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 純情異星交際のススメ

後編

 ユリは医務室からの指示で一週間ほど仕事を休んだ。
 まだ正直、彼女のことを想うと胸は痛むし、顔を見るのもつらい。だが、転勤を受けると本社に返事をしたおかげで、少しだけ前向きになれていた。
 終業間際の管制室は落ち着いている。終業といっても、このあと夜間の運行を管理している部署に引き継ぐだけで輸送船は常に航行しているのだが、それでも責任から解放されるのはほっとするものだ。俺はディスプレイの端に表示されている時計を確認し、今日も無事に仕事が終わりそうだと、密かに胸を撫で下ろした。
 と、他所の部署へ使いに出ていたスタッフが慌てて飛び込んでくる。入社して数年のまだ若いその女性スタッフは少々そそっかしいところがあり、いつも何かミスをしてはこうして駆け戻ってきていた。
 今度は何をしでかしたのかと短く溜息をつく。声をかけるより先に俺のデスクまで走ってきた彼女は、胸の前で手を合わせ興奮に潤んだ瞳を俺に向けた。
「室長、凄いですっ」
「は?」
「今、休憩室の前を通ったら、転勤の辞令が出ててっ。室長、再来月から本社の総合運航管理の課長になるんですかっ!?」
 走ってきたせいか、ぜいぜいと肩で息をしながら、彼女は興奮している理由を早口で語る。派手な登場と大声で管制室全体に伝わったらしく、フロア内がざわつき始めた。
 いつもなら私語を慎むように注意するのだが、室長の変更はスタッフたちにも直接関係があるし、そろそろ終業時間だから今日だけはいいことにする。みんなの視線にさらされ、わずかな居心地の悪さを感じつつ、俺はゆっくりとうなずいた。
「ああ、そのようだ。後任の室長は俺もまだ聞いていない。突然のことで、みんなにも迷惑をかけるが、よろしく頼む」
 わっと歓声が上がる。誰かが始めた拍手が二重三重と増えていく。まるで自分のことのように喜んでくれるスタッフたちに、柄にもなく胸の奥が熱くなった。
 止まない拍手のなか、一人の女性がスッと立ち上がった。見慣れた後姿。振り向いた顔色は相変わらず良くないが、貧血で倒れた時とは違い、しっかりした足取りでユリはこちらに向かってくる。その表情は強張り、今まで見たどの顔よりも冷たかった。
 ……ユリ?
 何故そんな表情をするのかわからずに、ただユリを見つめる。エウプ人には大気の流れを見ることができないはずなのに、ユリの肩のあたりから怒りのオーラが立ち昇っているような気がした。
 ユリの迫力に圧されて、新人スタッフが道をあける。
 つられて立ち上がった俺が何ごとかを訊くよりも早く、顔に鈍い音と衝撃を受け、首がゆさぶられた。気づいた時には頬の皮膚がびりびり痺れ、ぼんやりと熱を持っていた。
 ぶん殴られた……んだと思う。多分、グーで、思いっきり。
 一瞬で静まり返る管制室。空気が凍る瞬間を初めて目の当たりにした。
 力の強さと身体の頑丈さが特徴のエウプ人は、女に頬を殴られたところでどうということもない。むしろ殴ったユリの手の方が心配だ。俺は軽く首を振って目の焦点を合わせると、彼女を見下ろした。
 肩を張って、わなわなと震えているユリは、表情こそ怒りに歪めているが、その両目からは途切れることなく涙が流れ落ちている。
 一体何があったのか。状況が読めない俺は首をかしげ、ユリの顔を覗き込んだ。
「ユリ?」
「……なんで……なんで勝手に転勤とか決めてるんですかっ。まず私に言うべきでしょう? それとも、私を捨てていく気なんですかっ!?」
「えっ、な」
 なんの話だ、と言いかけた俺の声は、スタッフ全員の驚愕の叫びによって掻き消されてしまう。付き合いを秘密にしていたわけじゃないが、管制室の誰にも知られていなかったらしい。
 とりあえず落ち着けと怒鳴ってみたものの、突然のスキャンダルに沸くスタッフたちは聞く耳を持たない。手元の時計で終業時間が過ぎていることを確認した俺は、泣き続けるユリをかかえ、職場を飛び出した。

