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 聖夜の残念会

前編

 ここ数年、初詣の願いごとは決まって「今年こそ、イイ男と出逢えますように」だ。
 家の近くにそれなりの規模の神社があるにも関わらず、わざわざ遠くの縁結び大社まで行って、何時間も並んだあげくにお賽銭だって奮発していた。
 もちろん、神頼みだけじゃなくて、自分磨きにも余念はないつもり。さすがにヒラOLの給料じゃエステ通いは無理だけど、定期的にヘアサロンも行くし、流行のファッションやコスメのチェック、体型維持のためのエクササイズも欠かさない。
 見た目は十人並みだけど、別に特殊な趣味や変な性癖があるわけでもなく、性格だってそこまで変わってはいないと思う。多分。
 なのに……
「また今年も一人ってどういうことよっ!?」
 苛立ちまぎれに、会社のロッカーの扉を思い切り力を込めて閉めた。扉を叩きつけられ派手な音を立てたロッカーは、あまりの勢いに隣接した数個を巻き込んでガタガタと揺れる。
 と、ちょうど更衣室に入ってきた同僚の蕗子(ふきこ)が、ぎょっとしながらこちらを見た。
「ちょ、なんなのよ?」
「あー……なんでもない。虫かと思って叩いたら、埃だったの」
 へらっと笑って適当にごまかす。私の独り言を聞かなかったらしい蕗子は「はぁ?」と首をひねり、自分のロッカーを開けた。
 会社支給の制服を脱ぎながら、蕗子は鼻歌を歌い出した。曲は「赤鼻のトナカイ」
 楽しいはずの曲調が、腹立たしく聞こえるのは私のひがみ故だ。
「あーあ。相手がいる人はいいなー」
「何よ、それ」
「モテない独身フリー女の妬み」
 はっきりと言うと、蕗子はぶはっと吹き出して笑った。
 蕗子には結婚間近の彼氏がいる。もうほとんど同棲状態だそうだけれど、クリスマスイブの今日は二人でどこかに行くのだろう。いつもの通勤用コートの内側が、スーツではなく明るい色のニットワンピースだった。
「……そんなことを言うけど、麻乃(まの)だって、例の年下のオトコノコと会うんでしょ?」
 含みのある蕗子の言葉に、溜息をつく。
「会うけど、従弟だもの。今年のクリスマスも残念会で終わり」
「残念会ねぇ」
 イイ男をゲットすると意気込む私は、毎年クリスマスイブの夜にレストランの予約を入れていた。もしクリスマスの直前に運命の人が現れたとしても、イブに素敵なデートができるように……と、クリスマスくらいは、ちょっとリッチな食事をしたいという理由で。
 しかし実際は運命的な出逢いなんてあるわけもなく、席が一つあまる。普段ならともかく、クリスマスに「おひとりさま」なんてできないから、いつも三歳下の従弟を付き合わせていた。
 蕗子は少し呆れたように短く息を吐いた。
「それにしても、従弟クンもよく付き合ってくれるよね。せっかくのクリスマスなのに」
「んー……でも、彼女がいるって聞いたことはないし、いても食欲のが優先なんじゃない?」
 今までも、今回も、断られていないから、彼女の存在なんて気にしたことがない。
 深く考えずに答えた私に、思わせぶりな視線を投げてよこした蕗子は、ふふんと笑った。
「それは、どうかしらね……」
 前の彼氏と別れてから四回目のクリスマス。毎年行われる従弟とのディナーを、私は「残念会」と呼んでいた。

 待ち合わせは、駅前広場のツリーの前。
 着くなり沢山の電飾で飾られたツリーに見入っていた私は、後ろから肩をとんとんと突かれた。
「まーのー」
