰のせいだと恨み言が出そうになったが、身を起こして素直に受け取った。冷蔵庫で冷やされた水が喉を落ちていくのは心地良くて、少し落ち着いた。
「みーぃっちゃん」
嬉しそうに擦り寄ってくる千章を受けとめる。自分よりも体温が低いらしい彼女を抱き締めるのは、冷たくて気持ちが良かった。
心の内にじわりじわりと広がる幸せ。
これまでは一緒にいても、何をしても、どこかに醒めた痛みが付き纏っていた。彼女が自分のものではないという事実が怖かったのかも知れない。
「先輩」
「うん?」
「好きです」
まっすぐに淀みなく言い切ると、千章はくすぐったそうに首を竦めて笑った。
「私も好きよ。でも、その『先輩』ていう呼び方止めない? 一応……彼女、なんだし」
ほんの少し恥ずかしそうな千章を見て、池田も頬を染める。彼女と彼氏。交際する事の意味を再認識した池田は、また鼓動が速くなるのを感じた。
「……千章さん」
そっと呼んでみたが、慣れないせいか、やはり面映い。しかしその照れくささと同時に、感動が胸に広がった。
腕の中の千章をゆっくり押し倒し、組み敷く。不思議そうな顔をした彼女がこちらを見上げた。
「みっちゃん?」
完全に受け身だった池田がこんな事をするとは思っていなかったのだろう。千章の瞳に困惑が浮かんだ。
彼女を見下ろしている事に、ぞくぞくした。翻弄される側もそれはそれで良いのだが、する側にまわった時の精神的な充足感に、池田自身驚いた。男というのは根底に攻めの願望があるのかも知れない。
無理強いするつもりは無いが、片手で手首を押さえる。驚いた千章が何かを言う前に、キスで口を塞いだ。
空いている方の手で首筋から鎖骨、胸まで撫で下ろすと、彼女の身体が大きく震えた。
「たまには、こういうのも良いでしょう?」
ちょっとした逆襲。
顔を真っ赤にした千章は、肯定も否定もせずに顔を反らして、悩ましげな溜息をついた。
いつもは千章のリードで池田が先に達してしまう。さっきもそうだった。池田からの刺激で少しは満足しただろうが、避妊具が手元に無かった風呂場で繋がるわけにもいかず、その熱はまだ彼女の中に残っていた。
弱いであろうポイントを、指と舌で辿っていく。荒い息遣いの合間に短く声を上げる千章を見つめると、軽く睨まれた。
「も……なんで、こんな上手いの。ずるい」
「なんですか、それ」
彼女の物言いに苦笑する。
本当のところはどうか知らないが、上手い下手以前に千章の身体に慣れただけだ。何度も肌を合わせているうちに、どうすれば一番彼女が喜ぶのか、おのずと学習していた。
今までこちらから積極的に事に及ばなかったせいで、千章も気付いていなかったらしい。
逃げるように揺れる腰を掴んで、足の付け根に手を這わせる。きゅっと身を固くした千章は、目を瞑ったまま首を振った。
「や、ダメ。いっちゃう……!」
首筋まで赤く染めて、瞳に涙を浮かべた姿に息を飲む。どうしようかと逡巡していると、池田の手から逃れた腕が首に回された。
「ひとりは、嫌。みっちゃんのがいいの……もう、きて」
吐息混じりの掠れ声が耳に響いて、くらくらする。池田は千章の腕をそっと外して身体をずらし、近くのデスクチェアに掛けてあった通学用のバッグに手を伸ばした。
千章とあんな事になってしまった後、自衛の為に買った避妊具をバッグに入れていた。
目的の物を探し当てた池田は、手早く準備して戻ると千章を抱き締める。快楽に呑まれて朦朧としている彼女を、不覚にも可愛いと思ってしまった。
示し合わせたように絡められる足を開く。期待に震えた千章を押さえつけて、ゆっくり押し入った。いつもと逆の立場に、僅かな緊張といつも以上の快感を覚え、唇を噛む。
「千章、さんっ」
本当はじっくり触れ合いたかったのだが、堪えきれない。自分の望むままに得られる悦楽は、池田の自制心をあっさり飲み込んだ。
本能に従って動き、荒い呼吸を繰り返す。受け止めている千章も喘ぎながら、か細い嬌声を上げた。
「あ、あぁっ……も、ダメ、いく……みっちゃんっ!」
伸ばされた腕に応え、きつく抱き締めて唇を合わせた。それが引き金になったのか、千章の中が一度大きく収縮し痙攣する。 快感の極みに誘う反応に、池田も声を殺し自身を解き放った。
「ねーるーなー……」
すぐ横から伸びてきた指に、軽く頬をつねられる。うとうとしていた池田は顔をしかめて瞼を上げた。
目の前には憮然とした表情の千章。
「もう、無理です」
そんな顔をされても困る。
もともと運動不足で体力が足りない上、風呂であんな事になったせいでのぼせ、酷く疲れた。その後で頑張ったのだから、池田としては褒めて欲しいくらいだ。
襲い掛かる猛烈な眠気に身を委ねようとすると、今度は鼻をつままれる。
「みっちゃん、体力無さ過ぎ」
逆に千章の体力と精力が有り過ぎるのでは無いかと思ったが、手酷いしっぺい返しを貰いそうなので言わないで置いた。
「それは、否定しませんが……このところ余り寝ていないので、眠くて……」
千章の事を諦めようと悩んでいた3日間、池田は不眠に近い状態だった。それどころか食欲も無かったので、ほとんど食事もしていない。
池田の告白に、千章は眉を上げた。
「それって、私のせい?」
「いいえ。僕自身の問題です」
寝転がったまま苦笑して、緩く首を振る。遠因は千章にもあるが、向き合う事を怖れて逃げたのは池田だ。
はっきりと否定したのに、千章は眉間に皺を寄せて泣きそうな顔をした。伸びてきた腕が頭を抱え、そのままぎゅっと抱き締められる。顔に当たる胸の感触に、池田はうろたえた。
替えの服を持っていない千章は、池田の貸したシャツを羽織っただけの格好で、下着をつけていない。寝返りを打つのさえ億劫なほど疲れているのに、反応しそうになる自分が信じられなかった。
そんな池田には気付いていないらしい千章が、優しく頭を撫でる。慈しむような仕草が心地良い。
「眠っていいよ。で、起きたらちゃんとご飯を食べる事」
「……はい」
嗜める口調に肩を竦めた。どうやら、まともな食事を摂ってない事も見抜かれたらしい。
ゆっくりと眠気が戻ってくる。千章と抱き合って眠れる喜びを噛み締めていた池田は、遠くの方に千章の呟きを聞いた。
「とりあえずジョギングから始めて、体力つけて貰わないと……」
(ジョギング?)
「あと、精力のつく食事。これは欠かせないから、後でレシピを考えるとして……」
(精力? レシピ?)
「やっぱり『ここぞっ!』てところでは、せめて3回くらいは頑張って欲しいし……」
(……)
眠りに落ち込む瞬間、池田は千章との関係をはっきりと後悔した。大変な事になったと思いながら、意識が沈んでいく。
だがそれでも、千章の事が好きで、別れはしないのだろう。包み包まれる温もりがあれば、後はどうでもいいような気がしてくる。
すっかり寝入ってしまった池田は、無意識に千章を抱く手に力を込めた。
(……本当に、恋は恐ろしい)
初恋に気付いたばかりの池田が、その想いと彼女に本当の意味で翻弄されるのは、まだ先の話……。
おしまい
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