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 純情異星交際のススメ

前編

 最近、ユリの様子がおかしい……
 昼休みのカフェ。こっそりと互いの休憩時間がかぶるようにシフトを組んだ俺は、彼女の向かいの席に座って昼飯を食うことにした。
 ユリと付き合っていることを別段隠してはいないが、これまで仕事とプライベートの線引きははっきりさせていた。だから、こんな風に休憩を一緒に過ごすことは珍しい。
 彼女が俺の部下になって三年、恋人として隣にいるようになってから一年と少し。全くの偶然で休憩が重なった時など、ユリはこちらが不安になるほどはしゃいでいたのに、今は心ここにあらずという感じで、ただぼんやりしているだけ。目の前に置かれたオープンサンドに手をつけることもなく、どこか遠くを見ていた。
「ユリ、食わないのか?」
「えっ。あ、た、食べます。ちょっと、ぼーっとしてて……」
 俺の声にハッとした彼女は、何か後ろめたいことでもあるように慌てて笑みを浮かべ、具だくさんのサンドイッチを手に取る。ゆっくりゆっくり咀嚼しながら、三口食べたところで皿へ戻した。
 続いてこぼれる溜息。このところユリは溜息ばかりついている。多分、自分でも気づいていないのだろう。
 元来、前向きで明るすぎるくらいの彼女を、ここまで悩ませている理由がわからない。何かあったのかと尋ねても、何もないと返される。俺にも言えないことなのかと一度問い詰めてみたが、泣かれそうになってしまい、それ以上追及できなかった。
 俺にも言えないユリの悩みごと……あるいは「俺にだけは言えない悩み」なのかもしれない。
 嫌な想像が頭の中に渦巻いている。
 ユリの過剰な愛情に圧倒され、忘れかけていた事実。俺たちが異種であること、そして、子供がまず望めないこと。
 彼女は俺よりもだいぶ若いが、地球種の女性の結婚適齢期で考えれば既に遅い方に入るらしい。付き合って一年が経つうちに我に返り、異種である俺じゃない、他の誰かへ目移りしたとしてもおかしくなかった。たとえば少し前に中途採用で入ってきた地球種の男とか……
 ふとユリが顔を上げ、カフェの入り口へ目を向ける。視線を追った先には、先日、倉庫管理部へ配属された地球人の青年が立っていた。

 休日前の夜、イティコルに呼び出されいつものバーへ向かうと、先に来て呑んでいたらしいヤツは、赤い顔をしてぶすったれていた。
「お前、なんで来るんだよ?」
 早くも酔っ払っているのか、イティコルは意味のわからないことを言う。
「なんでって、呼び出したのはそっちだろうに」
 首をひねると、ヤツはイライラした様子でわざとらしく眉を寄せた。
「バカ、そうじゃねえよ。休みの前の日だっつーのに、どうして彼女と一緒じゃないんだって話だろうが」
「ああ……」
 そのことか、と内心で溜息をつく。
 何かに思い悩むようになってからというもの、ユリは俺の部屋にあまり来なくなっていた。明日の勤務に差し支える、他の同僚と約束している、日をずらせない用事がある等々、その都度、理由は違っていたが、ほとんどが嘘だと気づいていた。
 ふと自嘲する。結局のところ俺は怖いのだ。彼女が嘘をついてまで俺を避ける理由を知ることが。まったく情けない。
 苦い笑みを浮かべた俺に、イティコルもまたつらそうに目を伏せた。
「お前だって聞いてるんだろう。ウチの部の若造とユリちゃんが噂になってるのを。んな余裕ぶっこいてる場合か?」
 絡むイティコルを受け流し、いつもの酒を注文する。隣の席から送られる非難がましい視線に、肩をすくめてみせた。
「余裕なんてないさ」
「じゃあなんで引き留めないんだ。色恋は当人にしかわからんことがあるのは俺も承知している。でも、おかしいだろう。あんなにお前に惚れてたユリちゃんが、どうして他の男と一緒にいるんだよ。お前、仕事にかまけて彼女を放ったらかしたりしてないだろうな?」
 ヤツの口から飛び出した言葉に驚き、まじまじと顔を見つめる。
 俺もまわりから相当なワーカーホリックだと言われてきたが、同じくらい仕事熱心なイティコルは、この基地局への転勤を命じられた時に離婚をしていた。仕事一辺倒なイティコルにはついていけないと、嫁に三行半を突きつけられたのだ。
 俺の視線に気づいたらしいヤツは、居心地悪そうに目をそらし「失敗してるから言えることもあんだよ」と言い訳のようにつけ足した。
 バーテンから酒を受け取り、一口含む。少しの間、目を閉じて、この一年を振り返った。
 俺はどうも女心というものに疎いらしい。まだ学生だった頃、同じエウプ人の女と何度か付き合ったこともあったが、必ずといっていいほど「気が利かない」となじられた。
 だからこそできるだけユリの希望どおりの付き合いを続けてきたつもりだ。それでも恋愛への意識が強い彼女には不満だったのかもしれない。
 知らず溜息がこぼれた。
 考えれば考えるほど、気持ちが落ち込んでいく。状況がどんどん悪化していることには気づいていたが、玉砕覚悟で決着をつける勇気が俺にはなかった。
 ぽんと肩に何かが触れる。目を開けるとイティコルが慰めるように俺の肩を叩いていた。
「何があったのかは知らねえが、一度きちんと話し合った方がいいと思うぜ。あのユリちゃんが簡単に心変わりするとも思えねえし」
 大恋愛の末に結婚したという嫁に逃げられているイティコルがそう言っても、いまいち信じられないが、俺たちのことを心配してくれるのはありがたいと思う。
「ああ、そうだな」
 俺がうなずくと、ヤツはわざとらしいほど明るく笑った。
「よしっ。今日は呑み明かそうぜ。寂しいもん同士でよ!」
 ひどく酔っ払うとくだを巻くイティコルに付き合うのは面倒なこともあるが、今日ばかりは振りまわされた方がいい。ヤツの愚痴を聞いている間は、ユリのことを考えずに済むだろう。
 普段から無口で感情を見せることのないバーテンが、ちらりと俺を見る。その目に気遣わしげな光を見た俺は、苦笑いを浮かべてみせた。