 間延びした声に振り返ると、見慣れた顔が少し呆れ気味にこちらを見下ろしていた。
「ああ、馨介(けいすけ)」
「ああ……じゃなくって、待ち合わせだってことを忘れてない? こないから、何回か電話を入れてるんだけど」
「ん、ごめんごめん」
 仕事が終わってからすぐに出れば余裕で間に合ったんだけど、更衣室でロッカーに八つ当たりしたり、蕗子と話していたりしたせいで少し遅れてしまっていた。
 と、いっても十分くらいだし、内心それほど悪いとも思っていないので適当に謝る。これで相手が馨介じゃないなら怒られる状況だけど、生まれてから二十年以上続いている長い付き合いの中で、私が適当で大雑把だということも、彼が超のつくほど大らかな性格をしていることも、お互いわかりすぎるほど、わかっていた。
 案の定、私が遅れたことを気にしていないらしい馨介は「まあいいけど」と呟いて歩き出した。「残念会」へ誘う時に予約した場所も伝えてあるから、彼は確かな足取りで目的の店へ向かう。
 一歩後ろをついて行きながら、私は広い背中を見つめた。
 お互いの家が近いおかげでずっと一緒にいるから、そういう目で見たことがないけど、馨介は客観的に見て格好良い……らしい。私も含め、十人並みな容姿ばかりの親族の中で、馨介の家だけは美人の叔母さんに似て美形揃いだった。
 まっすぐなサラサラの髪と、整った目鼻立ち。すらりと高い上背。良く言えば、押しつけがましくない性格。運動はそれなりらしいけど、勤勉で成績も良く、来春に大学を卒業したあとは、まあまあ名のある会社への就職が決まっている。
 ちょっと嫌味なくらいの好青年。しかも今日はきちんとしたレストランを予約してあるから、スーツにトラッドなコートなんか着ちゃったりして色気も増していた。
 すれ違う女性たちが通り過ぎざまに馨介を見て、一瞬、目を瞠る。
 完全に親戚っていうか家も関係も近すぎて、ほとんど姉弟ポジションだけど、イケメンを連れ歩くのに悪い気はしない。私はちょっと虚しい優越感に浸りながら、今日の晩餐に思いを馳せた。

 到着したレストランの雰囲気に、馨介は少し驚いたようだった。
 これまでの「残念会」は、どちらかというと気取らないイタリアンや創作料理だったけど、今年はシックなフレンチのお店にしていた。
 イルミネーションの灯る庭に面した窓際の席に通された私は、独断でソムリエお勧めだというワインのハーフボトルを頼む。馨介も二十歳は過ぎているけど、全くお酒が飲めないらしいので、いつも私だけが勝手に飲んでいた。
 馨介用にソフトドリンクカクテルとかいう、見た目だけお酒っぽいソフトドリンクを頼んで、乾杯をする。
 注がれたワインはロゼのスパークリングで、綺麗な色と甘めな口当たりがクリスマスイブにぴったりだった。
 前菜が出てきたあたりで、馨介がちらりとこちらを見る。なんだろうと首をひねると、彼は内緒話をするようにぐっと私に近づいてきた。
「……ここ、高いんじゃないの?」
 クリスマスイブにオシャレなフレンチレストランで言うことがそれかい、と内心で突っ込んだ。そもそも恋人同士じゃないから甘い雰囲気なんて期待してないけど、もうちょっと空気を読んでほしい。
「まあね。でもいいじゃない、たまには」
 シーフードサラダをフォークで突き刺しながら、投げやりに答える。
 「残念会」は全て私の奢りだ。私が勝手に店を予約して付き合わせているんだから、馨介が心配する必要はないんだけど、ご馳走される方も高額だと気が引けるのかもしれない。
