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 シンデレラ・ミッション

 3

 凛の話を最後まで聞いた篠原は、ひどく疲れたように肩を落とし「バカだなあ」と呟いた。
 何も言い返せない凛は、うつむいたまま身を強張らせる。仕方ないとわかっていても、あからさまに呆れられて泣きそうになった。
 篠原は自分の髪をくしゃくしゃと掻きまわし、低く唸る。苛立っているというより、困惑していて、どうしたらいいのかわからないらしい。
「んー……あの、さ。石野さんが、その、俺のことを好きでいてくれたのは嬉しいんだけど、普通に告白するだけで良かったというか……」
「でも、それだと篠原さんのご迷惑になりますし。職場で気まずくなるのも、つらいので」
 凛は言い訳をするように、小声でぼそぼそと説明する。居たたまれなくて顔を上げられない。伏せたきりの目の端に、頭を振る篠原の姿が映った。
「迷惑じゃないし、気まずくもならないよ。だいたい、なんでそこまで自分に自信がないの? 石野さんは可愛いのに」
 篠原の言葉に、凛は苦笑いを浮かべる。
 全が近くにいたおかげで、自分の身の程はきちんとわきまえているつもりだ。ふたりきりの時にまでフォローしてくれる篠原の優しさが嬉しくて、心が痛かった。
「私、歳の近い弟がいるんです。凄く仲が良くて、ずっと同じ学校に通っていて……」
 ――ひとつしか歳の変わらない凛と全は、ほとんど双子のようにして育った。
 やがてふたりは地元にある同じ大学へと進学する。マーケティング専攻の凛と、美容学科を選択した全は、学ぶ内容こそ違っていたものの大学構内で共に過ごすことが多かった。
 パッとしない容姿のモテない姉に、目を引く美男子ながら学業に専念するため恋人を作らない弟。陰と陽のようなふたりは周りの注目を集めてしまうらしく、学内ではちょっとした有名人だった。
 良い話、悪い噂。ふたりに関する様々な情報が流れるなかで、凛は自身の見た目がどれだけ地味かを思い知らされた。
 それでも、凛は女性だ。きちんとおしゃれをして自分を磨き、メイクを頑張れば、それなりの美しさは手に入れられると信じていた。
 そしていつか、片想いをしている男子が振り向いてくれるかもしれない、と……。
 大学四年の秋のことだった。就職先の内定をもらうことができた凛は、胸に秘めた想いを打ち明けようと決心し、構内で相手を探して――
「彼はカフェテラスで友人達と話をしていました。私が近くにいるなんて、誰も気づいていなかったんでしょう。ふざけたひとりの友達が私の名前を出して、彼とくっつけようとけしかけ始めたんです」
 嫌な音を立てて胸の奥が軋む。凛にとってはいまでも思い出したくない記憶だ。
 初めに声を上げた男子生徒は、凛のことを「弟と違って誰にも声をかけてもらえずに可哀想だ」「助けるつもりで付き合ってやれよ」と言い、笑っていた。隣に座る女子は「やだ、ひどーい」と眉を寄せながらも、ニヤニヤしていた。
 話している人たちからすれば、ブラックジョークのようなものだったのだろう。
 しかし話題を向けられた凛の想い人は、嫌そうに顔をしかめ、爆弾を落としたのだ。凛がそれまで温めてきた恋心を粉々に砕くように。
「どんなに化粧でごまかしたって、寝る時には素顔に戻るんだぞ。そんなのとヤレるかよ……だそうです」
 その時の彼の言葉を、凛は口にする。
 ぶつけられた拒絶は、まるで呪いのように凛の心を蝕んでいた。
 篠原は一度ゆっくりとまばたきをしてから、凛の顔をまっすぐに見つめてきた。
「それで、石野さんはそいつが言ったことを真に受けたの?」
「真に受けたというか、私が美人じゃないのは事実ですから」
「でも、俺にとっては可愛いし、きみは綺麗だよ。見た目だけじゃなくて、何もかもがね」
 優しく労わってくれる篠原を前にして、凛の気持ちが大きく揺れた。ただの社交辞令だとわかっていても、篠原に縋りつきたくなってしまう。
「……そういうお世辞は言わなくても……」
 篠原を求める心に蓋をして、凛は首を横に振る。伸ばされた篠原の手が、それを制止するように凛の頬を包み込んだ。
「まーったく、頑固だなあ。まあ、そういうところもいいんだけど、どうしたら俺の言葉を信じてくれるの? そのクソ野郎の言ったことを全部実行して否定すればいい?」
 篠原の両手で頭を固定され、凛は目を見開く。いつの間にか身を寄せていた篠原に顔を覗き込まれていた。
 息がかかるほど近くに篠原がいる。濡れたように光る瞳に射抜かれ、頬に触れる体温を感じて、凛は思わずギュッと目を瞑った。
 恥ずかしい、嬉しい、苦しい……。
 様々な感情に襲われ、凛の呼吸が途切れる。
 胸がつかえて小さく呻いた時、引き結んだ唇に柔らかい何かがふわりと触れた。