 朝、始業前のメールチェックをしていた俺は、デスクに肘をついて息を吐いた。
 ディスプレイには本社人事部部長から届いた、転勤の打診のメールが表示されている。どうやら内々に俺を本社の総合運航管理部に移動させる話が出ているらしい。
 本社勤務になれば今の室長という役職からは外されてしまうが、その後の出世は約束されたも同然だ。栄転と言っても過言じゃない。事実、人事部長からのメールは転勤を祝福する言葉ばかりで、俺が拒否するなんて微塵も思っていないようだった。
 ユリと付き合う前の俺だったら、一も二もなく承諾しただろう。出世に興味がなくても頑張りを評価してもらえるのは素直に嬉しいものだ。だが今は逆に、行きたくないと思ってしまっていた。転勤を受け入れここから離れれば、ユリとの関係は確実に終わる。現状のまま、遠距離でやっていけるとはとても思えない。
 頭からメールを読みなおして、また溜息をついた。
 ……あと少し……二ヶ月でも早く転勤の話が来ていたなら、ユリにプロポーズをしてついてきてほしいと言えたのに……
 普段ならおよそ思いつかない、女々しい考えが頭をもたげる。どうやら俺は想像以上に参っているらしい。
 そうしてしばらくディスプレイを睨んでいたものの、結局どう返事をするか決めかね、保留のままでメールフォルダを閉じた。
 程なく、始業三十分前にセットしてあるアラームが鳴った。
 うちの会社で採用している貨物輸送船は完全自動航行の優れものだが、いくら最新式でも絶対に事故が起きないとはいえない。昨日、問題がなかったからといって、今日も大丈夫とは限らないのだ。いつ何時どんな事故が起きても冷静に対応できるよう気を引き締めなければならない。
 俺はプライベートの悩みをひとまずしまうと、ネクタイの形をきっちりと整え、居住まいを正した。
 今日シフトに入っているスタッフたちが次々と出社してくる。ひとりひとりと顔を見合わせ朝の挨拶を交わしていると、最後にやってきたユリに妙な違和感を覚えた。
 少し前からぼんやりしがちではあったが、今日は特にひどい。焦点が合っていないように、どこを見ているのかわからない濁った瞳。今にも閉じてしまいそうな瞼。顔色も蒼を通り越して、白っぽくなっていた。
「ユリ、どこか調子が悪いのか?」
 挨拶よりも早く、彼女を心配する言葉が口をついて出る。ユリは今さら俺の存在に気づいたように、ゆっくりと視線をこちらに向け、首をかたむけた。
「え、あ……室長……おはよ、ござ……」
 頭を下げた姿勢のまま、彼女の身体が前にぐらりとかしぐ。
「危ないっ!」
 デスクから飛び出し、ユリを抱き留めるように腕を伸ばす。間一髪、彼女の身体が腕の中へ落ちてきた。
 管制室が一気に騒然となる。
「え、ユリちゃんっ」
「大丈夫!?」
「し、室長……」
 うろたえるスタッフたちを落ち着かせるために、ユリをかかえ上げ、うなずいてみせた。
「大丈夫だ。ユリは俺が医務室に連れていく。みんなは落ち着いて、通常通り業務を開始するように。何かあったら主任に相談後、俺に連絡してくれ。わかったな」
 早口で捲し立てると、驚きすぎて身動きできないらしいスタッフたちがそれぞれ首を縦に振った。
 すかさず踵を返し、医務室へ向かう。
 ユリが何故倒れたのかわからない以上、下手に動かさない方がいいのかもしれない。だが、あの場にいた誰よりも焦っていた俺は、いてもたってもいられなかった。
 腕の中でぐったりしている彼女を見るだけで、嫌な考えが心を蝕む。導き出される恐ろしい可能性に全身が震え、叫び出してしまいそうだ。
「ユリ……!」
 不安に苛まれる俺は、思わず彼女の名を口にしたことにも気づいていなかった。