「と、言うか。なんで今年はこんなに気合入ってんの? 誰か、目当ての人でもいた?」
 馨介が何かを探るように見つめてくる。今年の店のランクが上がったことを深読みした彼は、私の思惑とは全然違う方向を想像しているらしい。
「まさか。そんな男がいたら、速攻ゲットして離さないよ」
「だよね」
 運命の出逢いにかける私の涙ぐましい努力と根性の全て知っている馨介は、気の抜けた薄ら笑いをみせた。
「まあ、単にこういうのもいいかなってだけ。今年はフレンチの気分なの」
「ふうん」
 本音をはぐらかすための適当な答えに、馨介はただあいづちを打つ。さっきみたいに空気や雰囲気が読めないこともあるけど、私が詮索されたくないのを察してくれるところは一緒にいて気楽だ。
 学生で二十二歳の男の馨介にはわからないと思うけど、私は正直焦っていた。早生まれとはいえ誕生日がきたら、もう二十五歳になってしまう……三十歳まであと五年。
 昔から漠然と描いてきた未来予想図では、三十歳までに子供を一人は産んでおきたいと思っていた。出産、妊娠、結婚、交際、出逢いと逆算していけば、五年という時間はけして余裕のあるものじゃない。
 それに、もし自分や相手が子供のできにくい身体だったとしたら、治療期間だってかかる。一人っ子として育ち、子沢山の家庭に憧れている私にとって、早すぎるなんてことは絶対になかった。
 今年のイブをここにしたのは、私の本気の表れ。ほぼ一年前、予約を入れる時に、将来を見据えた人とここにこれるように頑張ろうと決めた。
 ……決めただけで、いつものように馨介と「残念会」をしてるのが、泣けてくるけど。
 美味しい料理と、甘いワイン。目の前には推定イケメン。はたから見たら完璧なクリスマスイブなのに虚しい。酔いに煙った思考の中で、自分がひどく寂しい人間な気がした。

 お酒は好きな方だと思う。弱くはない、でも、強くもない。
 甘くて飲み口が良いのと、精神的な落ち込みで飲まずにはいられなかったのもあって、すっかり飲み過ぎた私は馨介に助けられながら自宅に帰ってきた。
 ゆっくりしてきたとはいえ夕飯がてらに飲んだのだから、そんなに遅い時間じゃないはずなのに、家は灯り一つついていない。おかしいと思って首をひねると、私を支えていた馨介が長い溜息をついた。
「……伯父さんと伯母さん、昨日から旅行だって聞いたけど?」
「あー……そう言えば、そうだったー……」
 二十三日の祝日から年始にかけて、両親が年越し旅行に出かけたのを今さら思い出した。夕べと今朝も一人だったのに、そんなことすら忘れちゃうんだから、お酒の力って怖い。
 バッグから鍵を取り出すと、酔っ払いな私を見るに見かねたらしい馨介が、何も言わずに取り上げ、ドアを開けてくれた。
 いつも履いているものよりヒールの高いパンプスを脱ぎ散らかして、玄関にへたり込む。気持ち悪くはないけど、ふわふわして眠ってしまいそうだった。
 ほぼ毎週、何かにつけてうちにきている馨介は、遠慮することもなく勝手に上がり込んで、あちこちの電気をつけた。
 閉じた瞼の向こうに淡いオレンジの光を感じる。廊下の壁に寄りかかったまま動かずにいると、戻ってきたらしい馨介がふっと笑った気配がした。
「ったく、しょうがないな」
 背中と膝の裏に手が触れた次の瞬間、身体がふわりと浮き上がった。
 目を閉じていても、馨介にかかえ上げられたことはわかる。ほぼ初めてのお姫様抱っこに驚いたけど、どう反応していいか迷っている内にリビングのソファへ下ろされた。
