対の半身
4
完全に夜が明けきる前の、藍色の空を見上げた。まだ所々に星が煌いている。
昨夜のひどい雷雨はいつの間にか去って、今はただ綺麗な空を映し出していた。
「何を見てる?」
後ろから掛けられた声に由奈は振り向いた。
「空。晴れていて綺麗なの」
「雨が埃を洗い流したから、綺麗に見えるんだろ」
「そうね」
いつもの由奈の部屋。ベッドサイドの明かりが、寝そべる啓を映し出していた。
由奈はカーテンを閉めなおすと、啓の脇に腰掛けた。自然に伸ばされる腕に微笑む。
「停電、いつ直ったのかしら?」
「さぁな。お前が気失ってる時には直ってたけど」
何気ない啓の言葉に赤面する。
こうなった事を後悔はしていない。それでもやはり、啓の傍らにいたはずの彼女を思い出さずにはいられなかった。
由奈はもう一度、窓のほうを見つめ、そっと溜め息をついた。
「ねえ、私達これから……」
「離さない」
「……」
いきなり即答されたので、きょとんとして啓を見る。
「由奈がどう思ってるか知らないが、俺はずっとお前のことが好きだった。衝動的にこんなことになったのは認める。でもこれで終わりにする気は無い」
「そんな……だって、遥香との事はどうするの」
啓が自分を好きだと言ってくれたのは、涙が出るほど嬉しかった。でも、それだけでは納得できない。
問いかける由奈に、啓はベッドから起き上がると、少しだけ哀しい光を湛えた表情を見せた。
「遥香とは別れた。半年前の事だ」
予想外の言葉に由奈は目を見開く。ずっと円満なのだと信じていた二人がいつの間にか離れていた事など、想像もしていなかった。
「……どうして」
じっと由奈を見つめた啓は、ややあってから短く息を吐いた。
「最初から話すよ」
「……」
無言で頷く。
辛そうな啓の様子から、良い話じゃない事は判る。それでも由奈は啓に起きた事を知っておきたかった。
啓は思い出すように静かに目を閉じて、ゆっくりと開いた。
「高校3年の冬、由奈が遥香の悩みを聞いてやれって言っただろう。そこで俺は、遥香が自分と同じ悩みを抱えてるって事に気付いたんだ」
「同じ悩み?」
「そう。俺は妹のお前を好きだった。詳しくは言えないが、遥香も好きになってはいけない奴を愛し苦しんでいた」
「遥香が……」
大人しくて、少し人見知りで、女の由奈から見ても羨ましい程の美人だった遥香が、そんな想いに囚われていたなんて信じられない。
そして飄々としていた当時の啓が、無表情の下で自分への気持ちを隠していた事もまた、驚きだった。
「あの時、俺も遥香も限界だった。自分がお前に何するか判らないから離れようとしたのに、離れる間際に我慢できなくなった」
啓の告白に、由奈はごくりと唾を飲んだ。
そこまで激しい劣情を啓が抱いていたなんて……。
そっと手を重ねると、啓の瞳を覗き込んだ。そこに迷いの無い光が見えた気がして、由奈は避けていた疑問をぶつける。
「どうして、隠してたの? 私と血の繋がりが無い事は、知っていたんでしょう?」
啓は一瞬、驚いたものの、すぐに自嘲めいた笑みを浮かべた。
「……怖かったんだ。由奈に拒否される事も。また家族を失うかも知れないって事も」
「啓……」
思わず手を伸ばして抱き締めた。
母を失った傷は、由奈が思うよりもずっと深く啓の中に残っている。
抱き合ったままの状態で、啓がまた静かに微笑んだ。
「大丈夫、今は由奈がいてくれる」
「うん」
少しだけ離れて、啓を見上げる。啓も由奈を見つめていた。
「想いを溜め込んで、行き場を無くした俺と遥香は、互いを身代わりにした」
「身代わり」
それではまるで……。
そう遠くない自分の過去を振り返り、由奈は身を硬くした。
「軽蔑しても構わない。俺と遥香は傷つき失う事を恐れて、長い間、逃げ続けていたんだ」
無言で、ただ首を振る。
軽蔑なんてできるわけない。自分だって同じ事をしていたのだから。
「でも……それなら、どうして別れたの?」
「遥香が言ったんだ『もう自分たちは子供じゃない、傷ついても大丈夫だ』って」
「じゃあ遥香は……」
「俺と別れて、アメリカへ行った。想い人を追いかけてな」
由奈は俯くと静かに瞳を閉じた。
二人の間にそんな事があったなんて、全く知らなかった。
きっと啓は、当時の由奈がまだまだ子供で、恋や愛なんて何も判っていない事を見抜いていたのだろう。だからこそ想いを明かさずに隠し続けたに違いない。
一緒に高校に通っていた、あの頃。何も知らず、ただ無邪気に笑っていた自分が腹立たしかった。
「……私が、もっと早く啓への気持ちに気付いていたら」
「由奈の問題じゃない。それに、自分のした事への言い訳じゃないが、この6年は必要だったんだと俺は思ってる。もしあの時、俺が告白して由奈が受けてくれたとしても、多分うまくいかなかった。それくらい俺たちは幼かったんだ」
力強く言い切る啓を、由奈は眩しい思いで見つめた。
6年前の、まだあどけなさを残していた啓ではない。しなやかな強さを秘めた大人の男がそこにいた。
「私達、これからは一緒にいられるの?」
「しばらくは離れて暮らさなければならないが、いつかきちんと父さんたちに話して、認めてもらうつもりだ」
「もし……反対されたら?」
愚問だ、と思った。それでも聞かずにはいられない。
啓は熱っぽい視線を由奈に向けると、強く抱き締めた。
「もう離れる事なんて、できない。どんなに反対されたとしても、由奈を手放す事だけは無理だ」
啓の腕に包み込まれた由奈は、その言葉を全身で感じた。嬉しさで涙が滲む。
「うん……」
「由奈、愛してる」
互いを慈しむように、優しく重なる唇。そっと閉じた由奈の瞳からは、雫が一つ落ちた。
遠い回り道をして、やっと出逢えた半身。
―――私も、あなたを愛してる。
由奈は触れる唇に伝わるように、そっと呟いた。
カーテンの隙間から差し込む朝焼けが、重なる二人を赤く染め上げていた。
End
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