 とっさにあの場から逃げ出したが、基地局の中では、二人きりで落ち着いて話ができるところなど限られている。結局、適当な場所が思いつかず、俺の部屋へ連れてきてしまった。
 そっとソファに下ろしても、ユリは身体を丸めたまま、さめざめと泣くばかり。震える細い肩を見た俺は、たまらなくなって彼女を抱き寄せた。
 朝、出がけにポケットへ突っ込んだまま忘れていたハンカチで、涙を拭ってやる。少し落ち着いたのか、ユリはすんすんと何度か鼻を鳴らしたあと腫れぼったい瞼をそうっと開けた。
「室長は……私のこと、もう必要なくなっちゃったんですか?」
「え?」
「転勤のことを黙ってたのは、そういうことじゃないんですか? 私を置いて、一人で行こうと……」
 ぐっと言葉に詰まったユリの瞳に、新たな涙が浮かぶ。事実、一人で行こうとしていた俺は密かにうろたえた。
「それは、そうだが……ユリは、その……イティコルのところの新人と、一緒になりたいんじゃないのか?」
 本当は「そいつの子供を身ごもっているんだろう」と言いたかったが、泣いている彼女をさらに追い詰める真似はできない。遠まわしに全て知っていることを告げると、ユリは表情を消し、ぽかんと口を開けた。
「イティコル部長のところのって、倉庫管理部のタカセさんですか? なんで私と彼が一緒に?」
「いや、名前までは知らないが……そいつとお前が噂になっていると聞いた」
「噂?」
 心外だと言わんばかりに、ユリは眉を寄せる。
「二人きりで会っているのを見たという奴がいて、多分、付き合い始めたんだろうって話になっている」
「違いますっ。タカセさんには赤ちゃんのことを聞きにいっていただけで……!」
 ハッとした彼女は両手で慌てて自分の口を塞ぐ。
 タカセとユリは二人きりで会っていた。しかし付き合ってはいないらしい。彼女が知りたかった「赤ちゃんのこと」とは?
 繋がらない話に混乱してくる。落ち着かない心を鎮めるために一度大きく息を吐き、まっすぐユリを見つめた。
「ユリ、頼むから本当のことを教えてくれ。どんな事情があっても、お前を責めたりしない。約束する。だから……」
 言葉を重ねると、彼女はおそるおそるといった様子で、目線を俺に合わせた。
「お前のお腹には今、赤ん坊がいるんだろう? 先週、医務室で聞いたんだ」
 ユリが静かにうなずく。
「その子の父親が、タカセなんじゃないのか?」
 あからさまにぎょっとした彼女が、瞳を限界まで見開く。が、次の瞬間、パッと目のふちを赤く染め、今まで見た中でも最高に凶悪な表情を浮かべた。
 ユリの地元を知りたいと、ネットで地球のことを検索した時に見かけた「ハンニャ」とかいうかぶり物が、脳裏に閃いた。
「室長、最っ低!!」
 何故かいきなり怒り出したユリは、俺の髭と耳を掴み、爪を立て、力の限りに引っ張る。エウプ人の弱点を容赦なく攻撃され、俺は痛みに呻いた。
「よ、よせ、ユリ! 耳はっ……痛っ、やめ……!」
「謝ってくださいっ! 私が浮気したなんて疑ったこと、ちゃんと、ごめんなさいしてください!!」
「わか、わかったから、離してくれっ」
 恥ずかしくなるほど情けない声を上げると、ユリはしぶしぶ手を離してくれた。間違いなく髭は何本か持っていかれたし、もしかすると耳の付け根は少し裂けているかもしれない。痛みを散らすために耳を手で撫でつけ、彼女を見れば、怒りがおさまらないらしく派手に頬を膨らませていた。
「……疑って、悪かった。ご、ごめんなさい」
 ユリの座るソファの前に土下座をして、疑ったことを謝る。しばらくそのまま頭を下げていたが、返事がないことに焦れて顔を上げると、彼女は少しだけ悲しそうに目を伏せ、お腹を撫でていた。
「私、浮気はしていません。この子の父親はケイン室長です」
「え……」
 一瞬、何を言われたのかわからずに、呆然とユリを見上げる。彼女はさっきのハンニャからは想像がつかないほど穏やかに目を細めた。
「地球種とエウプ種の間に子供ができることはかなり珍しいそうですけど、可能性がゼロではないんです。ごくごく稀にできることもあって、実際に生まれている子もいるんですよ。といっても、銀河全域で数百人程度なので凄く少ないんですけど」
 ユリが言っていることはわかる。宝くじに当たるような確率で俺の子を妊娠したということだ。頭ではきちんと理解しているのに、驚きすぎて感情がついてこない。たとえば「嬉しい」とか「ありがとう」とか、言葉をかけた方がいいとわかっていても、何も出てこなかった。
 自分でもよくわからない引力のようなものに導かれ、ユリの腹に手を伸ばす。そこはまだ平たいままで胎動も何もないのに、触れた瞬間、俺の全身の毛が、ぶわっと膨らんだ。
「俺、の?」
「はい。室長と私の赤ちゃんです」