 薄く目を開く。間近で私を見下ろす馨介が、見知らぬ人のように見えて少しだけドキッとした。
「あ、ごめん。ありがと」
「いいけど。俺、今日、泊まっていくよ。なんか麻乃だけにしたら、火事とか起こしそう」
「……失礼な」
 ムッとする私にかまわず、馨介はリビングのファンヒーターをつけて、手近にあった膝掛け代わりのハーフケットをこちらに放ってよこした。
「風呂を入れてくる。部屋が暖まるまで、それ着とけよ」
 受け取った私の返事も聞かずに、馨介はリビングを出て行く。
 さっき私を抱き上げた腕の力強さといい、今の言い方といい、馨介っぽくなくて面白くない。ソファに起き上がった私はハーフケットにくるまったものの、素直に従うのが何となく悔しかった。

 お風呂の用意ができるまでに室内が暖まってきたのもあって、私はうとうとしかけていた。どちらが先にお風呂に入るか、少し押し問答したものの、結局、酔いからくる眠気に抵抗できずに馨介に先に入ってもらった。
 どれくらい時間が過ぎたのか、夢も見ないで眠っていた私は、頬に落ちてきた水滴に驚いて瞼を開けた。
「つめたっ!」
「あ、ごめん……」
 ばちっと開いた目の前に、髪が濡れたままの馨介がいる。びっくりしつつも風呂上りの髪から垂れた雫だと理解した私は、下ろした視線の先にある姿にぎょっとした。
「って、なんで裸!?」
 昔から頻繁に行き来していたから、馨介がうちに泊まることは日常的で、簡単な着替えやパジャマも用意されているはず。どうして今日に限って裸なのかと目を剥いた私の前で、腰にタオルを巻いただけの馨介は、普段通りのんきに微笑んだ。
「ん。伯母さんがいないから、着替えがどこにあるのかわからなくて……」
「あ……ああ。和室の箪笥の三段目、じゃない?」
 馨介とは反対に動揺しまくりの私は、取ってきてあげることもできずに目をそらした。理由がわからないけど、鼓動が凄く速くなっている。
 挙動不審な私に気づいていないらしい馨介は、軽くあいづちを打ってから服を取りに向かいかけ、何かを思い出したようにリビングのドアの隙間からひょいと顔を出した。
「麻乃も入ってこいよ。風呂の蓋、開けたままにしてあるから」
「う、うん。そうする」
 ただお風呂に入るというだけの、いつもどおりの会話なのに、やけに恥ずかしい。
 今度こそ和室へ向かった馨介の足音を聞きながら、私は胸が震え続けている理由を掴めないでいた。

 結局、お風呂に入っている間じゅう考えても、ドキドキの原因はわからなかった。
 寝起きでいきなり裸を見たからだろうと無理矢理、納得したものの、それだけでは説明できないもやもやが残っていた。
 無意識に長風呂をしてしまったせいで、余計に顔を合わせづらい。せめてこの気持ちが落ち着くまで、なんとか会わず済む方法はないだろうかと勝手なことを思った。
 脱衣所にあるタオルで身体を拭い、巻きつけてから、いつもパジャマを置いている棚に手を伸ばす。布に触れるはずの位置で空をきった手のひらは、そのまま棚板の上にぺたりと置かれた。
「ん?」
 見れば、そこには何もない。パジャマも、もちろん下着も。
 うそ……まさか……
 あまりの事態にざあっと蒼褪める。お風呂に入る前を思い返した私は、動揺したまま何も持たずにここへきたことに気づいた。
 冷静な時なら、どうにかできたんだろうと思う。でもまだほんのりと酔いが残っていた私は、軽いパニックを起こした。
 ……今、家には馨介以外いない。服を取ってきてほしいとは頼めない。さっきの馨介みたいにこの格好で取りに行く? でも途中で見られたら?