 ドアを蹴破る勢いで医務室に入ると、常勤の担当医師は飛び上がらんばかりに驚いていた。だが、すぐに意識のないユリに気づいて、検査の手配をしてくれた。
 やきもきしながら一通り検査が終わるまで見守っていた俺に告げられたのは「脳貧血ですね」という簡潔な一言だった。
 少しの間、呆然としたあと医師を見つめる。
「貧血?」
「ええ。血液検査の結果で鉄分が不足していますから、間違いないと思います。地球人の女性にはままあることなんですよ」
 まだ若い医師は検査結果の表示されたディスプレイを指でなぞり、データを確認しながら説明していく。
「もともと貧血になりやすい種ではあるんですが、エパージさんは現在妊娠されていますから、鉄分不足が顕著にあらわれるんです。とりあえず鉄分補給用の薬をお出ししておきますね」
 ピクッと俺の耳が震える。
「え……」
 今、なんて言った?
 なんでもないことのように、さらっと告げられた重大な事実。自分でもおかしいと思うほど鼓動が速まり、呼吸が浅くなる。目を剥き、凝視すると、医師は不思議そうに首をかしげた。
「ですから、鉄分補給用の薬を」
「違う。ユリは……妊娠、を?」
 いつの間にか渇いていた喉を潤すため唾を飲み込み、質問を返した。
 医師は眉を跳ね上げ、きょとんとしている。
「あれ。エパージさん、産休の申請をしていないんですか? 先日の検診の時には産むとおっしゃっていたので、会社への申請の仕方をお伝えしたんですが」
 急速に医師の声が遠ざかっていく。
 ユリの腹に子供がいる。彼女はそれを隠していた。
 何故か……いや当たり前だ、言えるわけがない。きっとユリは俺以外の、多分、地球種の男と通じたのだろう。それが浮気か本気か、あるいは遺伝子を残したいという本能かはしらないが、結果的に子を宿した。
 ここしばらく彼女が思い悩んでいたのは、妊娠の事実と、俺への別れ話のことだったに違いない。今まで悩み、ゆれていた心が、すとんとおさまる。恐れていた以上に最悪の形で。
 そうか、そうだったのか……
 悪化していく関係を目の前にして、ユリの心変わりを疑っていた。俺以外に好きなやつができてしまい、戸惑っているんじゃないかと。まさかとうに裏切られていたとは……
 不思議と怒りは湧いてこない。ただユリとの関係が既に終わっていたという事実がひどく哀しく苦しかった。
「ライセプス室長?」
 俺がぼんやりしていることに気づいたのか、医師がこちらを覗き込んでいる。大丈夫だという意味を込めて、手をかざした。
「ああ、すまない。少し驚いただけだ。彼女の産休については了解した。俺から本社に確認しておく」
「そうですか。運航管制室としては有能なスタッフが減って大変だとは思いますが、おめでたいことですからお祝いしてあげてください。申請用の詳しいデータを転送しておきます」
 医療用のコンピュータを慣れた様子で操作しながら、医師が顔をほころばせる。俺はうろたえていることを悟られないよう、顔に笑みを貼りつけうなずいた。
「わかった、ありがとう」
 医師の言うように、ユリの妊娠を心から祝ってやることはできないだろう。そこまで俺は良い奴じゃないし、大らかでもない。
 ただ、一時でも異種である俺を受け入れてくれた彼女と、彼女の子供のために、ここから去ることはできる。俺がいなくなれば、これからのユリの生活は平穏なものになるはずだ。
 データの転送が完了したという医師の説明を受け、立ち上がる。奥のベッドで眠り続けているユリへ目を向けた俺は、心の中で別れの言葉をささやいた。

 → 後編


   

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