 鼻の奥がつんと痺れて、思わず泣きそうになってしまう。そんな柄じゃないと、まばたきをくり返してやりすごした。
「しかし、なんでわかった時に言ってくれなかったんだ。あ、いや、責めているわけじゃないんだが」
 ただの疑問だと慌てて訂正する。ユリは腹に触れている俺の手に、自分の手を重ね、また少し悲しげに微笑んだ。
「ぬか喜びをさせたくなかったんです。地球種とエウプ種に限らず、異種間のハーフは色々な障害が出やすいらしくて。無事に産まれない可能性も、普通の妊娠に比べて高いそうです。考えたくないけど、もしダメになったら、室長をまた悩ませてしまうでしょう。自分のせいだって。だから、安定期に入るまでは黙っていようと思ったんです」
「ユリ……」
 彼女の深い思いやりが、じわじわと心に沁みる。
「タカセさんとは彼が入社してきた時に話をして、偶然、地球種とエウプ種でご結婚された親戚がいるって聞いたんです。私たちとは逆で奥様がエウプ人だそうですけど、お子さんがいらっしゃるから、色々教えてもらおうと」
「それで会いに行っていたのか」
 先まわりした俺の言葉に、ユリがうなずく。
「最初はその親戚の方に紹介してもらって、それからは妊娠されてた時の映像とかデータを、タカセさん経由で譲っていただいていたんです」
「じゃあ、ぼんやりしていてつらそうだったのと、俺の部屋に来なくなったのは……」
「貧血と、少しだけ悪阻もありましたし……」
 一旦そこで言葉を切ったユリは、ほんのり顔を赤らめ、少し拗ねたように目をそらした。
「あとは室長、えっちが激しすぎるんですもん。部屋に来たらそういうことになっちゃうし、妊婦に激しいのはダメなんですよ?」
「え……あ。ええと、すまない」
 正直、謝罪するところなのかわからなかったが、とりあえず謝っておく。
 ソファに座るユリのもとへ膝立ちでにじり寄り、腰に腕をまわすようにして抱き締める。そのまま彼女の膝の上に頭を乗せ、溜息をついた。
 本当のことを知れば、俺はなんとも情けなく、ユリには申し訳ない。勘違いと思い込みで彼女を失いかけていたことが、急に怖ろしくなった。
「室長?」
 俺を気遣うユリの声が上から降ってくる。なんでもないと、静かに首を振ってみせた。
「勝手に疑って、悲しませて、本当にすまなかった」
「いいえ。私も室長に隠しごとをしていましたから、それはもういいです。でも今回だけですよ? また疑ったり、勝手に離れようとしたら許しませんからね」
 口では怖いことを言いながら、俺の鬣を梳く手は優しく温かい。しばらく身を任せたあと、顔を上げ、彼女を見つめた。
「ユリ。俺と結婚して、転勤についてきてほしい。移動までに産休に入れるよう俺が上にかけ合うし、復職する時は本社の近くに配属してもらう。だから、頼む。一緒にきてくれ」
 身勝手なことを言っているのは理解している。社会人として褒められたことじゃないのも。だが俺はもうユリと離れていたくない。彼女が傍にいないつらさは、今回のことで身に沁みていた。
 見開かれたユリの瞳にみるみる涙が盛り上がり、ぽろりと落ちる。目尻にキスして雫を舐め取ると、彼女は頬を真っ赤に染め、恥ずかしそうに身じろぎをした。
「な、なんで急にそういうこと言うんですかぁっ。こ、心の準備とか、全然できてないのに……」
「ああ……そうだった。悪い。花とか、指輪とか、何も用意していない」
 それどころか、ご両親への挨拶などもすっ飛ばしている。思いつきで簡単に言ったわけじゃなく、あふれる想いに従っただけなのだが、いい加減な奴だと思われてしまったかもしれない。どうフォローしたものか焦っていると、ユリに小さく笑われてしまった。
「もう。そういうことじゃないですよ。嬉しすぎて、ビックリしたんです」
 ぽかんとしている俺に、彼女が笑顔をくれる。嬉しくて幸せで、胸が苦しい。次に気づいた時には、立ち上がり彼女を腕の中に閉じ込めていた。
「キスはしてもいいか?」
 自分でも間抜けな質問だと思うが、身重のユリをどう扱っていいのかわからない。俺の考えを読んだらしい彼女は、一層明るく笑った。
「キスなら、どれだけ激しくてもいいですよ」
 楽しそうに、ふふっと声を漏らす口をキスで塞ぐ。すれ違っていた寂しさを補うように何度も何度も唇を合わせた。
 次第にぼうっとしてくる頭の片隅で、さっきのプロポーズの返事をもらっていないことに気づいたが、それはまた花と指輪を用意して、ご両親に挨拶をしたあとに聞けばいいと思い直した。

                                             END

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