 そこまで考えて、赤面した。
 馨介に裸を見られるかもしれないと思うだけで、鼓動が激しくなる。喉の奥に何かが詰まったような苦しさを覚えた私は、胸元を押さえてギュッと目をつぶった。
 こんなにドキドキする理由がわからない。馨介とは子供の時からいつも一緒で、家族と同じだと思っていたのに、どうして恥ずかしく思うのか……
 酔いと長風呂のせいでぼうっとしていた私は、うっすらと気づきかけた羞恥の出所を、はっきりと定められなかった。
 ふいに、脱衣所と廊下を隔てているドアがノックされた。
「おーい、麻乃? 大丈夫?」
 向こうから聞こえる、くぐもった声。長くお風呂にいたせいで、心配した馨介がきてくれたらしい。
 驚きに目を見開いた私は、身を硬くしてドアを見つめる。
「あ……」
 ただ「大丈夫」と答えればいいだけなのに、今まで馨介のことを考えていたせいで、とっさに返事ができなかった。
「どうした? 開けるぞ」
「やっ、ダメ!」
 古い造りの我が家は、脱衣所に鍵なんてついていない。声を上げてドアを押さえようとした私と、先に開けた馨介が、間近で向かい合ってしまった。
 一瞬で頭が真っ白になる。固まってしまった私とは対照的に、馨介は驚いた様子もなく、私の身体をゆっくりと上から下まで見下ろした。
「なんだ。倒れたり、溺れたりしてるかもって心配したのに……」
 普通に服を着てる時と同じ調子で言われ、拍子抜けする。変に意識していたのが私だけだと知って、違う意味で恥ずかしくなった。
「あ、はは……つい長風呂しちゃって。ごめんね」
「別にいいけど」
 動揺を必死で隠して答えると、馨介はいつも通り鷹揚に受け止め、手に持っていた缶ビールをぐっとかたむけた。
 飲んでいる途中で、私が遅いことに気づいてきてくれたんだろうけど、ここまで持ってこなくても……
「って、あれ? 馨介、ビール……」
「あ、悪い。台所にあったやつ勝手に貰った」
 確かに馨介が持っているのは、私が買い置きしている銘柄のものだったけど、勝手に飲んだことを咎めたわけではなかった。
「いいけど、そうじゃなくて。お酒、飲めるようになったの?」
「ん? ああ、普通に飲めるよ。ただ、麻乃の前で飲まなかっただけ」
「え、なんで……」
 予想外の答えにぽかんとした私の前で、馨介は空になったらしい缶を洗面台に向けて放る。セラミックの表面に転がったアルミ缶がカランと軽い音を立てた。
「だって、酔うとやりたくなるし」
「は?」
 今、なんて……
 馨介から出たとは思えない不穏な台詞に、自分の耳を疑う。今さら何を「やる」のかと尋ねるほど子供でもないし、カマトトぶるつもりもないけど、本当にそういう意味なんだろうかと混乱した。
「本当はさ、ちゃんと就職してから告ろうと思ってたけど、もういいよね。内定も貰ったし」
 何を言われているのか、全く理解できない。何故ここで就職とか内定の話になるんだろう。
 わけがわからないまま呆然としていると、脱衣所に入ってきた馨介に引き寄せられ、いきなり抱き締められた。
 背の高い馨介に包まれ、陰る視界。ひんやりとした布の感触と、同じボディソープの香り。強い鼓動に、熱を帯びた吐息。突然触れた圧倒的な存在に、私は驚いて身をよじった。
「ちょ、ちょっと……っ!」
「無防備なところを見せた麻乃が悪い」
 やっぱり何を言ってるのかわからないけど、こんなふうに抱き込まれていたらどうにもできない。とりあえず離れてほしいと言うために上を向いた私は、待ちかまえていた馨介の手によって顎を捕らえられた。
 真正面でぶつかる視線。少し潤んだ熱っぽい馨介の瞳に危険を悟った次の瞬間、唇に馨介のそれが重なった。
「んっ、や……」
 キスによってさらに混乱した私は、とっさに顔を背ける。限界まで首を反らして馨介から遠ざかろうとしたのに、露わになった首筋を舐められた。
 濡れた柔らかい舌が、ざらりと肌をすべる。息を呑んで震えると、耳元に口を寄せた馨介が、喉の奥で低く笑った。
「今の良かった?」
 今まで聞いたこともない、色っぽい声が耳に流れ込む。