 反射的に瞼を上げる。きつく目を瞑っていたせいで滲む視界のなかに、自分の唇を舐めている篠原の姿が見えた。
(い、ま……いまのは……!?)
 感じたことのないしっとりした弾力が、篠原のどの場所からもたらされたものか、そしてその行為がなんであるのか、本当はわかっている。しかし理性がうなずかない。
「なんで、こんな……」
 凛がうわ言のように疑問を口にすると、篠原は熱っぽいまなざしを向けてきた。
「ここまでしても、まだわからない? 言っておくけど、俺は好きでもない女を家に連れ込んだり、キスしたりはしないからね」
 決定的な言葉が凛の心を貫く。
 想像もしていなかった信じられない事態に、凛はブルブルと首を振った。
「う、うそ。だって、そんなことありえない」
 混乱したまま「うそだ」と繰り返す凛を見て、篠原は苦笑いを浮かべる。続けて、優しく凛の頬を撫でた。
「全部本当のことで、ありえるから信じて。普段はおとなしくて控えめなのに、仕事には前向きできっちりこなす、しっかり者の石野さんが好きなんだ。きみは自分の姿に自信がないようだけど、俺には可愛く見えるし、ずっと抱き締めたいと思っていたよ。こうやってね」
 最後につけ足した言葉と同時に、篠原は凛を抱きすくめる。
 力強い腕に包まれた凛は、緊張と驚きで震えながらも、ゆっくりと目線を上げた。
「ほんと、に?」
「うん。俺のほうからアプローチもしてたんだけど、気づかなかった?」
「え……」
 また意外な事実を知らされて、目を瞠る。
 篠原はいたずらが見つかった子供のように、照れ笑いをした。
「いつも石野さんに声をかけていたのは、気を引きたかったからなんだよ。あと、飲み会の時に隣同士にしてほしいって、営業課長に頼んでた。少しでもきみの近くにいたくてね」
 驚きの種明かしに、凛はぽかんと口を開けた。
 篠原の隣に座るよう命じられるのは、凛が安全牌な存在だからだと思っていたのに、実際はまったく逆だったらしい。
 しかも、それが真実なら、篠原はかなり前から凛に想いを寄せていたことになる。凛が篠原を意識するよりも先に。
 篠原は呆然とする凛の額にキスを落として、はあっと溜息を吐いた。
「本当は早く告白してしまいたかったんだけど、できなかった。石野さんは俺のことなんて全然気にしてないし、周りの女の人たちが騒ぎそうだし。きみに片想いしていることがバレたら迷惑をかけると思ってね」
 篠原の説明に、凛は小さくうなずく。
 たくさんの女性にモテている篠原のことだから、片想いが知られただけでも大騒ぎになるのは間違いなかった。
 凛が篠原のことをまったく気にしていなかったという部分は、誤解だが。
「あの……私も迷惑になると思っていたから隠していただけで、篠原さんのこと好きでした。隣にいる私をいつも気遣って、優しくしてくださって、嬉しかったです」
 ぽつりぽつりと、凛は改めて想いを口に出す。
 たどたどしい告白を聞いた篠原は、嬉しそうに目を細めた。
「もちろんいまはわかっているよ。……まあ、まさかわざと失恋する計画を立てるとは思わなかったけどね」
 篠原の指摘で、いまさら自分のしたことが恥ずかしくなる。
 凛は自分の浅はかな企みを後悔するのと同時に、いまこうして篠原と触れ合っていることに深く安堵した。
 ほっとしたのに合わせて涙腺がゆるみ、涙が溢れる。
 驚いて目を見開く篠原に向かって、凛は慌てて頭を振った。
「ごめんなさい、大丈夫です。……あの計画が失敗して、良かったって思ったら、つい」
 ぽろぽろとこぼれる雫を、篠原の指が優しく拭う。
「失敗が成功ってなんだかややこしいけど、俺が告白をするきっかけを作ってくれてありがとう。あと、先に言わせてごめんね」
「そんなのは、気にしません」
 凛にとって重要なのは想いが通じたということで、どちらが先かなんて関係ない。
 もう一度、力強く首を横に振ると、篠原は凛をなだめるように微笑んだ。
「うん。でも、改めてきちんと言わせて」
 そこで言葉を切った篠原は、すうっと表情を消し、真剣なまなざしを凛に向けてきた。
「石野さんが好きだ。俺と付き合ってください」
 篠原のまっすぐな想いが、凛のすべてを激しく揺さぶる。凛は小刻みに震えながら、何度も何度もうなずいた。
「っ……はい、私も、篠原さんが好きです……!」
 首を振る勢いで、また涙が溢れ出る。
 ふっと優しく笑った篠原が、凛の濡れた目元に唇を寄せた。
 ふたりが寄り添う部屋の片隅で、十二を指した時計がカチリと音を立てる。
 魔法使いのイタズラで灰かぶりに戻ってしまったシンデレラは、素顔のままでいいという王子の腕に包まれ、幸せそうに微笑んだ。
                                         End

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