「よ、良くない! 離してよっ」
 精一杯の虚勢も無意味だと言わんばかりに、馨介は私の耳たぶを咥えてなぶった。
「良くない? それじゃ、良くなるまで頑張るよ」
 楽しそうな馨介の言葉に叫び声を上げそうになった口が、また唇で塞がれる。すかさず入ってきた舌の感触にきつく目をつぶった。
 馨介の腕から逃れようともがいたせいで、巻いていたタオルが外れ、滑り落ちる。身にまとっていた物を失ったことに気づいた彼の手が、背中から腰、その下までを撫で下ろした。
「ん、うぅっ」
 肌に直接触れる手が、寒気にも似た震えを呼び起こす。不快とも取れるその感覚が、すぐに快感に替わることは経験で知っていた。
 ろくに抵抗もしないままキスをされ、身体を撫でられている。混乱と快感で覚束ない思考のなかで、ただ「ダメだ」と思った。
 知らないうちに荒くなっていた息を詰め、思いきり馨介の胸を押す。男の力に敵わないのはわかっていたけど、拒絶していることを示したかった。
 私の本気の拒否を悟ったらしい馨介が、手をゆるめ、そっと顔を離して、こちらを覗き込んだ。
 上気した目元が馨介の高ぶりを表している。私も同じような顔をしているんだろうと思うと、恥ずかしかった。
「麻乃?」
「……止めて。こんなのはダメだよ」
「どうして? 俺、麻乃のことが好きだよ。俺じゃダメ?」
 拒否されたことがショックだったのか、さっきまでの勢いをなくした馨介は、叱られた犬みたいにうなだれる。私は急に弟分に戻ってしまった馨介に内心で苦笑して、ゆっくりと首を横に振ってみせた。
「馨介は格好良いし、優しいし、いい人だと思う。でも、ダメ。私たち従姉弟同士なんだよ。わかってる?」
 しょんぼりとしている馨介に、はっきり「従弟以上には見れない」とは言えなくて、凄くまわりくどい言い方になってしまった。
 上手く伝わったか不安になった私が見上げると、さっきの上気した顔とは打って変わって、紙みたいに青白い顔色の馨介がこちらを見返していた。息をしているのかを疑いたくなるほどの固い表情に、少しだけ恐怖を感じる。
「馨介……」
「……麻乃こそ、わかってんの?」
「え?」
「俺は麻乃の従弟で、弟じゃないんだよ?」
 ぐっと歯を食い縛った馨介の瞳に、一瞬、凶暴な光が走った。
 肩を掴まれ、後ろに押される。なされるがまま下がると、腰のあたりに無機質な何かがぶつかった。痛くはなかったものの、触れた冷たさに驚いて振り向く。それは洗面台の淵だった。
「従弟ってさ、四親等なんだよね。合法的に恋愛もできるし、結婚もできる」
「そ、そういう問題じゃ……」
 この時になって、私は選んだ言葉が間違っていたことに気づいた。変に気を遣ったせいで、逆に馨介を怒らせてしまったらしい。
 どうフォローしたらいいのかわからずオロオロする私に向かって、馨介がさらに近づいてくる。
「麻乃はさ、俺を従弟だとも思ってなかったでしょ。せいぜい便利な弟。俺がそこから抜け出したくて足掻いてたことに気づいてた?」
「あ……ごめ……」
 とっさに謝罪の言葉が口をついて出る。でも何に対するものなのかは、自分でもわからなかった。ただ、馨介を傷つけたことが申し訳なくて悲しかった。
 追い詰められ、洗面台に腰を乗せるようにして仰け反った私は、馨介に囚われた。さっきよりもきつく抱き締められる。
 苦しくて、熱い。パジャマ越しなのに、馨介の熱が伝わってくるような気がした。
 密着した身体。臍の下に触れる硬い感触が、馨介のものだと気づいた私は、ぶるっと震える。
「……麻乃が好きだよ。愛してる。生まれてからずっとね。だから……思い知るといいよ。二度と弟みたいだなんて思えないようにしてあげる」
 口の端を上げた馨介は、妖艶という言葉がぴったりの表情をしていた。
 想いの強さに当てられたのか、眩暈がして視界が歪む。目を閉じたのを合図に、噛みつくようなキスが降ってきた。

 → 後編


   

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